パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

つばきファクトリー CONCERT TOUR ~PARADE~

2022/4/16、NHK大阪ホール

 

嫌いなメンバーがいないというかみんなどこかしら好きなところがあるメンバーばかりだという点でいえば、箱としてはやっぱりつばきファクトリーが一番好きなんじゃないかと思う。誰を見ていても楽しい。とはいえ、8割やぎしーを見ていた。

1曲目で泣いてしまった。コンサートが開けて、参加できて、歌が聴けるのは幸せなことだなあと心から思ってしまった。

2曲目で、まりしおがペアになってバックダンサーしている時にイチャイチャしていた。ラスト前のMCでも先輩方の爆笑MCにしおちゃんがいちいち大袈裟にリアクションして、それにまりんがツッコむ形でイチャイチャしていた。もともと関係性消費ヲタでありそこそこカップリングヲタではあるけれど、いしよしスレに常駐していた頃くらいの情熱で注目している。

3曲目、新メンバーで「約束、連絡、ふいうち、記念日♪」と繋ぐところで、やぎしーの記念日♪が雑で、やぎしーらしかった。

このオープニングからの3曲は、名刺代わりという感じでとても良かった。宮本佳林卒コンの「ひとそれ、好きって言ってよ、プラプラ」に匹敵する名刺。素晴らしい構成。

6曲目で大役を任されているゆうみ氏が大惨事だったわけだが、⑴元々喉の調子が良くなかったみたい→⑵頭の入りが1拍遅れたようだった→⑶不調と焦りが重なって声が出ない、みたいな感じ。不調の時は適当にセーブして誤魔化すというズルいテクニックを学ぶ前故のアクシデントか。1晩落ち込んで、翌日はまたコンサートだからレジリエンス大事。

8曲目は、やぎしーのパートがいっぱいあってフューチャー曲みたいな扱い。というか、りさまるパートを一括してやぎしーへ(イマナンジはりさまる→ゆうみ氏)。今回なかった『意識高い乙女のジレンマ』では、りさまるパートが全部まりんに行くといいなあ。いまチェックしたら、ひなフェスの『抱きしめられてみたい』のオープニング&境目~♪はりさまる→よっふーなのね。

やぎしーは相変わらずパート丸ごとマイクに声が乗らないやらかしがある。

よっふーは、声量に自信があるのか、高木ちゃゆ並みに細川たかしスタイルのマイクホールドだった。

右隣りのヲタは古き良き時代のかっこうをしたヲタだった。座席が一つ空けの昨今で良かった。通路を挟んで左隣りのヲタは小綺麗なかっこうをしたお姉さんだったが、始まると両手に2本ずつサイリュームを持って、樹々ちゃんのパートになるとサイを前にかざす気合の入った樹々ちゃんヲタだった。

雨降る TAXI station♪を聴きながらいつも情景が浮かんでくるので、『夜のポツダム広場』のTシャツを着て行ったった。

基本箱推しで、ライブに行くくらいのヲタ活しかしないし、メンバー個人に対してグッズを買ったりお布施を払ったりするタイプではないのでせいぜいリミスタで1枚買うCDの選択くらいだけど、同じグループ内で推し変すると精神的に何か変な感じではある。

リアルタイムで会場のバックスクリーンに映す用の撮影カメラを回していたのが、2台とも女性だった。少し前に匿名掲示板でアップフロントの制作チームが全員女性みたいなスレを見たような記憶あるけど、社内でそういう施策を推し進めているのかもしれない。

 

以下、ネタバレ。セトリ。匿名掲示板の一人で行くスレで拾った。

01.涙のヒロイン降板劇

02.三回目のデート神話

03.約束・連絡・記念日

MC

04.I Need You ~夜空の観覧車~

05.ハナモヨウ

06.イマナンジ?

07.純情cm

08.デートの日は二度ぐらいシャワーして出かけたい

VTR

09.最上級Story

10.だからなんなんだ!

11.ガラクタDIAMOND

12.可能性のコンチェルト

13.My Darling ~Do you love me?~

14.断捨ISM

15.マサユメ

16.今夜だけ浮かれたかった

MC

17.足りないもの埋めて行く旅

追悼ブレント・ルノー

 ウクライナでビデオジャーナリストのブレント・ルノーが亡くなった。ブレントとクレイグのルノー兄弟が制作したTVドキュメンタリーは日本でもいくつかNHKで放送されているのだが全く誰も話題にしていないので、自分のブログを検索して出てきた作品だけでも触れて追悼としたい。

 

『BSドキュメンタリー』「50年目のリトルロックアメリカ 消えぬ人種差別」 2007/11/23初回放送

『BSドキュメンタリー』「ワシントンを奪還せよー帰還兵たちの中間選挙」2006/11/11初回放送

『BSドキュメンタリー』「バグダッドを去るーアーカンソー州兵 任務終了」 2005/7/2初回放送

『BSドキュメンタリー』「帰還を待つ家族ーアーカンソー州兵・イラク駐留」 2005/2/5放送

『BSドキュメンタリー』「バグダッド出兵ー続・アーカンソー州イラクへ」 2004/7/4放送

『BSプライムタイム』「突然の召集令状アーカンソー州イラクへ」 2004/1/31初回放送

 

 特にアーカンソー州兵シリーズは本当に傑作で、「TVドキュメンタリーウォッチャーの私だから問題意識の高さは理解できるので頑張ってみるけど、まあ一般人が1時間なり2時間なり拘束される事を考えるとなかなか退屈で楽しめない」ドキュメンタリーを日常的に数多く見てきた自分にとって、普通にドラマとして面白く見る事が出来るドキュメンタリーというのはなかなかの衝撃だった。

 ゼロ年代、ドキュメンタリーを内容(詰めが甘いけど重要な環境問題を提起しているから良し、証言が薄いけど権力者の暗部を追及しているから良しetc.)で評価するのではなく形式(企画力、取材力、構成力、演出力、作家性等々)で評価するTVドキュメンタリー批評を模索していた私には眩しいドキュメンタリーだった。

 いま考えると、魅力的でキュートな人物、カリスマ性のある著名人に密着すれば、その人を映した作品も面白くなるのは当然だけど(例:クストリッツァマラドーナ』)、そうではなく偶然取材対象になった市井の人々に密着しただけで魅力的な人物像を引き出すというのは、単に腕が良いだけではなく実際にはやや強引な演出もあったのかもしれないが、それでも評価は変わらない。誰かが翻訳した追悼のツイートには人の懐に入るのが得意な人間力があったように書かれていた。

……

 追悼に一つ載せておこう。2004年頃、職場のプリンタで出力したルノー兄弟のインタビュー、長過ぎて私の英語力では読めなくて放置したまま2017年にスキャンしてさらに放置していたが、いまURLを確認したら当然そのサイトはもう無く、インターネットアーカイブで探して無事文字列を入手、DeepL翻訳で改めて読んでみた。まさに18年の時空を超えたコラボ。

 ディスカバリー・タイムズとは、どうやらアーカンソー州兵シリーズを米国で放送した独立系テレビらしい。番宣兼ねたインタビューみたい。『Off to War』がアーカンソー州兵シリーズの米国でのタイトル。著作権的にはアウトだろうけど、サイトも消失しているし、DeepL翻訳訳を目視で直せる箇所は直したものを載せておく。誤訳等検証したい人は以下の元URLからどうぞ。

 

http://times.discovery.com/convergence/offtowar/qa/qa.html

 

……

 

プロデューサーとの質疑応答

 

 映画製作者のクレイグとブレント・ルノーが、映画『オフ・トゥ・ウォー』の製作についての質問に答えています。



お二人ともアーカンソー州のご出身ですね。この映画の制作にはそのことが関係しているのでしょうか?


 もちろんです。私たちは以前からアーカンソーの映画を作りたいと考えていました。私たちが育った故郷の人々が興味を持ち、誇りに思うような映画を作りたかったのです。テレビや映画で見る南部出身の人物の多くは、卑屈で時代遅れのステレオタイプに満ちていて、私たちは何か違うことができると思ったのです。南部の小さな町が持つ独特の地域色はそのままに、人々をより生き生きとしたキャラクターとして表現しています。

 ドキュメンタリーを作る初期段階において、被写体の信頼を得ることは非常に重要ですが、そもそも被写体の多くはメディアに対して不信感を抱いています。私たちが同じアクセントで話し、同じような環境で育ち、ごく一部のケースでは同じ学校に通っていたという事実が、この番組を構成する上で大きな助けとなりました。

 実際、この物語は同郷のつながりから生まれたものなのです。2003年8月、親友の結婚式に出席したクレイグは、新郎の父親からアーカンソー州兵の第39旅団がイラクに派遣されることを知らされました。彼は、私たちが「イラクの自由」作戦の期間、ジョン・アルパートとともに2度イラクで撮影したことを知っており、今回の派遣を撮影することに興味があるかどうか尋ねてきたのです。結婚式の2週間後、私たちは旅団に完全にアクセスすることができました。



アーカンソー州兵がイラクに派遣されると知ったのはいつ頃ですか? また、この出来事はアーカンソーにどのような影響を与えましたか?

 

 第39旅団は2003年7月に正式な通達を受けましたが、すでに数カ月前から派遣の噂がありました。

 映画はクラークスビルの町を中心に描かれています。クラークスビルは人口約7,000人ですが、そのクラークスビルから130人近くがイラクに派遣される第39旅団の隊員として参加しています。小さな町で育つと、ニュースで見るようなことと自分や友達がいま生活していることとの間に、本当の意味での断絶が生じることがあります。今回の活動により、見知らぬ国での戦争が身近になり、多くの人がそのことに備えることができませんでした。多くの隊員はイラクに行くことを知り、ショックを受けたと思います。

 アーカンソー州では過去50年間、州兵になるということは、洪水や竜巻などの災害が起きたときのために「週末の戦士」となることを意味していました。彼らの中には軍隊経験者もいましたが、多くは戦争をするために州兵になったわけではありません。一般的にクラークスビルのような田舎出身の州兵は、大学の学費が必要だったり、あるいは製造業の仕事が移転したり農業が以前と変わったために入隊してくるのです。多くの地方では、州兵は町で最も安定した雇用です。クラークスビルの平均所得はそれほど高くないので、州兵の中には、今回の派遣期間中、現役の兵士として故郷に戻ったときよりも多くのお金を稼ぐことになる人もいます。

 今回の派遣で最も大きな影響を受けるのは、間違いなく残された家族です。州兵の生活は、正規軍人のように軍隊生活を中心に構成されているわけではありません。支援体制も整っておらず、今回のような事態を想定していなかった家族がほとんどです。

 七面鳥農家のロナルド・ジャクソンのような活動中の兵士にとって、派遣は大きな挑戦です。彼と19歳の義理の息子トミーは共に派遣されるので、彼の妻シェリルは64,000羽の鳥の世話をしなければなりませんが、この仕事は約2年どころか短時間でさえやったこともないことです。ジョー・ベッツは、クラークスビルで自身の教会を始めるという長年の夢をつい最近叶えたばかりの牧師ですが、信徒全員を失望させるのではないかと心配しています。



映画の制作を始めるにあたって、主人公はどのように選んだのでしょうか?

 

 ロナルド・ジャクソン軍曹と彼の七面鳥農場について聞いたところからクラークスビルにたどり着きました。アーカンソー州のさまざまな町や物語を検討していましたが、ジャクソン軍曹の農場での初日を最後に検討をやめました。州兵の多くは、ジャクソンさんの農場のような田舎町に住んでいますからね。

 マシュー・ハートレインさんを紹介してくれたのは、ジャクソンさんの息子トミーさんでした。トミーとマットは親友で、トミーがマットを説得して一緒に州兵になったのです。映画製作者としては、カメラに向かって自分の意見を言う勇気のあるマットの家族のような人を見つけたいといつも願っています。

 ジョー・ベッツ軍曹に初めて会ったのは、部隊の本部で州兵にクルーカットを施しているときでした。その時、ジョーは息子に「愛してる」と言えないのが残念だと言っていました。また、多文化の教会を立ち上げたばかりで、帰ってくるまでにこの新しいコミュニティが消滅してしまうのではないかと心配しているとのことでした。私たちは、兵士とその家族が犠牲にしているものを反映した物語を作りたかったのですが、ジョーの犠牲は大変なものでした。妻のエイミーは全てにおいてジョーのことを頼りにしており、派遣の知らせにひどく落胆していました。

 ドニー・イレランはとにかく目立っていました。彼は他の兵士たちの中でやや一匹狼のようでした。彼の腕には「187」の刺青があり、すぐに気がつきました。「187」というのはかつて所属していたギャングで、潜入捜査官を殴って刑務所に入ったことがあるのだといいます。初めて彼に会ったとき、我々は彼が家庭で直面している困難について全く知りませんでした。彼はまだ18歳で、妻のブランディも15歳で妊娠していました。ドニーは家族の慣わしの一つとして州兵に入隊しました。父親のウェイン・イレランは「砂漠の嵐」作戦に従軍し、第39旅団として「イラクの自由」作戦にも参加する予定でした。つまりドニーの母ラナは夫と息子を2年間も失うことになったのです。彼女は家族の男達が留守の間、家庭を守る強いアメリカ女性の象徴です。



クラークスビルの州兵部隊がクウェートで訓練を受けイラクへ向かう姿を追ったそうですね。戦場での撮影はどのように行われたのですか?

 

 私たちは、ベストの一人から学びました。エミー賞受賞者のジョン・アルパートと7年にわたって一緒に仕事し、世界中で撮影を行いました。ジョンは私たちが子供の頃から紛争地帯で仕事をしており、彼の作品群は本当に素晴らしいものです。彼は困難な環境での報道のあり方、そしてより重要な安全確保の方法について私たちに多くのことを教えてくれました。迫撃砲の弾が降ってくるなど自分ではコントロールできない危険は常にありますが、コントロールできることも多く、危険な状況下でのジョンの直感はまさに驚異的です。私たちは、できる限りそれを模倣しようとするだけです。そして、祈ること。

 私たちは過去に2回イラクに行きましたが、軍隊とのエンベッド取材はありませんでした。それは、私たちにとって新しい経験でした。エンベッドでは戦場での撮影は危険が独特です。大きな銃を持った兵士に囲まれているのである意味で安全だと感じますが、イラクの現状では標的の一人にもなってしまうのです。

 私たちがアーカンソー州兵とともにイラクに到着した2004年4月は、この戦争で最も血生臭かった月でした。入国したその日にファルージャの戦いが始まったので、イラクへの車列は少し怖かったです。カメラは便利な目くらましになります。怖ければ怖いほど撮影に集中します。イラクに入国して数時間後、私たちの前方の車両が故障しました。州兵はかなり古い車両で地元の兵舎からはるばるイラクまでやってきました。故障した車両は文字通り1950年代のモデルでした。高速道路の脇に停車していると渋滞が発生しました。私たちのすぐ隣りには約30台のタンクローリーが停まっており、ロケット弾の攻撃対象になっていました。前日も車列を攻撃されていたので最悪の事態も想定していたのです。地球上で最も危険な場所への3日間の隊列は、あまり良いスタートとはいえませんでした。イラクの高速道路の陸橋は、旅に刺激を与えてくれることもあります。ブレントは隊列に同乗していましたが、ある男が陸橋から手榴弾を投下しようとしたのです。幸いなことに、その男はピンをうまく引けなかったため、手榴弾は車両の後方で爆発しました。怪我人はいませんでした。戦地で撮影することを決めたら、まずそのリスクを受け入れ、恐怖に邪魔されないように仕事をします。兵士がいつも言うように、故郷の家族の方が大変なのです。私たちの母はとても協力的ですが、母はもちろん他の家族にとっても、私たち二人が同時にイラクにいることは非常に難しいことなのです。

 

 

イラクでの生活をどのように受け止めていますか?

 

 兵士によって、またその日によって異なります。すぐに適応した者もいれば、イラクでの自分の役割に幻滅している者もいます。第39旅団は平和維持活動のために過去6カ月間訓練を受け、戦火の真っ只中に姿を現しました。クラークスビルの部隊は工兵中隊で、多くの兵士がイラクの再建を手助けすることを楽しみにしていた。子どもたちのための学校を建てたり病院を改築したりすることを思い描いていたのです。彼らは民間の技術を持つことが通常の軍隊よりも有利だと考えていました。人を助けるのであって、人を撃つのではないのです。しかし、これまでのところ、治安状況のために、こうした人道的プロジェクトに取り組むことは不可能です。毎日、兵士の命が思いがけず危険にさらされているのです。

 兵士たちは故郷の家族のことを心配していますし、実際、そのことをよく話しています。通常の軍隊では、妻は手紙を書くときや電話で話すとき、夫に対して前向きでいるようにと助言されます。しかし、州兵の多くは自宅から問題や悲しみに満ちた手紙を受け取ります。無力感という重荷を常に背負っているのだ。米軍兵士としての誇りとこの任務がアーカンソーにいる家族にもたらす影響との間で、兵士たちは常に葛藤しています。

 

戦火にさらされたことはありますか?

 

 私たちが4月6日にキャンプ・クックに到着してから24時間足らずで、迫撃砲で第39旅団の兵士が死亡しました。クラークスビルの隊員の多くは殺された兵士と仲が良かったので、彼の死は強い警鐘となりました。基地内ではほぼ毎日迫撃砲による攻撃が行われています。迫撃砲は無差別に発射されるため、ほとんどの場合は標的をとられることがありませんが、とらえた場合は悲惨な結果になります。4月24日、基地へのロケット攻撃でアーカンソー州兵4人が死亡し、このドキュメンタリーの主人公の一人であるウェイン・イレラン(ドニーの父親)も致命的な負傷を負いました。ドニ―の母親は最初に連絡を受けたとき、彼女の夫はおそらく助からないだろうと告げられた。しかし、奇跡的に回復し、現在はテキサス州サンアントニオでリハビリ中です。別の迫撃砲の攻撃では、私たちの部隊のファーガソン小隊軍曹の足に榴散弾が炸裂しました。彼はフォート・フッド基地に戻り、おそらくイラクに戻ることはないでしょう。車列が通過するときに爆発するように仕掛けられた路側爆弾は、今や米軍と直接交戦しても勝てないことを理解している反対分子が好む戦闘手段です。クラークスビルの部隊は、毎日5、6個の爆弾を解除するために召集されます。ほとんどの場合、爆弾が爆発する前に発見することができます。



アーカンソーに残るご家族は、この状況にどう対処しているのでしょうか?

 

 最初の1カ月は非常に困難でした。これまでの第39旅団の死者の大半は、基地内で発生しています。ですから、愛する人に危険な状況ではないことを納得してもらうのは難しいです。また、アーカンソー州出身の第39旅団に何かあれば、州全体で大きなニュースになります。家族の多くは「ニュースは見ないようにしているが、アーカンソー州の兵士が殺されるとすぐに広まってしまう」と言います。また、イラクの基地では、死者が出ると近親者に連絡がつくまで48時間、すべての通信手段を停止します。そのため、兵士が家族に連絡を取り、無事を伝えるまでに数日かかることもしばしばです。第39旅団では、最初の1カ月だけで7人の兵士が死亡しました。

 アーカンソー州兵部隊では故郷の家族のための支援グループを立ち上げました。それが大きな助けになっています。重要な知らせがあると、家族全員に電話をかける連絡網があるんです。また、このグループは定期的に会合を持ち、お互いをサポートし合っています。家族メンバー全員が「家族支援グループが自分たちが経験していることを理解してくれる唯一の場所だ」と口を揃えて言っています。



ディスカバリー・タイムズはどのようにしてこのプロジェクトに参加したのですか?

 

 撮影を開始した当初は、NHKからのサポートしかありませんでした。NHKは日本最大の公共放送局で、DCTV(Downtown Community Television Center)のプロジェクトの重要な後援者です。特に今年、日本はイラクに1000人の軍隊を派遣しましたから、日本の国民はイラクに非常に関心を持っています。このプロジェクトは日本からの支援によってスタートしましたが、イラクに向かう兵士たちを追い続けるにはアメリカの放送局がどうしても必要でした。陸軍は基準に達したアメリカの放送局からのリポーターしかエンベッド取材を許可しないので、率直にいってアメリカの視聴者にインパクトを与えることができなければリスクを冒す価値はなかったのです。ディスカバリー・タイムズ・チャンネルがこのプロジェクトに参加したのは、私たちがイラクに出発するわずか数週間前でした。

 私たちのエグゼクティブ・プロデューサーであるジョン・アルパートはDCTVの映像制作のスタンダードを設定しており、私たちはナレーションなしで物語を伝えることに尽力しています。ディスカバリータイムズチャンネルは様式的にもジャーナリスト的にもサポートしてくれています。このプロジェクトは5部構成のシリーズに発展しています。



州兵がイラクにいる残りの期間は、どのようにカバーする予定ですか?

 

 ロジカルに考えると、これは非常に困難なプロジェクトでした。イラクにいる兵士と、アーカンソーにいるその家族の両方を取材しているのです。また、撮影をしながら編集を続け、番組をオンエアしています。衛星電話や電子メールは、戦場での撮影という孤立した状況に対処するのに役立っています。今では、米国にいるエグゼクティブ・プロデューサーと日常的に会話できるようになり、編集リストをニューヨークまでメールで送ることもできるようになりました。撮影条件はあまりよくありません。砂嵐ですでに2台のカメラがダメになりました。機材の故障で貴重な映像を失うことほどつらいことはありません。

 イラクは、撮影にとって精神的にも肉体的にも非常に厳しい場所です。気温が華氏100度を超えるなか1日18時間働き続けることもあります。食事も睡眠も取れる時に取り、夜中に砲撃の音で目を覚ますこともしばしばです。また撮影している兵士たちとの距離も近いので、知り合いの兵士が死んだり怪我をしたりすると対応に苦慮します。

 アーカンソー州兵部隊がイラクを離れるのは2005年4月の予定です。このシリーズの最終回は、兵士たちがアーカンソーに戻るまでを描く予定なので、プロジェクトが終了するのはまだまだ先のことです。私たちは自分が燃え尽きないようにイラクへの出入りを交代で行っているのですが、これも面白いプロセスです。私たちはキャンプクックからバグダッド国際空港までブラックホークヘリで行かなければなりません。先月クレイグがイラクを発った数日前、ブラックホークが撃墜されたんです。バグダッドから出発する飛行機にも別のスリルがあります。バグダッド国際空港を出発するパイロットは撃墜を避けるために巡航高度に達するまで空港上空をぞっとするような螺旋を描きながら飛行するのです。特にパイロットが事前に警告を発しないとき、それはかなりの経験となります。

つばきファクトリー コンサート2021「CAMELLIA~日本武道館スッペシャル~」

2021年10月18日(日本武道館

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 18日19日と貴重な希望休2日をつぎ込んで連休をとった。18日の昼前にゆっくりと岡山を出て、九段下に予約したホテルへ16時チェックイン予定。荷物を置いてゆっくりして分散入場の予定時刻は17時半。コンサートが終わったら20時で飲食店が閉まっている可能性もあるし、コンビニで何か買ってホテルでゆっくりしよう。翌日は午前中から国会図書館を予約したので調べものをしよう。昼食をとって東京を出たら、日が暮れる前に岡山へ帰れるだろう。以前は遠出した時は予定を3つも4つも入れてお得感を出していたが、パンデミック下ではコンサート会場と家を直行直帰、コンビニ飯で済ます理由もつくし、ホテルに泊まっても極力外出自粛、今回も2日間で予定は2件だけ。そんな優雅な計画を立てていた。

 18日当日は朝食をとりながらハロヲタユーチューバーのコンサートセトリ予想を見ていた。こんなことをツイートしながら。

初の武道館、第1章の集大成にするのか、新人フィーチャーして不良債権に引退勧告するのか、りさまる色が強い曲は封印するのか、下世話な野次馬的には論点がたくさんあって予想するの楽しそうだけど、匿名掲示板(狼)に人は居ないし、ツイッターは上品だし、盛り上がる場所がない。

 そんで、新幹線内で自分もセトリ予想しようかなあ、とはいえ自分は乗り物内で文字を読むと酔うマンだから無理はすまい、などと逡巡。とりあえずグーグルドキュメントに過去のセトリをコピペしておこうか、乗り物に身体が慣れて余裕そうだったら見て考えよう。のちに家のパソコンの履歴を見ると(デジタル履歴最高だな)、9時30分頃に国会図書館から東京駅のルート検索しているから、ここで家を出ればよかったのだが。9時46分から9時58分辺りまでつばきファクトリー+セトリで検索だから、10時ちょうどくらいに家を出た。

 10時58分岡山発~14時15分東京着に乗る。自分がのぞみ〇〇号に乗っているかなんて意識しないよね。自由席ならばなおさら。検索すると、名古屋着が12時34分。名古屋から新横浜まで停まらないし、新しい乗客も来ないからそろそろスマホでも点けようか。自分のスマホは充電がバカになってて、急速に減って新幹線のコンセントに差しても下げ止まらないので、0%にならない確信が持てる時間帯まで切っている。そうすれば職場から電話がかかってきても出られないし、そもそも出たくないし。

 履歴を見ると、12時46分に新幹線Wi-Fiへようこそ。職場からLINEが来ている。げげげ、東京に着いてとんぼ返りで岡山へ戻る必要があるかもしれない案件が発生。すっかりテンションが下がって、セトリ予想をする気がなくなる。まあ、折り返し岡山に戻れると思っているところがまだ甘い。12時49分にLINEを見たと返信。

 そのうちに新幹線が駅も何もない線路上で停まる。後に同じ車両に乗っていたらしいハロヲタのツイートで確認すると13時過ぎらしい。「豊橋駅で新幹線と人が触車したため、一時停止しております」みたいな車内放送。この時、接触した車両が自分の乗っている新幹線だとは全然頭になかった。ごく緩やかに停止したし。いま名古屋駅を出たばかりで豊橋駅を過ぎていると思ってなかったし。というかさっきグーグルマップで豊橋駅を確認したが、すごい静岡寄りだった。リアルタイムでは「自分らより前の新幹線が豊橋駅で事故って、自分らは名古屋・豊橋間で足止めかよ」という認識だった。車内から撮った画像に映っているゼビオと第二成田記念病院とバロー豊橋店から推測した停止地点と豊橋駅との距離をグーグルマップで測ると約2.5km。ネットの新聞記事には「急ブレーキをかけた」とあったが、新幹線の急ブレーキだとこのくらい進むのか。2次災害を引き起こさないために脱線転覆しない程度の急ブレーキなんだろう。

 14時くらいに車内放送が「負傷者救助と現場検証が終わったら、この車両は豊橋駅までバックしてそのまま終了、皆様に乗り換えて頂く車両を準備中」と流していた時も「JR全館に流れる内線でもオープンにしてんやろかあ」くらいに考えてて、同じ内容の放送がもう一回流れてきた時に初めて「もしかして事故った車両ってこれ?」と気付いた。

 14時くらいでは「運行再開は15時半を予定」と流れてて、14時半頃には「16時半に訂正」となった。この辺は曖昧な記憶。14時36分、ホテルのサイトにログインしてチェックイン予定時刻を16時から21時へ変更。コンサート終了後にホテルへ行くように変更。充電が30%くらいになったのでスマホを切る。東京に着いてから迷わないようにするだけの充電は残しておきたい。

 運行再開が16時半豊橋発なのか、この事故っている車両を動かすのが16時半なのかわからん。前者なら17時半くらいに東京へ着くんじゃね、でもダイヤに大幅な乱れがあるとノロノロ運転になるんじゃね、でもこの車両、渋滞組の先頭だから早く走ったりして、などとぼんやり。せっかくだから今のうちにトイレへ行っておこうと席を離れて歩いてみたが、カーブで停まって車体が傾いているとビックリするほど歩きにくいという気付きを得た。実際には2度とか3度なんだろうけど、人類に傾きは厳しい。

 ぶっちゃけこの辺りでコンサートのオープニングはおろか、アンコールまでに間に合えば御の字かなあと思っていたけれど、不思議と焦りや憤りはなかった。つばきファクトリーに思い入れがないわけではない。福岡にいた時は、初恋・爛漫・月光とライブハウスツアーに行ったし、基本在宅ヲタというかせいぜいコンサートのみでCD発売イベントの類にはお金を出さない自分が唯一CD買って東京まで行って似顔絵書いてもらったのはおみずだし、ハロプロのどのユニットよりも思い入れはあるかもしれない。けれどもまあチケットを買ったのもご祝儀・お布施感覚だから、この苦しいパンデミック下で武道館頑張れ、自分が見られる見られないはこの際どっちでもよかろう、というのが一つ。卒コンになると突然現れてのこのこ行くよりも、初武道館にのこのこ行く方がスマートかなというアティチュード。もう一つは最近は何を見ても長く覚えてられないっていうか、リアルタイムで楽しかったなあという感覚に云千円云万円払って、1週間後にはもう細部を覚えてないけどそれでいいや、若い頃のケチで貧乏性な性格を後天的に意識して修正してきた甲斐があったのか、元を取らないといけない精神を脱却して全てを受け入れよう、という境地に40代半ばでまあまあ達した。目に心に焼き付けておこうとか思っても、もう全然焼きつかないんよね。なら何か楽しい体験があったなあでいいじゃん、じゃあ見れなくて残念だったけど仕方ないかでいいじゃん。今日は命日、『笑って』が聴きたいなあとか言ったその口で新幹線を止めた哀れな魂に毒づくわけにもいくまい。

 16時くらいに車両がバックし始めて、16時半くらいに豊橋駅着。12番線。逆側の11番線から、ひかり、こだま、のぞみ、のぞみの順で出発します。一番早く東京駅に着くのは1本目ののぞみです。運行再開は16号の現場検証が終わる17時の予定です。えー。12番線での現場検証が終わらないと11番線が再開しないの、訳わからん。という事でまだ時間もあるし、下衆な野次馬根性を発揮して1号車から先頭の16号車までホームを歩いて事故現場を見に行った。ホームでは駅員さんと警官が一緒にうろうろしてて、死亡事故の現場検証はJR社内的なものと警察的なものと目的が違う2つ調査が並行してあるのだろう。もちろんブルーシートで囲まれているけれど、若手駅員が先輩に「ピンセット持ってこい」と言われて詰所まで取りにいったり、「連結部分に板があるでしょ、あそこに挟まったら取れないですよね」という声が聞こえたので、やはり新幹線に飛び込んだらミンチになるのだろう。亡くなった人の魂にレストインピース。

 ホームに流れるアナウンス。「のぞみ16号の指定席を持っている人は来る新幹線の指定席の空いている席に座ってください」。自由席の人には開放しないんだ。これで自由席で立ち乗りだったら、ちょっとムカつく。と思ったけど、乗ったらみんな座れてた。元々名古屋から乗ってくる乗客が少なかった。代替ののぞみ224号は名古屋・新横浜間は停まらないはずのを臨時で豊橋駅へ寄り道。初めて豊橋駅を見たが意外と大きかった。もっと鄙びたこだま専用駅かと想像してた。駅ビル的には岡山駅より大きいかも。あれでホームドアを付けてないのはJR東海の怠慢と批判されても仕方ない。

 新しい新幹線に乗り替えたら、放送で「特急券の払い戻しがあります」と流れているが、うーん、1分1秒でも惜しいのに改札でまた時間を無駄にするのだろうか。後日ではダメなのだろうか。遅延証明書は前の新幹線を降りる時にもらったけど、改札で乗車券が吸い込まれたら区間を証明できんやん。気になって車内を歩く車掌さんに訊きたいのはやまやまだが、対人恐怖症を発揮して聞けなかった。そうこうするうちに品川を出た辺りで車内放送。「払い戻し用の清算窓口は大変混み合いますので、改札で証明書をもらって最寄りの駅で返金手続きをしてください」、なんだそうなら早く言ってくれ。ちなみに東京予定時刻は当初の18時24分から18時47分に変更となった。まあ、そんなものだろう。

 東京駅から武道館までどう行くか迷う。タクシーつかまえた方が早いだろうか。料金はともかく、この時間帯の東京は逆に混んでて動かなかったりするだろうか。土地勘がないので、時間も読めないし、当初の予定通りメトロで。何となく頭には丸ノ内線という単語が浮かんでいたのでそっちへ吸い込まれそうになったが、財布に入れていた紙のメモを見たら東西線と書いてある。おー、危なかった。新幹線を降りて改札口に向かう途中にある臨時窓口みたい所が混んでいる。当然。改札口まで行っても手動の所が詰まっている。当然。どうしたもんかと思っていたら、駅員さんが「何で並んでんの?」と順々に話し掛けてきてくれた。私の切符を見て「そのまま自動改札を通してください」と。それだと切符が吸い込まれて戻ってこないんじゃね?岡山・東京間を証明できなくなるんじゃね?と不安に思ったが、改札を通したらちゃんと出てきた。よく考えたら、新幹線から在来線への乗り換え口だった。切符が出てきて当たり前。私がバカ。

 大手町とか東西線と書いてある方へ歩く。在来線改札口に到着して、また人間の駅員さんに「このまま出て大丈夫?明日払い戻しできる?」と尋ねたら大丈夫そうだったので、そのまま出る。東西線大手町駅に着く。メトロに乗って九段下駅に着く。武道館に向かって階段を昇る。同じように急いで昇る人が数人。地上に出る。普段大きなイベントに行ったら、多数の人間の後ろを付いて歩くタイプだが、今日は人の波がないし、すでに真っ暗。さっきの数人もさっさと行ってしまう。もちろん左手には灯りの点いた武道館が見えているわけだけど、あれが武道館だと認識できるのも何度か来たことがあったからだし、左に曲がればいい事も分かっていたので助かった。私の場合、マジで初めてだったら、間違った所を曲がって、間違った方向へ進んでいた可能性が高い。

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 武道館内に入場して、音漏れするエリアまで来たら『約束・連絡・記念日』の途中だった。後にテレ朝チャンネルの録画で確認したが、19時10分くらい? 田舎者ムーブとしては最高の出来だと思っていたけど、さっき検索したら16号車の側から日本橋口を出たら東西線大手町駅まで徒歩5分だったらしくって、しょせんは田舎者だった。しかし新幹線を降りて八重洲口へ向かって歩き出す可能性すら否定できない田舎者にとっては、やはり最高の出来(この辺りの「まあ間に合わなくてもいいや」と「1分1秒でも早く着くように最前の努力をするぞ」を同時にハンドリングする精神を理解してもらえるかは分からない)。

 案内係のお姉さんがこっちのチケットと手元の座席表を照らし合わせながら「中に入っても手前で待機。曲と曲の間にお席まで移動します。」と言われる。プロテニスの大会も遅れて入場するときはチェンジコートの間に移動だから慣れてます。中に入る前に移動しながらお姉さんが「やっぱり新幹線ですかー?」と話し掛けてきた。フランク。中に入って溜まり場から我慢。センターステージを覗くためにギリギリまで近づくわけでもなく、上の方の大型スクリーンや会場のサイリウムを眺めて、雰囲気を楽しんだ。

 次の曲『断捨イズム』のイントロを聴きながら、周囲に頭を下げつつ席に着く。スクリーンと本物を見比べながら個体認識に努める。きそ、ツインテール、可愛い。「ポニーテール視野で」と言ってたくせに。スクリーンで見る限り、新メンバーではやぎしおさんがいいなあ。

 『表面張力』と『足りないもの埋めてゆく旅』、まおぴん泣いてるー。と思ったら、本編終了。はやっ。アンコール。手拍子頑張る。当然セトリ知らないので、まだこの時点でアンコール明け1曲目に『笑って』あるかもとか思ってた。『マサユメ』の評価が高いけど、歌詞を聞き取り易く歌うには力量がいるというか、要するにまだメンバーの力量が追いついていない気がして、個人的にはあまり高くない。逆に3曲の新曲のなかで一番好きな『涙のヒロイン降板劇』は密かにオープニング曲だと予想していたから今日は聴けなかったと思っていたのに、アンコールで聴けて良かった。

 コンサートが終わって、後はホテルへ行くだけ。スマホをつけて看板を撮るか迷う。撮って、グーグルマップを見てホテルの位置を精一杯覚えて、スマホを切る。恐らくたどり着けるだろうが、たどり着けなかったその時は、もう一回だけスマホをつける作戦。結果、つけずにホテルへ到着できた。やった。看板の前でスマホをつけた時、職場からのLINEのお知らせが複数あったのは見た。流石に今日のとんぼ返りは無理だが、明日朝一番に帰る可能性はある。ドキドキしながら確認したら、昼間のとは別件で、結局明日の午後までに帰らないといけない案件だった。どっちにしろ国会図書館には行けないショボーン。

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 翌朝、新幹線に乗る前にみどりの窓口で払い戻しをする。その前に昨日の切符を撮っておこうと改めて出して見る。おお、自動改札で遅払証明が印字されている。賢い。昨日の車内放送でも「電子機器の人は改札で勝手に払い戻しされます」とか言ってたし、賢い。みどりの窓口で担当してくれた若い女性は、明るくて可愛くて一生懸命な頑張り屋の無能だった。切符と証明書を出して「払い戻しをお願いします」と言ったら、何か「ああ、例のあれですね」みたいな昨日の前提を全く分かってなくて「豊橋駅からどうやって来たのか?」「岡山は何時に出て、東京に何時に着いたのか?」とか尋ねてきて、マニュアルの入ったタブレットをじっと眺めて、何度も裏のオフィスへ何事か訊きに行って、15分くらいかかって「大変お待たせしました。岡山・東京間の特急券を払い戻します」だった。うん、知ってた。きっと昨日は非番で、彼氏か友達とディズニーランドでも遊びに行って、ネットニュースとかも見ないで、さあ気分転換も出来て今日から仕事頑張るぞー、えっ、昨日の事故って何? みたいな感じ。改札も含めて、人間より機械の方が優秀そうだし、経営者もとっととみんな電子マネー使いやがれと思ってそう。これで遅延の払い戻しはみどりの窓口の仕事でなかったのなら、私がごめんなさい。