パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『BS特集』「ブット暗殺の謎〜15日間の記録」

2008/2/9初回放送、40分、導入部:山内聡彦(解説委員)、撮影:南幸男、取材:森健二郎、ディレクター:吉岡攻、プロデューサー:星野敏子、制作統括:三浦尚/東野真、共同制作:NHKエデュケーショナル、制作著作:NHK/オルタスジャパン
月刊テレビガイド誌には放送予定として載っていなかった。この日たまたま「22時台のドキュメンタリーは何だろうか」とネットでNHKの番組表をチェックして気付いた。2月18日に行われる総選挙の前に放送しないと意味がない時事的内容だから急遽放送日程に上がったのだろうが、おそらく再放送もないタイプの内容だし、新聞をとっていない自分は危うく見逃すところだった。
「15日間の記録」というサブタイトル&「暗殺直後の15日間を追った」という冒頭のナレーション、これだと事件後15日間なのか取材が15日間なのか分かり辛いが、吉岡ディレクターのブログ(http://blog.goo.ne.jp/ysok923)を読むと、元々は1月に行われる予定だった総選挙を取材するためにパキスタンへ向かっている途上のタイで暗殺の報を聞いたというから、事件後と取材日数は実質イコールと考えればよさそう。
「ブット暗殺の深層とパキスタン民主主義の危機に迫る」(公式サイトより)の後者は風呂敷の広げ過ぎかもしれないが、前者に関してはきちっと現地で取材し、1次ソースのVTRを入手し、政府発表の矛盾を明らかにする、優れた調査報道だった。吉岡ディレクターは総選挙を取材するため、再び現地へ入っているということで、そのジャーナリスト魂に敬意を表したい。
その上で、以下はないものねだりの主観的愚痴みたいなもの。

「この町の誰に聞いてもいい。ベナジール・ブットが首相だった時は、みんなが仕事に就いて、生活も豊かだった。発展していた町はすっかり変わってしまい、今の政権になってからは何もありません。道路も水道も古くなったまま、食べるものもなく、生活は苦しくなるばかりです。ベナジールがいつも訴えていた。衣食住を満たすことが本当に大事なのに。物価は上がりっ放し、電気だって停電ばかりで、いったい私達はどうすればいいですか」という証言を、ブット家の霊廟近くにいる支持者から得ても、田中角栄を懐かしむ新潟県民のようにしか映らない。
では、事件の9日後、与党の支持基盤であるラホールの農村で「2月18日の選挙で与党に入れる人、挙手して。では、人民党に入れる人」と尋ねるシーンは公平に映るかもしれない。だが〈海外で取材している〉〈NHK-BSで放送されている〉と権威付けされているから立派な取材に見えるだけで、これがもし番組が『めざましテレビ』で、場所がニューヨークの繁華街で、インタビュアーが佐野アナで、質問が「あなたは今度の選挙でヒラリーに投票しますか、オバマに投票しますか」だったら、みな話半分に受け取るのではないだろうか。複雑な問題が絡んでいるのに、路上の一般人にインタビューすることが「地を這うようなドキュメンタリー」として価値を持つのか、難しいところだろう。
吉岡ディレクターのブログから印象に残った箇所をいくつか引用する。

一人の青年が突然大きな声を張り上げる。「ベナジールは誰が殺した?ヤツはのうのうと生きている」「政府は謝れ」・・・。
「この国では強い政治家が現われると、軍や秘密警察の連中は黙っていない。必ず殺される。それは歴史をを見れば良く分かる。ベナジールもそうして殺された。強い政治家という意味は、国民の支持を得ている人ということだ。ベナジールはパキスタン・チェーンと呼ばれ、4つの州の誰からも支持された政治家だった」
(2008/1/7付)

すごく頭に残る言葉で、同じ根拠のない市井の人々の声を取り上げるなら、先に挙げたラホールの農民達よりも、これを放送して欲しかった。スタジオから「ブットさんは全国的に支持された政治家でした」と解説するよりも説得力があったと思う。

この国を読み解く「カギ」は次の四つか。(1)軍国主義(2)原理主義(3)封建主義、そして「911」以降に始まった(4)テロリズム
歴史も文化も違う4つの民族がひとつの国「パキスタン」という名の国を作った。パキは「聖なる」という意味を持ち、スタンは「国」。聖なる国であるはずの国に、上記4つの考え、あるいはその上に築かれた制度がきっちりと組み込まれている。その中で暗殺とテロと、そして「謀略」が渦巻く。
(2008/1/13付)


午後のイスラマバード発の帰国便まではまだ間がある。ブット暗殺という事態に遭遇して見えてきたパキスタンの実像をランダムにまとめておきたい。
もともとは民主主義国家を目指したが、途中からイスラム国家に変貌。建国史を見る限り、暗殺、クーデター、国外追放などの政変が繰り返され、2001年の「911テロ事件」がパキスタンの政情をさらに不安定にさせた。その流れの中にブット暗殺もある。
民主主義は達成されず、一方ではイスラム原理主義が伸張する。農業を中心としたパキスタン社会の底にうごめくものは原理主義ばかりではない。民主主義を喜ばない勢力も実はほかにもまだある。封建主義思想をいまだ大切だとして色濃く残そうとする勢力である。彼らは既得権益を決して手放さず、それらを軍事・政治・経済の力で温存する。
(2008/1/16付)

取材したディレクターはここまで把握しているのに、今回の番組には全然反映されていなくて、「民主主義の星ブット対クーデターで政権に就いたムシャラフ」という構図と「ブットさんが死んで困ったなあ」しか伝わってこなかったのが残念。

2/11放送のBS1『BS特集』「ダボス会議世界経済フォーラム2008」(例によってエンドクレジットは無し)の中で長崎欧州総局長が述べていたように、西欧基準で人権/民主主義だのとムシャラフを吊るし上げるのが正しいのか。
仮に1月に行われるはずだった総選挙でブット陣営が勝利していたら、国民の人気に依存した政府として、外交においては米国から距離をおいてアフガニスタンタリバンを支援する一方で、内政ではイスラム政党の要求をはねつけながら世俗的な欧米式民主主義の普及に務めつつ米国の財政的支援無しに貧困を撲滅するために社会主義的な政策をとる。選挙でもクーデターでも誰が政権に就こうと際どい綱渡りを強いられることは容易に想像出来る。
ナレーションで「クーデターで政権に就いたムシャラフ」という枕言葉を使うならば、その前にシャリフがムシャラフの乗った飛行機を着陸させないで殺そうとしたところから説明しないとフェアでない気がする。昨年NHK-BSで放送されたドキュメンタリーを見たせいで、どうしてもムシャラフに肩入れしてしまう私情があるのは否定しないが、ムシャラフにしてみれば、選挙で原理主義者が大勝した90年代アルジェリアのようなことにならないために民主主義を制限したいのだろうし、形式的な選挙民主主義をやるよりは60年代東南アジアのような開発独裁方式で経済発展を計るべきだと考えるのも無理ないこと。ムシャラフは独裁者として政権にしがみつく理由もなさそうだし、英国に亡命して防衛大学で国際関係論を教える悠々自適の生活か。親米開発独裁型リーダーとしてやれるだけのことはやったし、民主主義と心中する必要もないだろう。
そもそもパキスタンの政治について自分は分からないことだらけ。大統領と首相の力関係が分からない。中央政府と州政府の力関係が分からない。軍と国民の距離感もよく分からない。番組中に出てきた人々の「ブットの時代は失業もなくて良かった」みたいな意見は、単に支持者の政治的意見なのか、経済統計的にも裏付けられている事実なのかも分からない。ブットとシャリフが政争をくり返していた90年代始めから現在まで、20年近く役者の顔触れはあまり変わっていないが、政治的土壌は変化しているのかいないのか。そういう歴史的経緯も分からない。
米国が他国(イラクとかウクライナとか)に「とにかく選挙やろうぜ」的な民主主義を強制すると「民主主義のあり方は各々の国によって違うのに、選挙が唯一の民主主義のように押し付けるのはダメだ」という人達が、パキスタンのことになると「選挙だ、選挙。投票結果こそ民意だ。尊重すべし」論者になるのが解せない。それなら、軍と民主主義と国王がバランスとっているタイなんかもムシャラフ並みに批判すべきではないか。
2007/11/27放送のBS1BS世界のドキュメンタリー』「戦争でも希望は死なない」をようやく見たが、ブット父の代から今に至るまで、インドに「うちに印パ戦争の捕虜なんかいない」と言われたら、パキスタンも買い言葉で「うちにもいない」と応えざるを得ない。これは庶民の素朴な反印感情を汲み取る民主的な政権ほどそう応えざるを得ない。むしろ独裁政権の方が民衆を置き去りにして親米路線、インドとの和解路線をとる可能性があるかもしれないと思った。

猟奇犯罪が起こると犯人当てプロファイリングをするワイドショーのような下劣なことは書くべきではないのだろうが、書きたい欲求を我慢出来ないので、下劣な個人ブログのやることだと思って御容赦願いたい。ベナジール暗殺で誰が得したかを考えると、犯人は自ずから夫のアシフ・ザルダリ氏だと想像が付く。(1)今ムシャラフがベナジールを殺して得することなど何もない、(2)娘婿のザルダリ氏は労せずして人民党=ブット王朝の奪取に成功、(3)ザルダリ氏はベナジールの検死を「パキスタン政府だと信用出来ないから国連を」と言っているが、それを政府が拒否することを見越してうやむやにしたがっている、(4)仮に予定通り選挙が行われていたとして、ベナジールが首相に返り咲き、その間に現在19歳の息子が成人すると、ザルダリ氏が玉座を奪うタイミングは今しかなかった、(5)汚職容疑での収監を拒否して亡命していたベナジール、その恩赦が帰国の条件だったが、おそらくセットでザルダリ氏にも恩赦が出たはず。それまではベナジールを殺せなかった、(6)10月に起きた爆弾テロにより、今度ベナジールが暗殺されれば原理主義者が疑われる、さらに銃で狙撃されればムシャラフが疑われる、彼らはやっていなくても後ろ暗いところがあるので、お互いに非難合戦し合って潰し合ってくれると算段、(7)死んだベナジールの弔い合戦で大勝すれば、ザルダリ氏が首相になって、また得意の汚職もやりまくれる、(8)本当に政府機関がやったのなら、銃撃の後で大爆発させて証拠も消し飛ばせばよいのに、爆発が小規模過ぎてあやしい、ベナジールがミンチになると、霊廟へ納めるとき、カリスマ性が失われるからか、あそこに整った遺体があるのは重要、(9)ベナジールの遊説ルートやら警備やらの情報を確実に把握出来る立場である、等々。もちろん内務省や軍の中にザルダリ氏と通じた高官がいることも考えられる。阿修羅辺りで拾ってくれないだろうか、この陰謀論