パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『ETV2001』「バルカン俳句紀行」

コーディネイター:大塚真彦、撮影:服部康夫、構成:七澤潔、制作統括:河内秀則
昨年12月30日に放送された『HAIKU・バルカンの戦火をこえて』を60分から90分に編集し直したディレクターズカットかと思いきや、同一取材で省かざるを得なかった人間に焦点を定めた外伝だった。
以下、NHKのホームページより

第1回「俳句は鳥のように国境を越える〜スロベニアクロアチア〜」2000年9月、スロベニアで日本、西欧、アメリカなど17カ国から俳人が集まって世界俳句大会が行われた。その中で異彩を放ったのはクロアチア俳人ウラディミール・デビデさん(75)。彼はセルビアとの内戦の悲劇を俳句にしてきた。「俳句は鳥のように国境も民族も越えて人々を結びつける」という彼の演説は、戦乱の10年を越えて集まった旧ユーゴ各国の人々に喝采を浴びた。デビデさんの気がかりは7年前訪ねてきて以来、消息不明の俳人ドラゴビッチさんのこと。クロアチアで生まれ育ったセルビア人の彼は、内戦で村を追われ難民として各地を転々としながら故郷の大地への思いを俳句に書き続けている。「この秋 私と雲に 薄い希望」L・ドラゴビッチ オリーブが実をつける晩秋、取材班は漂泊の詩人を探す旅に出た。
第2回「心の記録・未来への希望〜ボスニアユーゴスラビア〜」ユーゴスラビア南部の都市ニシュは去年春のNATOによる空爆で最大の被害を被った。高校教師ドラガン・リスティッチはその時、団地の地下室の防空壕で俳句を作り続けた。俳句はインターネットで世界に発信され、やがて各地の空爆体験が集められて句集が生まれた。「真っ暗闇のなか 防空壕へとさまよう罵詈雑言」D・リスティッチ 歴史が激しく駆け抜けるバルカン半島では俳句は時代の中で生きる人々の心の記録だ。ミロシェビッチ政権が崩壊した今、自由の到来への想いを詠んだ俳句がインターネット上で新しい句集として編まれている。

ユーゴの俳句は季語や5-7-5にこだわらず思想が大切。デヴィデ(番組とホームページで表記が違うのは勘弁して欲しい)は数学者で1962年、東大に留学中、俳句にハマってバスの隣に座った日本人女性と結婚。以来、ユーゴで俳句を広める中心人物。リュボミール・ドラゴヴィッチは44歳、ダルマチア出身のセルビア人、昔から夢見がちであだなは「怠け者の驢馬」。戦争で故郷を追われ、友人の家を転々と居候しているが、詠む俳句はすべて故郷のカルスト風景である。戦争のおかげで彷徨っているように思わせて、実は平和な時でも放浪してうだうだ暮らしていたはずである。ゾラン・ドデロヴィッチはノヴィ・サドの俳句会の中心人物、空爆下で詠まれた句を集めてネットで発信。ユーゴ空爆に対する違和感にストイコヴィッチが大きく貢献しているのは確かだ。湾岸戦争時、メディアにムスリムなんて出てこなかったし、アメリカが「奴らは悪なんだ」と云えば、「確かに彼らって怪しいよな」で済む話だった。イラク大使も言うこと全部怪しかったし、庇ってくれるのは吉村作治くらいだった。仮に上野のイラン人が戦争前から沢山居ても、怪しいイメージに拍車がかかっただけかもしれない。しかしストイコヴィッチが「うちにはほぼ公正な選挙もあるし、民族紛争にどちらが悪いとか決めつけられないんだ」とプロパガンダでもなく、自分の言葉で、しかも彼の人間性を皆が知っている状態で語られると、「相手はろくでなしだから、成敗してくれるわ!」という勢いを削ぐ。(採点6)