パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

自分の事

主に2ちゃんねるで吹き荒れている嫌韓感情について思うことを。知らないことに口を出すと無知を曝すことになるのだが、それはいつものことと云うことで。多くの論者が勘違いしていると思われるのが、2ちゃんねるにいる若い連中の嫌韓感情、或いは偏狭なナショナリズムを、これまでの差別感情に由来していると思っていることだ。2ちゃんねるで韓国を叩いている人間が元にしている感情というのは「おかしいことをおかしいと言えないマスコミ」だ。ムネオ・バッシングのようにマスコミが誘導し、それに一般人が踊らされているのなら、悲しいけど仕方ない。けれども、マスコミが韓国をヨイショすればするほど「タブーがある」感が透けてみえて、一般人に伝わってしまう。しかも、そのタブーが「外交問題に発展する」とか大上段な理由ならともかく、「放送局に、民団のような在日団体から組織的な抗議の電話が一日中掛かりまくって、業務に支障が出るから、韓国/北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)の悪いことを言えない」(これも本当は都市伝説の類だが)という報道仕事とは思えない間抜けな理由から、規制しているだめさ。「マスコミは空々しいことしか言わない」→「それはタブーがあるから」→「タブーの理由も間抜け」という3連コンボが若いドキュンのハートを刺激している。その理由の間抜けさ故に、歴史とか文化に関する捏造癖(手塚マンガとか『スラムダンク』が韓国発祥だと言い張る)とかそういうものが後付けで利用されている。まず最初に朝鮮に関する正当な批判をも抹殺するマスコミの体質にストレスを感じ、その奇妙なストレスに正統性を与えるためにその他の部分が利用されている、と。『Nステ』や『ニュース23』で「あれは買収されていますね」「いや、普通に誤審でしょう」という会話がされるだけで、結論がどっちであろうと、公に話しても良いというサインを一般に送るだけで2ちゃんねるの右翼的書き込みは劇的に減るだろう。「韓国がまた恥ずかしい不正をやっているね」→「まあこっちには関係ないから好きにさせてやれよ」→「そうだね」→「この話題、終了」てな具合に。
それからイタリアに関して、敗戦後に続く往生際の悪さについて色々声もあるが、審判が一生懸命やっているけれどヘボだという場合と、確信をもって誤審をしている場合では対応も異なって当然だろう。前者ならば潔く引き下がるしかないが、後者のような不正には「黙って勝者を讃える」のが良き敗者の態度ではないだろう。勇気を持って、悪者になっても「おかしいことはおかしい」というのが正しい。