パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

更新してないのに毎日(以下略

ワールドカップのチケット第3次販売の締め切りだったけど、申し込み画面がうまく表示されないので、面倒になって投げた。
いまさらながら古本で買った『変身革命』と『みんな大好き、チュッ!2』を読む。ちょうど3年前くらいの内容。入手していない過去の遺産でまだまだ楽しめるのは貧しさのお陰。「貧乏をお布施を払わない言い訳にするな!」というお叱りは甘んじて受ける。
ビデオテープに残っていた1年前のNHK-BS2『AMA2004』をようやく消化。面白いライブがあればRAMに残そうと思っていたけれど、期待していたグレッチェン・ウィルソンもファレル&スヌープ・ドッグもあまり印象に残らなかった。
土曜日にWOWOWで放送していた『植村直己物語』をなんとなく見始めたら、物語が面白くて途中で止められなくなった。彼が亡くなったとき自分は9歳で遭難報道もよく覚えているけど、その背後にある生きている頃の流れは知らなかったので、これまでずっと「冒険家」という肩書きというかメディア的地位が今一つピンと来ていなかった。要するに、それまで国や有名大OB会なんかが主導していた探検を、個人がマスコミにスポンサーをお願いする代わりに手記を書いて冒険する時代になり、植村氏はその先駆けとして「国民的冒険家」になったということだろうが、当時のメディアが付ける「国民的〜」がどのくらい国民的だったのか、なかなか想像出来ない。最近ますます、主催するメディアの系列局だけが大きく報じ、他局は無視を決め込むスポーツイベントや文化イベントばかりだけど、例えば植村氏のスポンサーだった毎日新聞社が連日1面トップで「北極圏に到達した」といった快挙を報じているのに、他の新聞社は社会面に小さく載せるだけとか、そういうのがあったのだろうか。或いは一般市民は報道を案外冷ややかに見つめていたのか、それとも結構純真に他人の冒険に感情移入していたのか。彼が遭難して20年経っているし、「植村直己」を昭和・戦後の世相を映した社会現象として語るようなメディア論があれば読んでみたい。