パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

マイケル・ルイス『マネー・ボール』

今年上半期もっとも話題の書、特に巷(といってもリアルワールドの周囲ではなく、ネットの巡回先というのが悲しい)で評判だったので、図書館で借りてみる。
他人の評を読んで個人的に興味を持った部分は「選手を評価する新しい基準」だが、それを抜きにして単純に物語としても凄く面白いことは最初に明言しておくべきだろう。それから、この文章を書いている当人は、小学生までただ漠然とテレビで眺め、中高では実際にプレーしていたのでテレビは見ない、中身を考えながらテレビで真面目にみたのは92〜93年辺りだけ、その後は全く野球をみていない、という人間なので、その辺は割引いて(鼻で笑って)読んでもらいたい。
で、「新しい基準」とは長打率出塁率。詳しくいえば、選球眼があり、四球を選ぶことが出来、ヒッティングした場合は長打になる可能性が高い選手。バントはわざわざアウトを増やす手なのでダメ、盗塁も無駄にアウトを増やす可能性が高いのでダメ。守備力が試合に及ぼす影響は打撃力よりも低い。
これまで日本の野球をこき下ろす場合、「メジャーはスピードがある」「初球から打つ、盗塁するなどチャレンジを恐れない」「選手が走攻守三拍子揃っている」一方で、「日本の野球はバントが多い」「2ストライクまで振らない、消極的」などと言われてきた。それに付随してバースなど偉大な打者を「所詮、メジャーに上がれなかった選手」「足遅くて、守備ダメ」などと貶めてきた。
しかし、日本に来て成功した打者は、(三振かホームランかという奴もいたけど)大抵選球眼が良くて、四球も選び、打てば長打の選手が多い。本書に出てくるアスレチックス基準だと、好選手である。恐らく当時(80〜90年代)、3Aで結果を残しているのに、一向に上から声が掛からなくて日本行きを決意した選手が多くいるのだろう。確かバースなんかも含め日本で活躍した外国人の経歴には、メジャーでの成績が「9月に10試合」という選手が多かった。これはペナントレースが終戦したチームの消化試合で、マイナー選手へのチャンスとして起用されたものの、次年春のキャンプではまた残している結果(数字)ではなく、人(運動能力等)をみてマイナー暮らしをさせられていたのだと推測される。本書でも(投手だが)、結果を出しても認められないので日本行きを考える選手の話が出てくる(但し、これは「こうなったら世界の果てにでも行くしかない」という皮肉な喩えかもしれない)。
選手を見る基準が似ているとはいえ、アスレチックスと日本野球が似ているわけではない。アスレチックスではバントはしないし、長打力(パワー)が重視される。たとえばイチローは打率の割に出塁率はあまり高くない。四球を選ぶよりも、多少難しい球でも当てる。恐らくイチローならば「無理目なコースは見逃して出塁しろ」といえば出来るのだろうが、本人の野球観と合わないだろう。逆に松井ヒデはよく選ぶし、ホームランバッターではないものの打てば長打になる確率も高い。意外に足も速いのはおまけみたいなもので盗塁に対するこだわりみたいなものもないだろう。アスレチックスからお呼びがかかるとしたら松井ヒデタイプの選手だと思うし、もし松井が大怪我をしてNYから放り出されたら、是非アスレチックスへ行くべきだろう。
実際のところ、じっくりボールを選び、走者がたまったら長打で返すアスレチックスの野球は、単純馬鹿のアメリカ人(←あくまで私の想像)に受け入れられているのだろうかと思ったが、本書には観客動員の過去最高を記録した事も書いてある。要するに勝てば官軍だった。やはり単純馬鹿のアメリカ人(←あくまで私の想像)。これまで「メジャーの魅力はスピード感」とか言っていた解説者の立場がない。
但し、アスレチックスはあくまで金がないので上記のような選手を安く集めているわけで、メジャーリーグには「選球眼があり、四球を選ぶことが出来、長打力もある」上で、尚且つ足も速く、守備も素晴らしい選手が存在する。彼らは高額の給料で金持ち球団にいるが、「彼らなんかいなくても勝てるじゃないか」と、その存在を否定するのが本書の本意ではないし、現実、メジャーリーグが彼らスーパースターのいないアスレチックス的な堅実球団ばかりになっても、やはり魅力に欠けるだろう。
「ゴロさばき機械」ことハッテバーグのエピソードで、田淵のことを思い出した。私が小学生の頃買ってもらった『西武ライオンズ大百科』に、彼のマンガが掲載されていたのだが、彼を捕手から一塁手にコンバートした時、広岡監督が「お前はグラブさばきならゴールデングラブ賞だって狙える」と言いながら、ノックをしている場面があったと記憶している(多少記憶に混乱があるかもしれない)。
アスレチックスのGMビリー・ビーンのエピソードも面白い。どんなに能力が高くても性格がプロに向いていないとダメ。ちょっと日本の女子テニスの環境を思い出した(90年代に読んだ話で、今は違うかもしれない)。中学生の頃、軽い興味からテニスを始めたら能力が高くて勝ちまくり。学校の先生が「名門高校に進んで日本一を目指しなさい」というから進学。そこでも強くて、気が付いたら個人で日本一。でも男子と違って社会人テニスの受け皿が整っていないので、その上を目指せばプロになるしかない。いきなり社会に放り出され、自分でホテル・航空の予約にトーナメント参加の申し込みまでしなければならない。海外転戦となれば英語も出来なければいけない。「あれ、あたし世界チャンピオンとか大金持ちとか目指してテニス始めたわけじゃないのに。子供心に好きなテニスが上手くなりたいだけだったのに。何でこんな競争社会に身を置いているのだろう」とバーンアウト。それに似ている。「プレーするのが好き」なのと「仕事として人生をかける」のは少し違うということか。ただ本書の理論でいくと、ビリー・ビーンの問題は性格ではなく、先天的な能力「選球眼」がなかっただけかもしれない。
蛇足として、これはちょっとした懸念だが、これまでは上で通用しないと思われる選手に「足が遅いから無理」とか「体が小さいから無理」などと具体的欠陥を示し、引き際を通告するのも指導者の役目だったのだろうが、今後は「俺はアスレチックス向きだから」と諦めない選手も出てきそう。
それから投手の基準に関しては、あまり興味がない。詳しくは本書で。というか打者の裏返しだから、「奪三振多い」「与四球少ない」「被本塁打少ない」「打球がアウトになるかヒットになるかは運なので、被安打は重要ではない」といった感じ。当たり前といえば当たり前に好投手の条件だし、「結果残しているけど、球遅いからダメ/フォームが変だからダメ」とか言っているのだとしたら、もしかしてメジャーって馬鹿?
本書に登場するケン・モッカ、マット・ステアーズ、マット・キーオなどの名前が懐かしい。
近頃はYahooのサイトなんかに全選手の出塁率長打率が掲載されているのを知って驚いた。便利な世の中になったものだ。