パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

ヒュンダイ・カップ総括

ヒュンダイ・カップについて日記でもいろいろと書いたので、ここは一つ頭を冷やした上でまとめのようなものを書いておきたい。
〈私の立場〉
親が隠していない限り、日本生まれの日本人。ただ私は5〜6歳頃に、初めて憧れたスポーツ選手が西武ライオンズのテリーとスティーブだったというある意味、自我も知識も歴史観も持っていない頃からの外国カブレ、西洋至上主義者なので、日本人だから当然日本代表を応援するという発想はない。よって日本より良い成績を挙げた韓国に対して腐す思いもない。ちなみに私は「日本のサッカーは糞、やっぱイタリア(スペイン)だぜ」とも思っていない。私はサンフレッチェの応援をしている。愛情のようなものがあるとはいえないが、94年の優勝に始まって、今のチームが形作られる流れを眺めていたら、ある程度の愛着は沸く。私はそれを「思い入れ」と呼んでいる。「好き」ではなく「思い入れがある」として使う。だから森保が出ている日本代表への思い入れと同等に、ノジュンユンのいる韓国代表へ思い入れがある。日本で暮らし、日本語を第一言語にして暮らし(逆にいえばその他の言語に疎い)、日本語情報の洪水を浴びれば、ある程度は日本代表に思い入れがあるくらいのもの。ついでにいうと、私は「イングランドのユニを着て、God save the Queenを歌う日本人」を全く否定しない。日系4世のクリスティ・ヤマグチがアメリカの国旗を振って自国を応援している横で、白人のおっさんが「てめえは日本でも応援してろ!」ということに正当性はあるだろうか。人種・民族・見た目で国籍が固定出来るわけではない現実社会があるのに、「サッカー国籍」が変更可能・選択可能でないことがあるだろうか。「当のイングランド人が『自国の代表を応援していない日本人はおかしい、グローバル・スタンダードではない』といっているではないか」という反論をする者もいる。それは単に「当のイングランド人」が偏狭なナショナリストであるということでしかなく、「当のイングランド人」が「代表はそこに属するコミュニティの人間しか応援してはいけない」と考えるのも、ミーハーな日本人が「好きな国の代表を応援したい」と考えるのも、等価であるべきだろう。
ヒュンダイ・カップの問題点〉
(1)韓国上層部が審判を買収した
ジョアン・ピントが今ごろヒュンダイの高級車を乗り回しているのではないかと疑いたくなる程の間抜けさを発揮したポルトガル、フィジカル・コンタクトが全て相手有利に扱われるのは開始3分のココへの警告で分かり切っているはずなのに、敢えてフィジカル勝負に行き、あまつさえ1枚警告を受けているのにPKを貰いにいった馬鹿トッティを遣ったイタリアなど自業自得な面もあったし、単に審判のレベルが低いだけだったかもしれない。また、審判を買収するにしても単に現金を渡すような真似はしない。現代自動車の工場がエクアドルだかコスタリカに新設されるとかいう話も出てきた。国家レベルの援助と審判個人の買収に関連があるのか? ワールドカップに出てくる審判はまあその国でも最高の評価を受けていることだろう。誰がその評価をするのかといえば国のサッカー協会推薦という部分が多々あるだろう。サッカー協会にはスポーツ省やら行政府から人が送りこまれていることだろう。国の代表審判になるってことはその国のお偉いさんから覚えめでたくなければならない部分もあるはずだ。岡田氏や高田氏が協会批判をしたことがあるか(もちろん、彼らのレフェリング能力は認めた上で)。コッリーナ氏が国際的に評価が高いのはお偉いさんに都合の良い笛を吹くからだ、と少なくとも『オランダ対チェコ』を目撃したチェコ好きは思っている。何にしても完全に金品による買収なんかしなくても、今後のお付き合い、人脈等いくらでも有利な判定を導く手段はあるし、それを証明することなんて出来ない。この件は、証拠不十分で却下。
(2)選手達がひどい
「審判の問題で素晴らしいプレーをした選手を貶めるのはよくない」という声に対し「選手もひどいぞ」という反論もある。「ホームで有利な笛が吹かれるからといって、故意に相手選手の頭を蹴って良いものか」→試合に勝つためには有利な状況をつかって当然。「スケート・パフォーマンス、フィーゴ八百長捏造、イタリアと口喧嘩などアホ過ぎ」→人間として未熟なのとサッカーは関係ない。そんなこといったら、アネルカとかカターニャとかアネルカとかダリオ・シルバとかアネルカとかサッカー出来なくなるよ。よって無罪。
(3)観客がひどい
あの「デーンパミンゾク」を盛り上がっているととらえるか、頭おかしいととらえるかは人それぞれ。韓国とは関係ない試合でしていたという怒りの証言もあるが、私が見に行った『ロシア対チュニジア』では、ロシア野郎が試合の最中に、ウェーブを起こそうとしつこく起動を繰り返すので、試合を真面目に見たい私はかなり腹が立った。サッカーが盛んな国の人間が見方をよく知っているわけではないし、むしろ正しい見方はないといった方がよい(ロシア人だって退屈な試合に対する皮肉だったのかもしれないし、単なるお祭り気分かもしれない)。相手国の国歌に対するブーイングは珍しくない。『日本対ユーゴ』戦で、ピクシーが日本国歌の時ブーイングするユーゴ・サポに合図を送って黙らせた。そのピクシーだってクロアチア国歌の時も「敬意を払え」とはいわないだろう。むしろ、無知蒙昧な愛国心から来るブーイングは嫌いではない。嫌いなのは、フランス人がビリッチに行った「正義感づらしたブーイング」の方。よって無罪。どうでもいいことだが、中学高校とレベルの低い野次のやり取りが当たり前の野球部で育った人間としては、ドイツ=ナチス、クローゼの遺影なんてネタとして面白いとしかいいようがない。ナイーブな人は、とりあえず亡命ロシア人として野次られまくり、遂に無の境地に達したと思いきや、高校最後の夏、「お前の父ちゃん、人殺し!」(←まあ事実だったわけだが)という野次に動揺し負けたスタルヒン物語でも読むべき。
(4)日本のメディアがひどい
結局はこれに尽きるのだが、上の1〜3のようなことに一切言及しない。圧力があるのか、自主規制があるのか、考える頭がないのか。私は上の3つに対し、問題点として挙げた上ですべて無罪(とるに足らない)とした。けれでも表のメディアでは、なかったことになっている。仕方ないから裏のメディアで取り上げるしかない。表のアンチとして取り上げるわけだから「審判の問題だけど、問題なかったよね」となるはずもなく、取り上げること自体が負のエネルギーの蓄積なわけだから、いわゆる「嫌韓」になるのも必然。
「韓日共同開催」という建前上、「韓国を応援すべきだ」という論調をとる理由も分からないでもないが、たとえばメディアのどこか一つが「韓国は共催意識が全くなく、日本が負けると大喜びなわけですが、それとは関係なく我々は韓国も応援してやりましょうや」というスタンスをとるだけでも、「韓国は日本を応援していない」事実と「韓国を応援しましょう」という放送局の主張は分離出来たはず。
大会も終盤になると「日本も韓国と同じ買収国家にみられるのは嫌だ」という言説も広まりはじめるが、これはおそらく「『日本と韓国は共同歩調をとっています』と言い触らしているメディアの主張が外国に広まるのは嫌だ」からいつの間にか、すり替わったものだ。メディアが「韓国に好意的な記事を書く(事実に反する記事を載せる)」→「嫌メディア感情が高まる」→「その感情の主因たる記事のネタである韓国に対する反感が高まる」→「メディアが便所の落書きに寄せられる嫌韓的な意見を戒め、偽善的な親韓記事を書く」のマッチポンプ
少し話は逸れるが、34年のイタリア、78年のアルゼンチン、82年のスペインもインチキをつかったことは、ちょっとしたサッカー好きなら知っていることである。今回韓国非難の列に加わったラテン系3カ国には多かれ少なかれ(深層心理レベルにしろ)有色人種・アジア人蔑視の風潮がある(それが本来の意味での人種差別か、サッカースキルに限定した中でのアジア人蔑視なのかは難しいが)。もし、今回、日本が上記の3カ国をインチキなしで破ったとしても、黄色いサルに負けるという屈辱にまみれたヨーロッパ人は「買収があった」と言ったかもしれない。その時、韓国が日本に味方してくれるとは到底思えないのもつらい処だが、それでも、もし今回メディアが、怪しい判定も、どうにかして欲しい電波応援も、韓国代表のラフプレーも隠さず報じた上で、「ヨーロッパ勢は過去の自分たちを棚に上げて、何を言っている。韓国のやっていることはかなーり怪しいけど、ヨーロッパの独善的態度に対する反旗としてこれを支持する(要するに敵の敵は味方)」とすれば、前段階の事実を抜かした上で「韓国の躍進は実力、ヨーロッパの抗議はやっかみ」みたいな朝日新聞的電波記事を書くよりも、よほど「嫌韓」感情を煽らなかったろうし、サッカーそのものに失望する人も出なかっただろう。それが残念でならない。
全然関係のない話。今の処、いわゆるメディア規制法に大手マスコミが反対しているが、正直こんなに思い通り自主規制してくれるメディアをわざわざ更に法律で締めつける必要なんてどこにもない。政治スキャンダルに熱心だった週刊誌にも、最近は民事裁判で多額の賠償金を課す判決が出ており、(経営的に)危険な橋を渡る出版社は激減するだろう。今回のワールドカップ報道を見て「メディア規制法なんて自業自得だろ」と思ったそこのあなた、それは間違いだ。法案が可決した直後、捕まるのは、ちょっと名のしれた、けれどもほぼ個人で運営する調査報道/ゴシップニュース系サイトだろう。逮捕の容疑は、政治家の悪口書いて名誉棄損なんて分かりやすいのではなく、たまたま伏せ字にするのを忘れた一般人の名前とか、電話番号などほとんど別件逮捕みたいな些細な入力ミスだろう。その後は、もう何もしなくていい。大手マスコミは擁護してはくれない。自分たちの欺瞞を暴くライバルがいなくなるのだから。「情報保護法初の逮捕者は、スキャンダル専門のネット業者」、そんな見出しが嬉しげに踊るだろう。それを読み、聞いた、単なる趣味で、自己実現で、無料で、気軽に、それほど気概を持っているわけでもなく、個人サイトを開いていた人々はどうする? 「宗男って、マジあほの坂田そっくり」と書いただけで、「根拠のない中傷した罪」(そっくりかそうでないかを判断するのが法務省傘下の委員会だったりするかも)で逮捕されるかもしれない危険を冒す? 「私は一般人で、開いているのもただのお遊びサイトだよ」と思っているそこのあなた、メールソフトの中に友人のアドレスが500人分あるだけで「個人情報を扱う業者」とされてしまうかも。もう誰もネットに本音なんて書かない。情報なんて交換しない。間抜けな公式発表だけを載せるメディアのサイトなんて誰も訪れない。誰もネットなんてやらない。多分そうなる。2006年も今回のような楽しみ方が出来ると思っている人、これが最初で最後だよ。今からドイツ語の勉強をしておいた方がいいかもね。