パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS2『アクターズ・スタジオ・インタビュー』「デブラ・ウィンガー自らを語る」

2003/7/23初回放送、50分、2002年、ブラボーTV/ザ・モーメント・プロダクションズ制作
1955年オハイオ州クリーブランド生まれ、母はリトアリア系/父はハンガリー系、父は精肉会社のオーナー、カリフォルニアへ移住、ジェームズ・モンロー校(趣味は読書で内向的)、15歳で卒業後中近東を旅した後、カリフォルニア大で兄と学生運動、バイト中にトラックの荷台から落下して一時的に失明、地元演技講座で女性講師リュー・ドレスラー&マイケル・ガッツォ(アクターズ・スタジオ卒業生)に師事
TVシリーズ『ワンダー・ウーマン』(1976年、ギャラを注ぎ込んででも辞めたかった役)、『恋のスランバー・パーティ(Slumber Party '57)』(1977年、若い娘には酷な役、日本未公開のはずなのに邦題があるのは何故)、『アーバン・カウボーイ』(1980年、出世作、ジェームズ・ブリッジズ監督に全てを教わる)、『愛と青春の旅だち(An Officer and a Gentleman)』(1982年)、演技の準備が好きだが過ぎた事は気にしない質、『愛と追憶の日々(Terms of Endearment)』(1983年、初のブルックス監督作品、自分から演じたいと名乗り出る)、『シェルタリング・スカイ』(1990年、ベルトリッチは愛すべき偏屈)、『欲望(A Dangerous Woman)』(1993年、知的障害者役)、『永遠の愛に生きて(Shadowlands)』(1993年、アンソニー・ホプキンスと共演、アッテンボロー監督)、『Big Bad Love(未)』(2001年、プロデューサーを引き受け、夫アーリス・ハワード(Arliss Howard)が企画・監督)、ここでハワード氏とアクターズ・スタジオのボブ・ケリー学長が紹介される、これから映画界を目指す女性に向けてメッセージを送って終わり
デブラ・ウインガーを探して』(2002年)の宣伝関連だと思われ。ややジョディ・フォスターっぽい。これまで何の関連もない映画にやたら『愛と〜』と付けるのはどうかと思っていたが、こうして原題を並べてみると、確かにカタカナ邦題よりも別個に邦題を付けた方が良さげではある。
ネット検索ネタ:夫と知り合ったのは多分『Wilder Napalm』(1993年)のはず。IMDBによるとダメ映画らしい。ダメ映画で共演すると距離が縮まる法則の予感(現場がゴタゴタするからとか)。