パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

ゴールデン・ローズ・シナゴーグ跡(リヴィウ)

2018-10-18撮影

f:id:palop:20190727232533j:plain
ガイドブックによれば第2次世界大戦中に破壊されたシナゴーグの跡しか残っていないという話だったが、着いてみるとリヴィウに縁のあるユダヤ系偉人の言葉が刻まれた石板が並んでいたので、とりあえず文字が読めるように1枚ずつ撮影してみたものの、グーグル先生の力で世界中のインターネットをチェックしても類似の画像を見かけないので、もしかするとマナー違反/冒涜なのかもしれないが、怒られるまでネットの海に上げておこう(研究者共同体に属してなかったり現地の友人がいなかったりすると、知らずに禁忌を破ってしまいそうなのが辛いね)。基本は英語/ウクライナ語/ヘブライ語イディッシュ語かも)の3カ国語表記だが、もう1言語(イディッシュ語ラテン文字表記なのかな?)載っている板もあった。本当は英文を文字起こしまでしてみようかと思っていたが、そうすると世界中から見つけられる可能性が高まるし、何より今は画像を読みこんだだけで文字を抜けるアプリとかあるらしいので、その辺りは各自頑張ってもらおう。石板と石板の間隔が狭くて撮影は大変だった。どれを撮ったか分からなくなるし。一応網羅したつもりだが。

f:id:palop:20190727232608j:plain
ちなみに撮影している時、3歳くらいの男の子が石板に上って遊び始めて「まあ、まだ文字も読めないし、板の並びって遊具みたいだもんね」と微笑ましく見ていたら、お父さんらしき人がものすごい勢いでとんできて、ものすごい大声で叱って、ものすごい勢いで連れ去っていった。個人的には「子供には分からないんだから別にいいじゃん」と思ったけれど、ああいうのはやはり天で見ている神に悪いという感覚なのか、世間の目があるから体裁が悪いという感覚なのか、どっちなのだろうか。

f:id:palop:20190727232700j:plain
Shmuel Yosef Agnon(1888-1970):日本版ウィキペディアもあるノーベル文学賞受賞著名人。本名Shmuel Yosef Czaczkes。生まれはBuczacz、1908年にパレスチナへ移住。リヴィウとは関連なさそう。

f:id:palop:20190727232733j:plain
Leszek Allerhand(1931-2018):ポーランド語版ウィキペディアもある著名人。リヴィウのゲットーに入れられたが、両親と脱出して終戦まで隠れていた。戦後はポーランドに追放されて医者になる。

f:id:palop:20190727232811j:plain
Milo Anstadt(1920-2011):本名Samuel Marek "Milo" Anstadt。リヴィウに生まれ、10歳でオランダに移民、アムステルダムで隠れ家生活。ジャーナリストになる。

f:id:palop:20190727232842j:plain
Israel Ashendorf(1909-1956):I. L. Peretz賞に輝くイディッシュ語作家。Ізраeль Ашендорфで検索すると、ロシア語版ウィキペディアがヒットした。1946〜68年までポーランドで発行されたイディッシュ語文芸誌の編集委員をしていたらしい。戦後活躍した人についてはキリル文字が読めないときつい。

f:id:palop:20190727232914j:plain
Majer Balaban(1877-1942):英語版ウィキペディアがあるスター歴史家。Meir BalabanともMajer Samuel Bałabanとも表記。リヴィウ生まれ、リヴィウ大学を出た後は、クラクフポズナニ、ベルリン、グダンスク、ルブリンと様々な場所でユダヤ人の歴史を研究、ワルシャワゲットーで死亡。

f:id:palop:20190727232949j:plain

Martin Buber(1878-1965):日本版ウィキペディアもある言わずとしれた著名人。生まれはウィーン、リヴィウにいたのは1892〜96年のみのよう。

f:id:palop:20190727233021j:plain
Wiktor Chajes(1875-1940?):ポーランド語版ウィキペディアを持つリヴィウの名士。リヴィウ生まれ、ポーランドに同化したユダヤ人。グーグル翻訳だと市議会評議員とか副市長とか出るけど、正式な肩書は不明。ソ連のNKWDに連行されて殺されたので、厳密にいえばホロコーストの犠牲者ではない?

f:id:palop:20190727233055j:plain
Ignacy Chiger:リヴィウの下水道に隠れてホロコーストを生き延びた一家の父らしい。アニエスカ・ホランド監督『ソハの地下水道』のモデルとか。『Świat w mroku』(暗闇の世界)というポーランド語のサバイバル記を出版している。

f:id:palop:20190727233129j:plain
Marten Feller(1933-2004):Мартен Феллерで検索したら、ウクライナ語版ウィキペディアにМартен Давидович Феллерという言語学者が出てきた。Drohobych生まれ。キエフユダヤ教研究所の人らしいが、あまり有名人ではなさそう。

f:id:palop:20190727233158j:plain
Alexander Granach(1893-1945):英語版どころか日本版ウィキペディアもあるドイツの俳優。本名Jessaja Gronach。Verbivtsiという小さな町で生まれ、リヴィウに出てきて、1906年にウィーン、ベルリン、ソ連を経て、1938年に米国へ渡って死亡。

f:id:palop:20190727233235j:plain
Janina Hescheles-Altman(1931-):英語版ウィキペディアもある著名人。旧姓Hescheles。父Henryk Hescheles、叔父Marian Hemarも著名人、Stanisław Herman Lemも親戚。リヴィウ生まれ、ホロコーストサバイバー。イスラエルに渡って化学者。

f:id:palop:20190727233312j:plain
Rabbi David Kahane(1903-1998):英語版ウィキもある著名人。宗教指導者で哲学博士でホロコーストサバイバーで『Lvov Ghetto Diary』の著者。戦後はイスラエルへ。

f:id:palop:20190727233348j:plain
Inka Katz(1930-):検索してもあまり情報はないが、『ニュルンベルク合流』を読んだのでハーシュ・ラウターパクトの姪だってことは知っている。それによるとハーシュの妹ザビーナはマルセル・ゲルバードと結婚して一人娘インカを産む。生まれはリヴィウ近郊のŻółkiew。ジェノサイドの生き残り。

f:id:palop:20190727233426j:plain
Kurt Lewin(1890-1947):日本語版ウィキペディアもある著名人。Mogilno生まれ、1905年に一家でベルリンに移住、ということでリヴィウにはあまり縁がなさそう。

f:id:palop:20190727233531j:plain
Alexander Lizen(1911-2000):これまたイディッシュ語作家らしい。Alexander Lizenberg Aleksander Lizen Aleḳsander Lizenなどとも表記。ウィキペディアイディッシュ語版しかない。それによると、生まれはヴォルィーニ州で、第2次世界大戦後にリヴィウに移住してきたみたい。戦前リヴィウにいて、その後出て行った有名人が多いなか、逆は珍しい。

f:id:palop:20190727233606j:plain
Borys Orach(1921-2011):正式名Borys Hryhorovych Orach。「ユダヤ人のリヴィウを知る100」という文化保存運動をしている現役アクティビストだったみたい。ロシア語ができるならБорис Орачで検索してもっと情報があるだろうが、私の能力不足。

f:id:palop:20190727233646j:plain
Moyshe Shimel(1903-1942):ポーランド名Maurycy Szymelで検索したら、ドイツ語版とポーランド語版のウィキペディアがあった。詩人・ジャーナリスト。リヴィウ生まれ、同化ユダヤ人としてポーランド語の教育を受け、ポーランド語で詩を書く。1930年代になってイディッシュ語でも書くようになる。リヴィウ強制収容所で死亡。

f:id:palop:20190727233721j:plain
Jacob Shudrich:検索すると、Eliyahu Yones「Smoke in the Sand: The Jews of Lvov in the War Years 1939-1944」とDov Levin「The Lesser of Two Evils: Eastern European Jewry Under Soviet Rule, 1939-1941」という本の中にイディッシュ語の作家・詩人として出てくるから、そういう人なのだろう。

f:id:palop:20190727233816j:plain
Rabbi Joel Sirkes, the Bach(1561-1640):Joel Sirkesの名で英語版ウィキペディアもある著名人。ルブリンからクラクフ辺りで活躍した宗教家みたいだけど、リヴィウとの関連は定かでない。

f:id:palop:20190727233849j:plain
Lili Thau(1927-):別名Lili Chuwis Thau。著書に『Hidden』。Stanisławów(現イヴァノフランキフスク)生まれ、生後10か月でリヴィウへ。占領下のリヴィウで隠れて生き残り、戦後はイスラエルのハイファへ。

f:id:palop:20190727233930j:plain
Debora Vogel(1902-1942):英語版ウィキペディアもある著名なポーランドの哲学者・作家。Burshtynで生まれ、ウィーンに行き、第1次世界大戦後にリヴィウへ来た珍しいパターン。リヴィウのゲットーで殺される。

★★★

古きリヴィウの情報を翻訳で得るためには、平田達治、佐藤達彦、平野嘉彦からのヨーゼフ・ロートマゾッホのようなドイツ文学ルートしか思いつかなかったが、デボラ・フォーゲル、ブルーノ・シュルツスタニスワフ・レムのようなポーランド文学/イディッシュ語文学のルートがあったのかと今さら気付く。

リヴィウのエリア・スタディーズを専門にするなら、英語とドイツ語とロシア語とウクライナ語とポーランド語とイディッシュ語ヘブライ語くらいは出来ないとなかなか難しそう。グーグル翻訳様の進化に期待しよう。