パロップのブログ

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自分の事

WOWOW楽園をください』(11/20放送分)。私がアウシュビッツを見た時に思ったのは「真夏の直射日光が暑くて死にそうだ、いわんや重労働なんぞやったら確実に死ぬ」というものだったが、実際、一般人が資料映像としてみかけるのは、わざと光量を抑えて暗めにし、出来れば雪積もる冬の凍えそうな風景だったりする。この映画の映像は「光溢れる南部の自然」も含めてとても綺麗だが、それは『シン・レッド・ライン』のような「美しい自然に比べたら人間なんてちっぽけだよ」と言いたいがための映像ではなく、むしろ『火曜サスペンス劇場』のようなピカピカした明るさが「戦争が行われるのは、過酷な自然環境たる山の中でもなく、地獄のような敵の陣地内でもなく、うす暗い塹壕の中でもなく、日常の延長線上のような隣の家だったりする事」を表現している気がする。「正義の戦争」を行うには、自分たちの正統性を頭ひねって考えるよりも、(たとえ正規軍であっても)とにかく相手を「ならず者」とレッテル貼りする方が簡単だということを、アメリカ軍は100年も前から知っている。最初は「ピューリタン=正義、それ以外=ならず者」だったのが、段々と正義の割合が増え、ならず者の割合が減っていくのが米国の歴史なのだろうが、『ドクター・クイン』に出てくる北欧移民、『天国の門』に出てくる東欧移民、多分『ギャング・オブ・ニューヨーク』のアイリッシュも、結構白人のくせに正義の側に統合されるのが遅いなあ、という印象がある。エルロイ小説に出てくるドイツ移民なんかもそうだったし、この映画でもドイツ人はハミだし。南北戦争はイギリス系の内戦だったのか。高校の世界史で習った記憶のある「ミズーリは南北どっちに転ぶか」なんて話も、教科書に載るのは州政府の公的な判断だけだが、一般人にしたら身内で敵味方に分かれるとか、正規軍とゲリラの違いだとか、グレーゾーンの沢山ある戦争である事が分かる。米国に、いわゆる「南北戦争ヲタク」がいるのも頷ける。というわけで、自分の個人的体験から始まって他の映画を引き合いに出す「いかにも映画評」みたいなものを書いてみた。
BSフジ『ザ・ロングインタビュー』「フローラン・ダバディ」(11/30放送分)。本放送では90分くらいあったのを、45分くらいにまとめたダイジェスト版。だらっと番組を見たのと、『タンポポの国に〜』を読んで思ったことを適当に(最新作は読んでいない)。ダバディトルシエに「話し方教室」なんかをやったという話。ダバディは幼少から上流階級のお仲間に「サッカーなんてレベルの低い連中が楽しむもの」と思われているのが癪にさわっているようで、その結果、知性も人間性もはあるのに、所詮「肉屋の息子」レベルの教育しか受けていないトルシエが、語彙や言い回しだけを取り上げて、スノッブ連中にからかわれる状況を想定して教え込んだようだ。仮にスノッブ連中のパーティに出たトルシエに対し、その連中が(教養と呼ばれる)内輪だけで通用する慣用句やら故事やらを引用してトルシエをからかい、クスクス笑おうと企んだ場合、普通「フィリップ、あんな奴らの言う事なんか気にするなよ」と言うもんだと思うが、ダバディの場合、トルシエの方が相手の舞台に上がり、より気の利いた言葉で切り返すことで、連中の鼻をあかしてやるのが、最高のユーモアセンスだと考えているのだろう。しかしそれはトルシエのためというより、ダバディ個人の復讐劇ではないのか。トルシエ監督時代の記者会見で、トルシエが記者の質問に対して人を食ったような返答に対し、「トルシエはエキセントリックだ」「いやいやフランス人というのは、常に予定調和でないトンチで攻めの姿勢をみせるものらしい」などと議論されたものだが、もしかすると、あれはダバディ仕込みの「上流階級的不遜なユーモア(態度)」だったのかもしれない。
WOWOW『第12節・インテルブレシア』を耳で聴く。スルニチェクはベンチからも消えた。怪我なのか、干されているのか。