パロップのブログ

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U-23日本代表(男子)に関して

まず、他競技との兼ね合い(数のバランス)なのか、中2日・11人で試合を行う競技の登録人数が18人であること自体おかしい。仮に2連勝して決勝トーナメント行きを決定しても、3試合目に4人は先発出場しなければならないわけだから。これだと、監督も大会を通した戦略を立てにくいし、どう努力しても結果は気候や判定などある程度運に左右されることは否めない。加えて五輪のレベルなんて、参加国の力の入れ具合でどっちにも転ぶ。
「五輪というコンペティション自体頭がおかしいのだから、力を入れることないじゃん」というのも1つの見識だけど、国内で五輪の人気・期待がある以上、日本では力を入れざるを得ない面もある。では、どの方面に力を入れるのが良いか。
さて、1981-82年生組の実力は前後の世代に比べてそう落ちるものではない。仮に国内リーグ選抜チーム(B代表)を結成しても、かなりメンバーは重なると思う。しかし「谷間の世代」というメディアの誤用に引きずられた感もあるが、彼らは長い間、目に見える結果がないこととあわせて、自信が持てないでいる。
これらを踏まえて五輪代表で選択されたのは、良いサッカーではなく、世間に分かり易い結果=メダルを獲るサッカー。元々表面的な数値をみれば、前回ベスト8、フル代表でも2年前のワールドカップでベスト16の国が、それ以下の能力と見なされている今回メンバーでベスト4に入ると考えるのは、高望みのはず。しかし2年前から山本監督が「メダルが目標」と連呼したことで、メディアにも「結果にはメダルが必須」と錯覚させ、候補対象となる選手にも「メダルを獲得すれば、コンプレックスから解放される」と錯覚させた。
仮に1次予選終了(確か2003年5月頃?)辺りからメンバーを(最後の枠を2〜3空けておくくらいまで)固定し、戦術やコンビを熟成させても、前記のようなコンペ条件から、良いチームを作ったものが馬鹿をみるとまでは言わないが、それが結果に繋がるとも思えない。それならば、最後まで枠の門戸を開き、同世代の選手にチャンスを与えることで、国内リーグでのモチベーションを高めるのも1つの方法。山本監督自身は「2006年に繋げる」とばかり言っているが、実際にフル代表に上がる選手、或いは海外に移籍する選手はせいぜい4〜5人で、残りは国内クラブで中心となるべき選手だろう。
個人的な意見だが、代表は少数精鋭で強いよりも、沢山の選手が召集されて欲しい。特に五輪代表は、1度キャンプに呼ばれた選手、予選に1回出場した選手こそ、国内クラブのレギュラー選手として長く活躍し、若い選手に代表の素晴らしさや高い目標を持つ大切さを伝えて欲しい。アトランタ五輪世代(1973-74年生)は少数精鋭で挑戦した記憶がある(個人的な印象だから誤っているかもしれない)。その少数の主力が後に転けた時、ペンペン草も生えないのでは悲しい。今29〜31歳くらいの彼らで、J1の主力といえば、磐田の3人、上村、伊東テル、遠藤兄くらいなのは、もったいない。
以上、山本監督が組織の熟成よりも個々の競争を重視するチーム作りを選んだ理由として、主に「大会の性質上、結果にはギャンブル性がつきまとう」「同世代選手の意識活性化を図りたい」の2点を挙げてみた。これは「メダル」という結果が付いてこなければ、待望される「該当世代全般の自信」も獲得出来ないわけで、選ばれなかった選手にも「俺たちの世代って、本当にダメなのかな」感を植え付けるかもしれない諸刃の剣。
とはいえ、那須/浩司、今野/浩司、浩司/松井など左サイドではデュオレベルでの動き方に「気の利いた」コンビネーションを感じたし、数試合に1度は、75〜85分辺りで、相手の足が止まった頃に3〜4人の鮮やかなコンビネーションが見られたこともあった。これに伸二を足せば、数週間の準備期間中、何かの拍子に奇跡のような魔法のような何かが突然生まれる可能性もあるだろうと、このチームには結構期待している。「結局、魔法頼りかよ!」と言えなくもないが、山本監督も魔法が生まれる下地は準備してきたと思う。
蛇足として、鈴木が外れたのはサプライズだったが、もしかすると国内リーグとの兼ね合いで、各クラブから出せるのは2人ずつという裏設定を守ったのかもしれない。だとすれば、浦和から両田中は外せない。広島とFC東京は3人(FC東京は徳永を入れると4人だけど)出しているが、林(広島)と石川(東京)はクラブでも控えだからOKとか。浦和ほか広島以外のクラブでの出場実績とか詳しくは知らないので、間違っていたら申し訳ない。