パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

イタリア戦プレビュー

トマシュ・ガラセク(以下G):1996年6月14日、それはチェコ代表が歴史を刻み始めた日。チェコ代表がアンフィールドでイタリア代表を破った日です。あれから10年、再び我がチェコ代表はイタリアの壁を越えなくてはなりません。結果によっては、10年にわたった冒険の幕を閉じなければなりません。そこで今回、10年前の当事者であるパヴェル・ネドヴェドとカレル・ポボルスキをゲストに迎え、この10年の軌跡を振り返ってみようという企画です。
パヴェル・ネドヴェド(以下N):っていうか、お前は誰だよ。
カレル・ポボルスキ(以下P):そうだよ、日本のサッカーファンはお前のことなんか知らないぞ。
G:おい、お前らひどいな。日本じゃ、海外サッカー専門の雑誌が4つも5つも発行されてるらしいから、チェコ代表キャプテンにして、この5年ほどアヤックスの精神的支柱と呼ばれた俺を知らないわけないだろ。
N:でもさ、アヤックスでインタビューされるっていえば、ファールトやメイデやピーナールスナイデルやキブーやズラタンだろ。
P:そうそう、チェコ代表なら俺とかカレル、それにドルトムントコンビばかりだからなあ。「ガラセク」でググっても、出てくる記事はヤング・アヤックスチャンピオンズリーグで2次リーグを通過した時のインタビュー(http://www.ocn.ne.jp/sports/soccer/tpx/sc_0015.html)の1件だけだぜ。なあ、自己紹介しろよ。
G:うーん、悔しいが反論出来ないので、仕方ない。やあ、日本の皆さん、俺の名はトマシュ・ガラセク。1973年1月15日生まれの33歳。若手育成に定評のあるバニク・オストラバで育った。レプカやハインツ、ヤンクロフスキバロシュも可愛い後輩だ。96-97シーズンからオランダのヴィレムへ移籍し、名将コ・アドリアンセのもと、チャンピオンズリーグにも出た。00-01シーズンにはそのコ・アドリアンセに誘われてアヤックスへ移籍し、大車輪の活躍をした。来シーズンからはニュルンベルクでプレーする。そんなところかな。よし、折角だから次はお前らの自己紹介だ。
N:パヴェル・ネドヴェド、1972年8月30日生まれの33歳。2003年バロンドール受賞。以上。
P:カレル・ポボルスキ、1972年3月30日生まれの34歳。天才ドリブラー。以上。
G:って、それだけかよ!
P:他に何かある?
G:いや、自分で天才とか言うなとは言わないけど、もう少し愛想とかあるだろ。
N:いちいちうるさいんだよ、お前は。1コ下のくせに。早く本題に入れよ。大体、お前はEURO96に出てないじゃん。本来ならスミチェルが参加するはずの座談会に、無理矢理混ざっているんだから、大人しくしてろ。
G:はいはい、それじゃあ始めますか。

G:といいつつ、ユーロの話をする前に、その前史から紐解いてみようかと。
P:前史って何だよ。
N:あれだろ、ユース時代の話だよ。
G:その通り。記録によると、我々の世代が最初にイタリア代表と対戦したのは、多分1994年3月のU21欧州選手権決勝トーナメント1回戦。この頃はまだ、チェコスロバキア連合チームでした。ベイブル、ネドヴェド、ポボルスキなど1972年生まれ組のなかに、俺やスミチェルなど73年組も混ざっています。いかに俺が才能ある若者だったかの証明…
P:お前の話はいいんだよ。結果はどうだったっけ?
G:結果はアウェイで0-3敗戦、ホームで1-0勝利。マルディーニ父が率いたユース代表は当時欧州最強と云われ、トルド、カンナヴァロパヌッチヴィエリインザーギデルピエロなど、反則級のメンバーが揃っていたから仕方ない。こちらは、ようやく世界へ羽ばたこうというチェコの田舎者だったからな。
N:明日対戦するイタリア代表で残っているのはカンナヴァロとデルピーくらいだな。あいつ等、覚えているだろうか。
P:デルピーって、あの頃から禿げてたかな?
G:いやあ、禿げだしたのは、ヤクを使うあのチームに移ってから(ボカッ)痛ぇ!
N:それ以上、ユヴェントスの悪口を言ったら、俺は帰るぞ。
P:まあ仲良くやれよ。とにかく、俺達の世代でダントツに才能があったのはドゥボフスキだな。あいつは21歳でレアル・マドリードに移籍だからな。スロバキアと分裂する前はよく一緒にプレーしたもんだよ。
N:ああ、懐かしいな…って、なんだかしんみりしちゃったな。

N:さて、俺達がユースからフル代表へ順調に進み、ユーロ96を目指していた頃、ガラセク君はオストラバの田舎で燻っていたわけだが…
G:違うわ。俺だって1995年にはフル代表へ招集されとるわ。まあ全然定着出来なかったけど。それはともかく、俺は次のU21代表でも当然のように招集され、キャプテンも務めている。やはり「生まれついてのキャプテン」と呼ばれているのは伊達じゃないな。
P:どうせ、生まれが一番早かったからとかじゃないのか?
G:また皮肉を…。とにかく、俺にとってU21最後の試合は1996年3月の欧州選手権決勝トーナメント1回戦スペイン戦(http://www.fotbal.cz/c/nat/21/1996/match3.asp)。このスタメン表をみると、どうやら俺はセンターバックか右サイドバックだったらしい。
P:お前のポジションって資料だけみると謎だな。若い頃はどんな選手だっただろうな。どれどれ(資料を覗く)…おっ、何だコレ。「レプカ24分警告、48分退場」って、またあいつかよ! 若い頃から底抜けの馬鹿だな。
G:当時、ラウールとデラペーニャを擁して欧州最強と云われたスペインを相手に、アウェイの1stレグを1-2で落としたから、ホームのこの試合に賭けていたのに、例によって例の如くだからな。そりゃあ、ネドヴェド復帰待望論、ベルガー復帰待望論はあっても、レプカ復帰待望論って出てこないよな。

G:さて、ようやくユーロ96の話ですが。
N:初戦のドイツ戦はひどかった。このまま全敗して帰るかと思った。
P:だが、2戦目で俺がマルディーニをチンチンにしてやった。
G:一般的にはそういわれてるけど、あれって決勝トーナメントを見据えてターンオーバー噛ましたサッキのミスだろう?
N:27分にアポローニが退場して10対11だったしな。
G:主審がロペス・ニエトだったし。
P:そんなことはどうでもいいんだよ。大切なのは、ドイツ戦まで「ポボルスキとベルガーの同時起用は難しい」とか言って、びびってたウーリンが勝つために開き直ったことだよ。
N:確かにイタリア戦で中盤が固まった感はあったな。サイドにラタルとネメツ、中央で俺とベイブルが締め、2列目からカレルとベルガーが飛び出す。3-6-1のカウンター戦術が確立された。
G:3戦目のロシア戦は、終了間際にスミチェルの同点弾。得失点差ではイタリアより下だったのに、当該国同士の成績優先というレギュレーションに救われた。
P:そして、ポルトガル戦は俺のスーパーループが炸裂。あの試合は6月23日だったから、明後日で丁度10年か。もう一回狙ってみるか。
N:ユーロで活躍した甲斐あって、ユーロ後はみんなで西側へ移籍したけど、ちゃんとした成績残せたのは俺とランスへ行ったスミチェルくらいだったな。
P:仕方ないだろ。「君をカンチェルスキスの後継者と考えている」なんて口説かれたから、ノリノリでマンチェスターへ乗り込んでみれば、右サイドにとんでもなく正確なクロスを上げるハンサムボーイがいるし(いや、お前もハンサムだから)、イギリスは寒いし(いや、チェコも寒いから)、こりゃ南国ポルトガルでも目指すしかないだろうって。
N:アトレチコへ行ったベイブルも残念だったけど、一番悲惨だったのはデポルへ移籍したコウバだな。あの頃はNHK-BSでリーガエスパニョーラを放送してたけど、デポルの試合だとソンゴウしか記憶に残ってねえよ。
P:だけど、パヴェルは長いことイタリアにいるよなあ。どこがそんなに気に入ったんだ?
N:俺くらいのサッカー馬鹿だと、あれくらいサッカーに狂っている国が丁度良いんだ。
P:だけどさ、ローマの優勝を見たくないからって、自分のクラブの負けを祈っているラツィオサポを見た時に、俺は愛想が尽きたよ。
N:まあ、そう言うなよ。俺がスパルタにいて、カレルがスラヴィアにいた頃のプラハダービーを思い出してみろ。クラブへの情熱はどこだって同じさ。
P:そんなもんかな。ところでトマシュ、お前はスパルタかスラヴィアに所属していたことがあったっけ?
G:いいや、俺はオストラバから直接オランダだから。
P:やっぱりな、だからトマシュはずっと地味なんだよ。大体、お前はいつオランダに移籍したんだよ?
G:96-67シーズンからだから、ユーロの後だね。オストラバの頃にヨーロッパカップ戦でオランダのクラブとあたった記録もないし、何で移籍話があったのか、正直よく分からないんだ。
N:そりゃあ、あれだよ。ユーロの活躍をみてヨーロッパ中が「チェコ人なら誰でもいいや」って風潮になったんだよ。
P:なんだ、トマシュ。お前が西側へ移籍出来たのは、俺達のお陰じゃないか。
G:・・・

N:さて、ユーロの後は、WC98予選敗退、EURO2000は2連敗で終了、そしてWC02もプレーオフで敗退、と思い出したくない出来事が続くわけだが…
P:EURO2000は、UEFAの犬コッリーナがオランダにPK与えたのが悪いんだよ。…で、ガラセク君は相変わらず代表の当落線上をウロウロと。
G:カレル、俺達、1998年に日本へ行っているんだが、覚えているか。キリンカップというやつだ。この時のチェコは初戦のパラグアイに勝ち、引き分けでも優勝出来る日本戦(http://www.fotbal.cz/c/nat/AM/1998/match4.asp)では注文相撲の0-0で見事に優勝。いわば日本にサッカーのレッスンをしてやったってところだ。
P:ああ、覚えているよ。確か、うちの大使が「ヒョーショージョー」言いながら、ボヘミアングラスをくれたんだよな。
G:バカ、それはテレビで見た大相撲だ。賞品はキリンビール1年分だろ。ちなみに、プラハのスポーツバーへ行ったら、アイスホッケーの放送が流れてる隣の画面で大相撲中継やってるから、チェコ人にも相撲はお馴染みだったりする。チェコ出身の隆の山って力士もいるので応援してやってね。
P:どうでもいい豆知識だな。

N:さて、相変わらず親善試合や重要度が低い予選には呼ばれるものの、結局代表に定着出来ないガラセク君だったが…
G:例えば、ホバネツ政権末期の2001年6月、北アイルランド戦(http://www.fotbal.cz/c/nat/AM/2001/match6.asp)のメンバーをみると、これまた右サイドバックでの起用くさい。この記事(http://www.fcjapan.co.jp/mail_magazine/news/view.php3?id=1322)を読むと、俺はアヤックスでも中盤の右サイドをやっていたみたいなんだよ。
P:ってことは、俺のライバルか。でも、その鈍足じゃあ、アヤックス風のサイドは出来ても、チェコのサイドは出来ないだろ。
G:まあ、俺の特徴を見出してくれる救世主の話は後にして、少し若い奴らの話もしよう。2000年6月4日、U21欧州選手権決勝(http://www.fotbal.cz/c/nat/21/2000/match7.asp)、率いるのはカレル・ブルックナー。現代表メンバーだと、シオンコ、ウイファルシ、ヤロリム、ハインツ、ヤンクロ、バロシュグリゲラ、ポラクか。結構いるな。
P:どれどれ、イタリア代表には、アッビアーティガットゥーゾ、コマンディーニ、バローニオ、ピルロ、ココ、ザネッティ、チリッロ、ヴェントゥーラか。現代表で生き残っているのは、ガットゥーゾピルロくらいだな。年代別代表に入っていなくてもセリエに出ているうちに伸びてフル代表に呼ばれる奴が沢山いるんだから、イタリアの層が厚いのも当然か。ウチは若手の競争が無さ過ぎじゃあないか。純粋培養過ぎるというか。
G:この試合は1-2で負けている。ヤンクロ達にとっても明日はリベンジということになる。頼むぜ、若造ども。ちなみにこの世代は欧州第2代表として同年のシドニー五輪にも出場している。結果は初戦米国戦に引き分け、次のクウェートに負け、最後はカメルーンと引き分けて1次リーグ敗退。全体的に相手を舐めてかかってた感があり、遅ればせながらカメルーン戦は全力で懸かったけど、相手は優勝国だったと。
P:その教訓を活かして、今回の米国戦では最初から全力で襲いかかったというのなら、結構なことじゃないか。
G:そうだな。1位で抜けたら日本と、2位で抜けたらブラジルと、という状況も何か似ているが、1次リーグ敗退するところだけは真似たくないな。で、この下の世代もイタリアと戦っている。2002年5月25日、U21欧州選手権準決勝(http://www.fotbal.cz/c/nat/21/2002/match6.asp)で、この時はPKの末に勝ち、続く決勝でもフランスにPK勝ちし、堂々の欧州チャンピオン。メンバーはチェフ、イラネク、グリゲラバロシュロゼフナル、ポラク辺りだ。
N:マジであいつ等は凄いよ。経験豊富で、全然物怖じしないし。確かに経験はまだ足りないかもしれないけど、ゼレンカやヴァホウセク、ユンなんかも含めて次世代は期待出来ると信じているよ。
P:そういえばさあ、ブッフォンとチェフって、どっちが上手いの?
N:ノーコメント。

G:そろそろ、まとめに入るとするか。ブルックナー新政権が誕生して最初のイタリア戦は2002年5月18日で、1-0でチェコが勝利した。イタリアにとってはワールドカップの準備試合だったとはいえ、これで新生チェコの評価が高まった。俺もブルックナー監督のもと、常時代表に呼ばれるようになったし、何よりも、中盤の底という天職を見出した。最初に紹介したインタビュー記事にも「チェコ代表の試合で初めて(守備的ミッドフィルダーとして)プレーして以来このポジションに馴染んできて、アヤックスでもそのまま同じ位置につくようになった」とあるように、ブルックナーが俺を中盤の底で起用してくれたこと、同じ頃(2001年11月)ヴィンテルを押し退けてまで俺を右サイドで使ってくれた恩師アドリアンセアヤックスを解任されたこと、そんな偶然が積み重なってライカールト系譜を継ぐアヤックスの4番を背負うことになった俺がいる。運命とは不思議なものよ。
N:運命を引き寄せるのは努力だ。そう思って俺は毎日練習してきた。そして、俺達は長年一緒にやってきた。だから俺達は強い。
P:そうだ、俺達は強い。俺達は10年前イタリアに勝っているし、今度も勝つ。
G:お二人から力強い言葉が聞けました。もちろん俺もやります。皆さん、決勝トーナメントで会いましょう。それでは。

(※この座談会はフィクションです)