パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

ドーソンズ・クリーク終了

最終回で神レベルの脚本を書いてくれたウィリアムソンに拍手。ジェンの独白なんて「お前が考えている事じゃん、キャラ設定無視じゃん」と言いたくなる暴走っぷりだった。それでこそウィリアムソン。必要ないだろうが、敢えて彼を擁護すれば、ジェンとジャックとドーソンの設定には若き作者の分身がかなり入っている気がする。ジェンの異邦人感覚、ジャックの性的嗜好、ドーソンの脚本家稼業。
開始当初のテーマは「リアル」だったはず。自分の言葉・感情・行動は全て既にどこかで見た事ある何かをなぞっているだけじゃん。具体的にいえば町のビデオ店で借りたありきたりなB級映画に出てくるような。人生はかけがえのないものでもないし、私は交換不可能でもない。きっかけはジョン・ヒューズ大好きっ子のウィリアムソンがパロディし倒したかっただけかもしれないが、逆にパロディを超えて意味を持った。いかにも90年代後半的な匂い。
そういう世界観の上に成り立っているから、登場人物が全員有り得ないほど饒舌で、閉鎖的であるほど、箱庭的なリアルさが際立っていた。アンディの降板以降、様々な準レギュラー級を投入しては馴染めず物語の外へ弾き飛ばされたのも当然。
そう考えると、箱庭から外の世界に飛び出して現実を生きようとした大学生活編が下らないベタな青春物語にしかならないのも当然。結果的には、第4シーズンのラストで高校卒業した後、第6シーズン最後の3話を「数年後の話」として直結させても全く違和感がない。悲惨な第5・6シーズンはなかったことにすべきかもしれない。
そしてラスト3話、ものすごい勢いで箱庭の中へ戻り、とうとうドーソンにあの借り物のような言葉とそれでも生まれる感情に彩られた青春の日々をモデルにドラマ製作させ、しかもそれを見て現在のリアルな感情に気付くという無茶苦茶な多重構造。うまく言語化出来ないのが口惜しい。ちゃんと物語を分析出来る専門家に見てもらい、評を書いて欲しい。
テレビドラマ含め物語というのは登場人物の全てを神の視点から俯瞰し、その全体像を愛でたい自分としては、登場人物の行動に共感出来ないと腐し、性格がムカツクと腐し、容姿が劣化したと腐し、髪型がダサいと腐す海外ドラマ板のドーソンスレにはついていけなかったが、たかが時間潰しの消耗品に作家性だと世界観だと言っているこっちの方が余程キモイのが真実。向こうが正しいテレビドラマの消費方法なんだろう。
ほとんど反響がなかったらしいにも関わらず、最終第6シーズンまで放送してくれたWOWOWにも感謝。ちなみに自分が作ったはてなキーワードも閑古鳥だった。

海外ドラマヲタ兼ハロヲタがいるのか分からないが、

友情よりも最上級の 関係が続いた
これ! といった会話はないけど 気持ちは通いあってる!

いろんな失敗を繰り返して 先を目指した
夢いっぱいの計画たてて まっしぐらに向かって行った

という歌詞が好きな人なら、間違いなくベタで泣けるはず。ネタで楽しみ、ベタでマジ泣き。そんなハロプロクオリティに通じるものがある。