パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

不屈館(瀬長亀次郎と民衆資料)の感想

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私のタイムラインのドキュメンタリークラスタが「カメジロー!カメジロー!」と賑やかだったので、沖縄旅行へ来たついでに那覇市にある『不屈館(瀬長亀次郎と民衆資料)』という瀬長の資料館を訪ねてみた。その感想を書いておく。2本とも未見であるカメジロー映画にケチをつけるというひどい文章になっているが、映画の公式サイトを観察した結果であり、大外しの推測はしてないつもり。そして資料館の方はすごく興味深い資料がたくさん展示してあるので、是非行ってみてください。

一言で言うと、20世紀半ばには確かに存在した共産主義民族主義を兼ね備えた英雄を21世紀に描くのはなかなか難しいよね。

瀬長の事はそれこそカメジロー映画の番宣でしか知らなかったので、資料を見てびっくりしたんだけど、実際のところ瀬長は筋金入りの共産主義者なんよ。21世紀の価値観を含んだ悪口としての共産主義者ではなく、事実としての共産主義者。そして資料館では何を隠すこともなく堂々とそう書いてある。そりゃあ事実なんだもん。だけど私が見た限りドキュメンタリー映画の番宣では、そこはたぶん意図的に隠されている。米国の占領政策に抵抗した愛国者(愛郷者?)という描き方になっている。

瀬長は戦前の1932年に治安維持法で逮捕された筋金入りの(大衆による悪口としての)“アカ”なんよ。戦後は1947年に沖縄人民党を立ち上げる(何故ってアカだから)、1950年は知事選で大敗する(何故ってアカだから)、その後立法院議員になって労働法制に尽力する(何故ってアカだから)。ところが1954年に占領軍に喧嘩を売って逮捕されて1年半の牢屋暮らし…からの1956年12月那覇市長に当選…とここで瀬長は大衆が取っ付き難いアカから米軍占領政策に抵抗する民族英雄にジョブチェンジするわけです。もちろん断っておくと、瀬長本人のなかでは恐らくジョブチェンジしてない。基地で働く沖縄人民の労働条件をめぐって闘い、周辺で暮らす人民の生活条件を守るために占領軍と闘うことは通底しているわけだけど、民衆から見た役割演技としてはアカから民族英雄にジョブチェンジする。

鳥山淳「復興の行方と沖縄群島知事選挙」(『一橋論叢』第125巻第2号、2001年)によると、1950年の沖縄群島知事選の獲得票数は、平良158520票、松岡69595票、瀬長14081票。都市部の労働者に少し名が知られていただけの泡沫も泡沫の“アカ”候補者よのう。鳥山論文をちらちら読むと面白いな。米国政府が沖縄を恒久的に保持する事に決めて本腰を入れて復興を始めて、労働力の確保のため軍作業賃金が約3倍に引き上げられた結果、離農者が続出して農地は荒廃したって書いてある。そりゃあ共産主義者なんて農村票が獲れるわけがない。

資料館にある那覇市長選辺りの選挙公報資料を見ると「島内の反動勢力が占領軍と結びついて我々を共産主義者だと誹謗中傷しているが、負けてはならない!」みたいな文言が書いてあった。まあ中傷じゃなくて事実じゃんと言いたいところでもあるが、左右の対立が厳しかった頃。オール沖縄ではなかった頃。保守反動とか言わなくなったよね。そういう時代の空気。

1960年に祖国復帰協議会の結成に尽力した頃からは完全に民族主義者よね。1970年に行われた沖縄初の衆議院選挙からは7期連続議員になっているけど、沖縄全県区(定数5)で行われた7回の選挙結果をみると、自民党2、日本社会党1、沖縄大衆社会党or公明党1、瀬長枠1(1973年に沖縄人民党日本共産党に合流)という感じ。返還前後の沖縄が置かれた状況を想像すると、今の香港みたいだなと思うかもしれないが、実際はドキュメンタリー作家の新田義貴が書いたようにスコットランドに近いものだろうか。植民地において民族主義政党は人民の福利厚生に心を割く左翼政党でもある。だからといって後の歴史家が、彼らを反植民地主義を叫ぶ民族主義政党のように描き、ソ連共産主義もなかったように描くのは断じて欺瞞である。

1960年といえば、いわゆる「アフリカの年」。冷戦期の植民地にとって、共産主義者民族主義者とは両立するものである。恥ずかしながら私はアフリカの近現代史に無知なので、アフリカ諸国の独立といえばモスクワ留学帰りの独立運動指導者が独立後はソ連型計画経済を実施して汚職や腐敗でオオコケしたというイメージなんだけど、もちろんアフリカには50前後の独立国があるわけで、英仏に留学して英仏に抵抗した指導者もいるだろうし、国家経営がうまく軌道に乗った国もあるだろうし、金太郎飴のように見てはいけないのは当然。ただあの時代の民族自立を冷戦史のなかでちゃんと位置付けないといけない気もする。私が読んだ学校の歴史教科書は80年代までだけど、その後は単に「ソ連は崩壊しました」だけ加筆するのではなく、1945~1989年の世界史叙述も本来なら全て読み替えないといけないはずでは、という話。

「もし70年代になっても80年代になっても沖縄が日本に返還されず占領地だったら」とイフの歴史を考えたとき、歴史的な共時性という意味では、瀬長はANCのマンデラになっていたかもしれないし、PKKのオジャランになっていたかもしれない。そういう想像もできるだろう。武器をとったかは分からんけどね。余談だが、この手のリーダーは学者か弁護士のような知識人階級か、逆に無学だけどやたら演説が人の心を打つ叩き上げの労働者階級だったりが多い印象だけど、瀬長は新聞記者なのよね。ちょっと意外で面白い。

だから21世紀も20年が経とうという現在に、瀬長亀次郎(1907~2001年)のドキュメンタリー映画を作ろうとしたら、「1956年はフルシチョフスターリン批判(2月)に始まり、日ソ共同宣言(10月19日)をめぐっては北方領土返還と沖縄・小笠原返還を関連付けた「ダレスの恫喝」もあり、そしてハンガリー動乱(10月)ときて、12月の那覇市長選では米国に喧嘩売って刑務所に入っていた筋金入りの共産主義者が当選!」というくらいの国際環境を視野に入れた描き方が欲しいよね、という事が言いたいわけですよ。日本共産党武装闘争路線を放棄したのは1955年7月ですよ。そういう時代ですよ。

※これはまあ、いま私が石田博英にハマってて1956年の北方領土返還交渉にも興味があるので、過剰反応しているのかもしれない。そこは認める。

資料館で見せてもらった約30分の映像(佐古ディレクターによるTVドキュメンタリー『報道の魂SP』「米軍が最も恐れた男」2016年)には、あの頃には珍しく進歩的な男女平等主義者だったというエピソードが描かれていたのだけれど、これも60年代第2波フェミニズムを通過した西欧風男女平等じゃなくて、普通にソ連を模した男も女も平等に労働力だよっていう男女平等よね。と書いたらまた価値判断としてのソ連の悪口を言っているみたいに思われそうだけど、そうじゃなくて事実としてのソ連の男女平等だから。もちろん、表では社会主義共産主義だと言いながら、家に帰ったら家父長制バリバリのおっさんがたくさん居た頃だろうから、言行一致しているだけ立派じゃんという話ではあるんだけど、コンテクストとして瀬長を西欧風開明紳士みたいに扱うのはどうなん?という話。まあ、こういう面倒くささがある事も含めて、みんな冷戦とソ連の存在を抹消したがるんよね。

余談。ここまで長々と、なるべくオーソドックスに事実ベースの話を書いてきたわけだが、事実ベースでない話をすると、当時の国際環境からして瀬長はソ連共産党から資金提供を受けていたかもしれないね。ここも勘違いしてもらいたくないのは、私はソ連から資金提供を受けていたと中傷したわけでも、仮に受けていたとしても非難したいわけではないよ。それは恥ずかしい事でも隠すべきタブーでもないよ。冷戦期ってそういう時代だったんだから。岸信介がCIAから資金援助受けててもいいじゃん、日本社会党ソ連共産党から資金援助受けててもいいじゃん。だけど、なかったことにはするなよ。ちゃんと関係者は書き残しておけよ。「墓場まで持っていく話」とか言ってんじゃねえよ。歴史に対する責任を果たせよ。ソ連共産主義がなかったような20世紀の歴史を書いてんじゃねえよ。そんな感じ。

うーん、50年代から60年代にかけてリアルタイムで瀬長が共産主義者から民族主義者にジョブチェンジした話(もちろん瀬長自身には一貫性がある)と、映画というメディアにおいて1998年から2018年にかけて瀬長の解釈のされ方がチェンジした話がクロスして分かりにくい説明になってしまったね。そこはごめんなさい。

1974年生まれの私は、親米保守が国是になっちゃった日本しか知らないので過去の空気感がわからないのだけれど、おそらく1950年代だと日本と沖縄とで反米度の温度差はあまりなかったのではないか。そこから1972年の沖縄返還、1995年の反基地運動と、どんどん米国に対する温度差が広がっていく。広がるにつれて、瀬長は共産主義者から民族主義者に描き方が変わっていったのではないか。瀬長の伝記的事実は変わっていないのに、世の中の受け取り方が変わった。そういう話。反米保守の小林よしのりが『沖縄論』(小学館、2005年)で瀬長について触れているらしいことをどこかで読んだのだけど、象徴的な気がした。

この文章を書くために検索して仕入れたネタなんだけど、佐次田勉『沖縄の青春―米軍と瀬長亀次郎』(かもがわ出版、1998年)の方は(アマゾンレビューをみた限り)バリバリの共産主義者物語になっているみたい。これを受けて二番煎じの佐古ディレクターは21世紀にウケる物語として民族主義者的描き方にしたのなら、まあ理解できる。

まとめ:⑴カメジロー映画は共産主義者である民族主義者である瀬長の民族主義者である側面しか宣伝してないよね、⑵それは佐古監督が悪いというよりかは時代の2つの要請だよね、⑶2つの要請のうちの1つは、単純にソ連崩壊以降は共産主義者は悪口になって描きにくくなったよね(でも恐らく1998年ではまだそうでもなかった)、⑷もう1つは、瀬長が活躍していた50年代60年代は日本人と沖縄人とで米国に対する感情は近かっただろうけど、特に1995年以降は別々の感情を抱くようになったよね(労働者・共産主義者としての反米アイデンティティよりも沖縄民族主義者としての反米アイデンティティの方が観客にとって違和感がなくなった)

ここまで書いて、佐古ディレクターの映画がバリバリ共産主義者としての瀬長をちゃんと描いていたり、あるいは逆に佐古Dから「230冊を超える瀬長の日記を全部読んだけどソ連の話なんてひとつも出てきませんでした。目の前の沖縄大衆の話ばかりでした」と反証されたら、素直にごめんなさいします。

おしまい!

 

「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯

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