パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『Vフォー・ヴェンデッタ』

5月1日、毎週月曜日は1000円ということで『Vフォー・ヴェンデッタ』を観に行った。『Vフォー・ヴァンペッタ』とか『ヴェンデッタQ』とか下らない駄洒落を作って馬鹿にしていたがなかなか楽しめた。なるべくネタバレしないように色々書いてみる。
正直『スポーン』や『ブレイド』のようなSFな世界観を提示されると、見るのがしんどいかもと危惧していたのだが、ドラマ性重視で良かった。核戦争後の未来とかどこか架空の国の話ではなく、現代イギリスを舞台にしたセンスが素晴らしい。道路や建物からテレビ番組の雰囲気、暴動を鎮圧している警官が今と同様の馬に乗ってイエロー蛍光服着用とかまで、いま存在する日常風景と地続きなのに、あの政治体制になっており、しかもそれに違和感がない。設定の落とし所が上手いのだろう。以前NHKで放送していたイギリス製の政治風刺ドラマ(『野望への階段』だったか)とか『フィッツ』と似た架空設定ドラマの感覚で見る事が出来た。更にいえば、20年くらい前にNHKで放送された衝撃の原発ドラマ『刑事ロニー・クレイブン』と同じテイストを感じた。
むしろ、映像美満載なアクションシーンがドラマ部分とのバランスを悪くしていた印象。ただでさえ粗筋が分かりにくいのに、流れを説明するべき場面でスタイリッシュな画作りに流れるのはどうか。よく知らないが製作陣お得意らしいSFXはもっと控えめでも良かったのでは。
観客が特殊な世界観へ馴染み易いように、敢えてタイプキャストにしたと推測。スティーブン・レイはニール・ジョーダン絡みで沢山しょぼくれた追跡役をやっていた記憶があるが、個人的にはロシアの連続殺人鬼を追う刑事役と被った。スティーブン・フライは『オスカー・ワイルド』そのままだったし、少し社会から外れたおっさんに人生を教わるナタリー・ポートマンは『レオン』を想起せずにはいられない。
ナタリーのおでこは相変わらず世界遺産級の美しさだが、こういうテンション高い役ばかりやっていると、シガニー・ウィーバーみたく現実感のある人間役が出来なくなってしまうのではないかと心配になる。黒歴史になることを厭わず、敢えて20代になる前にお馬鹿ティーンズムービー主演作を残して欲しかった。余談だが、ムービーなんたらという雑誌に掲載されていたナタリーのインタビューを読むと、ナタリーの祖父はポーランドシオニズム運動活動家だったらしい。これは初耳。

折角の機会だし、政治絡みの感想も少し書いておく。
余所で「あんな低コストの独裁者がいるかよ、リアリティ無さすぎ」という感想も読んだが、「今から十数年後、誰もが少しだけストレスと罪悪感を持ちつつ、それなりに平穏な社会を監視するチープな独裁体制」というのは、なかなかのリアリティだと思う。成文憲法がないイギリスも舞台としてふさわしいし。旧東ドイツの話なんかを読むと、相互監視社会というのは人海戦術に頼らないと出来ない面(国民の3人の1人が密告者とか)も多かったようで、その意味で国民の多くが体制の共犯者といえなくもない。テクノロジーが発達すると、独裁にかかる人的コストが少数のメディア機関と治安機関で維持出来そうな感じだし、体制維持にかかる人数が少なければ、一般人に与えるストレスも小さくなる(街角に警官ウジャウジャと監視カメラウジャウジャの違い)だろうし、目に付きにくければ一般人の体制加担意識も弱くなるのではないだろうか。
うらぶれた地方都市住民の1人として、国会議事堂前に集まるのが革命の象徴というのには違和感を表明しておく。90年代前半のユーゴでベオグラードのインテリ学生が自由や民主主義を求める反ミロシェビッチのデモや集会をやったけど、あまり盛り上がらなかった。その後00年代になって、経済制裁の影響なんかで生活が逼迫する中で行われた反ミロシェビッチデモは地方の農民なんかも巻き込んで見事成功。現代はテレビ等のメディアを使って情報統制をするから、首都圏でも地方でも受け取る情報量に差はないように思われるかもしれないが、物理的な距離というのは結構馬鹿に出来ない。たとえば反政府デモ組織者から「首都人は議事堂前に集結するから、地方人はそれぞれの県庁・市庁舎前にでも集まって意思表示をすべき」と言われても、この映画のように独裁者以外の体制側に顔がないとなかなか難しい。地方それぞれに独裁者直属の秘密警察がいるわけでもなし、独裁者への個人崇拝を強要しているわけでもない。映画内の治安警備隊や警察は、当然独裁システムの維持に努力をしているけど、それはいわゆる職業意識の高さから来るものであって、私兵という感じではない。政体への批判なのか、独裁者への批判なのか、見極めるのは難しい。県庁や市庁舎に押し掛けるとミニ独裁者がふんぞり返っていれば分かり易いけど、実際には現体制以前から結構地元で親しまれ、尚かつ中央の独裁者とパイプを持っている名士なんかだったら、縛り首に出来るだろうか。その辺の境目の無さが、近未来の独裁体制の怖さだろうか。強固な組織ではなく、目に見えない心理的で緩やかな圧政は意外と倒しにくいのかもしれない。