パロップのブログ

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NHK取材班著『ザ・アンカー ピーター・ジェニングス』

平凡社、2006年7月
自分が子供の頃は「母音の前のtheはジと発音」と習ったが、最近はそうでもないらしい。そんなことはどうでもよく、本書は2005年9月22日にNHK-BS1で放送された『BS特集』「ピーター・ジェニングスからのメッセージ」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20050923#p3)の書籍化。著者は「NHK取材班」となっているが、これはスタッフ全員への労いの意味を含んでいるだけで、ディレクターの宮本康宏氏と制作統括の古川潤氏が実質上の著者だろう。以前からNHKにはジェニングス大好きっ子がいると思っていたが、どうやらそれはキャスターの藤澤秀敏氏ではなく、宮本・古川の両氏だったらしい。藤澤氏は恐らくダボス会議大好きっ子だ。

本編は二重の意味で背中がムズムズするような文章なので、ジェニングス氏の人生を手軽に知りたいという人以外には、あまりお薦めしない。ジェニングス氏のニュースは学生の頃よく見ていたし(時々PBSのジム・レーラーとごっちゃになってはいたが)、恐らく優れたアンカーだったのだろう。そこに異存はない。ただ、ジェニングス氏を賞賛するポイントが本書はずれている印象は否めない。
例えば、レバノンで爆弾テロが起こった際、ジェニングス氏は負傷した子供の映像を敢えて流し、批判も浴びた。この件に関し、ジェニングス氏はNHKのインタビューに、

「(前略)私だって自分の子どもにあんな惨事を見せたくはありません。かと言って、それを避けて通ることはしたくない、全く伝えないわけにはいかないのです。どうしたらいいのでしょう? 実際、わからないのです。自分がもう一度、同じ決断を簡単にできるとは思いません。しかし毎日、こうした判断を迫られるのです」(P.73-74)

と答えている。常に迷いながらも、毎日決断を下さなければならない。それを30年も続ける。そして正しい決断が出来るよう、常に学び続ける。そういうアンカーとしての「姿勢」こそが賞賛される部分だと自分は考えるのだが、本書はどうも下した決断が常に正しかったという「結果」を賞賛しているように読める。
例えば、1994年のボスニアを取材したエピソード。文章は、サラエボの野外市場への砲撃を取材するために、危険な現地にまで足を運ぶ勇気を讃えるとともに、アメリカが国際社会でリーダーシップを発揮しなかったために、介入が2年も遅れ、惨事を見過ごす結果となったことを批判するコメントを「いかにも思慮深い」とばかりに引用している。だが、サラエボ市場への砲撃は当時どっちの勢力が放ったものか不明だったし、今も確か国際社会の介入を求めるムスリム側による自演説は根強いはず。この事件をきっかけにNATOセルビア軍を空爆して紛争が終結したのならば、ジェニングス氏はまんまと利用されたんじゃないの。そもそも「内戦で苦しんでいる人がいるから介入しろ」なんて意見が立派なら、1991年の湾岸戦争後にイラク南部のシーア派住民が蜂起したのを多国籍軍が見捨てた結果、フセイン政権に弾圧・虐殺された際には「国際社会は介入しろ」って言うべきだったじゃないの。困っている人を助けるためなら国際社会は何をしてもいいの。国連もアメリカ政府も、もちろんジャーナリストだって常に決断を迫られ、時に間違う。それでも間違わないように努力する。そういう「姿勢」が尊いんじゃないの。けれども本書は「ピーターの判断は常に正しく、ピーターの言葉には常に含蓄があり、ピーターの態度は常に落ち着きがある」みたいな「結果の賞賛」が多過ぎる。賞賛のポイントはそこじゃないだろう。
例えば、1995年にジェニングス氏が手掛けたスミソニアン博物館展における原爆論争に関するドキュメンタリーを取り上げた最後に、

日本人にとっては信じがたいことかもしれないが、ほとんどのアメリカ人は、広島や長崎に原爆を投下したことで多くの同胞の命が救われたと本気で信じている。キノコ雲の下で何十万人もの一般市民が犠牲となり、多くの人びとがその後何十年も苦しみ続けていることに目を向けようともしない。それまで、アメリカのメディアが原爆について正面から取り上げることはほとんどなかった。ピーターのこの番組は、そうして作り上げられてきたアメリカのタブーに挑んだ野心的なものであった。(P.141)

と、その先進的な実績を讃えているが、いま自分が読んでいるNHKディレクターの川良浩和著『我々はどこへ行くのか』には、1985年にジェニングス氏が来日した際、『ニュースセンター9時』の木村太郎キャスターと交わしたこんな会話が載っている。

「日本の方は気を悪くされるかもしれないのですが、ひとりの人間として原爆投下はあってよかったと思います。市民を犠牲にせずに威力を示せればよかったのです。もし、ヒロシマがなかったら、核はどこかで使われたでしょう。ヒロシマは、職業人としても人間としても、来てよかったと思っています」(P.156)

この文章の後、川良氏はスミソニアン博物館展に関するドキュメンタリーを取り上げ、ジェニングス氏を賞賛している。これなら理解出来る。10年前はヒロシマを訪れた後でさえ一般のアメリカ人と同様の認識だったジェニングス氏が、その後も学び、疑い、取材し、フェアな議論を求める。そういうジャーナリストとしての「姿勢」を賞賛するのは理解出来るが、その辺をすっ飛ばして「完成した番組が素晴らしい」と「結果」だけを賞賛するのは、やはり信者の書いた本と言わざるを得ない。
もう一つのムズムズは、全体的に地の文が客観的評価を装った「信者のくせに信者じゃない振りをする」文章になっており、どうにも気持ち悪い。
例えば、スペースシャトル爆発事故が起きた際のジェニングス氏のコメントを引いた後、

ピーターのこのコメントからは、1981年4月のコロンビア初飛行以来、アメリカの宇宙開発史上最悪となった惨事について、単に嘆いたり誰かを責めようとするのではなく、人間は慣れが生じればいずれ過ちを犯してしまう存在であることを踏まえたうえで、アメリカ人全員でこの悲劇をしっかり受け止めようと促す姿勢が感じられる。(P.76)

或いは、イラク戦争時のアメリカ国内の報道状況に関するインタビューで、ジェニングス氏の嘆き節の後に、

愛すべきアメリカ国民、視聴者が、客観的に事実を伝えようとするメディアにそっぽを向き、政府の言うことに同調していく、そんな状況に対するピーターの歯噛みが感じられる。(P.175)

といい、ジェニングス氏よりもジェニングス氏の言いたいことを理解しているんじゃないかと錯覚してしまうくらいの誉めっぷりに頭がかゆくなる。「ジェニングス氏以外のアメリカ人はみんなバカ」みたいな書き方も何か感じ悪いし。

そういうわけで本編は総じてダメだが、巻末の古川氏による“『BS特集』「ピーター・ジェニングスからのメッセージ」はなぜ生まれたか”という解説文は、2001年以降にNHK-BS『BS世界のドキュメンタリー』で放送された9.11関連の番組総覧になっており、とても興味深い。エンドロールの最後に表示される制作統括という肩書、てっきり最後にハンコを押すだけの名誉職だと想像していたが、この古川氏の文章を信じるならば、放送するドキュメンタリーの選定から関わっており、かなり現場に近い役職だった。古川氏が担当し始めたのが2001年夏からということで、この5年間、古川氏が買ってきたドキュメンタリーと付き合って来たのだと思うと、なかなか感慨深いものがある。ちなみに本書発刊時の古川氏の肩書きはNHK山形放送局放送部長になっている。今年春に異動したらしい。そういえば、最近『BS世界のドキュメンタリー』ウォッチングから離れていたので気付かなかったが、確か現在の制作統括は林由香里という人。
古川氏が挙げている作品の中で、個人的に印象深いのは、「9.11テロを予言した男」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20030315#p2)。どんなスパイ/サスペンス映画よりも面白かったというか、出来過ぎてて創作ならば「嘘臭い」と却下されそうなストーリー。今こそ再放送して欲しい。「イラクの子・ふたりのアリの悲劇」(http://d.hatena.ne.jp/palop/20040107#p1)も良かったけど、本来「何万人もいる負傷した子供の中から、外国メディアがハンサムで賢い子に独占取材権を払って囲い込んで感動物語を製造し、他の子供は放置されるのは、運命の悪戯で片付けるにはひどすぎない?」というメディア検証が狙いだった作品を、NHKは作品紹介などで「米軍の攻撃で負傷した可哀想な子供の物語」にしちゃったのは、ひどいミスリードだったという自分の意見を変える気はない。
ザ・アンカー ピーター・ジェニングス
我々はどこへ行くのか―あるドキュメンタリストからのメッセージ