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佐々木実『市場と権力―「改革」に憑かれた経済学者の肖像』

 

市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像

市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像

 

佐々木実『市場と権力―「改革」に憑かれた経済学者の肖像』(講談社、2013年)は、今や日本のパブリックエネミー第1位といってもよい竹中平蔵の人物評伝である。

著者略歴をみると、佐々木は91年に大阪大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社し95年に退社してフリーランス。取材のイロハだけ学んで辞めたのか。竹中が1987年から大阪大学経済学部助教授という事は講義をとっていたかもしれない。在学中から竹中の事を「まともな論文も書かない胡散臭い奴だな」くらいに思っていたら、あれよあれよと出世して日本全体に影響を及ぼす胡散臭さを発揮し始めたから、初期に関わったケジメとして取材を始めたとかかなあ。

なので、基本的に竹中はすごく批判的に書かれている。竹中は、70年代終わりから80年代初めに米国で流行ったサプライサイドの経済学に影響を受け、設備投資の研究が専門とのこと。竹中のやってきたことは89年の日米構造協議から90年代の年次改革要望書に至るまで米国の要求と重なるのだけど、最後まで読んで、竹中は米国の要求を丸飲みしてグローバリゼーションに対応した日本を作ることが世のため人のためだと心から信じているのか、あるいは米国に弱みでも握られているのかと思うほど脅されてエージェントをやっているのか、それとも実は政治経済には興味がなくて自分の個人資産を増やすためにあれこれ利用しているだけの小物なのか、本書を読んでも正直よくわからない。

批判的に書かれているけど、挿入されるエピソードを読むと、竹中はチャーミングである。

 

香西泰エコノミスト

「研究者としての才能にもう一つ付け加わるのが、『仕掛け人』『オルガナイザー』『エディター』としての腕前ではないだろうか。人のよい私など、氏の巧みな誘いに乗せられて、感心しているあいだに仕事は氏の方でさっさと処理していてくれたという経験が、何度かある。この才能は、あるいは大蔵省で長富現日銀政策委員などの薫陶をえて、さらに磨きがかかったものかもしれない。これは学者、研究者、評論家には希少資源であり、しかも経済分析が現実との接触を保ちつづけていく上で、貴重な資源である」p.91 

 

越田文治(仮名・藤田商店社員)

「ほんとうにそつがない。口がうまくて、どんな会議の席でも、誰が聞いても納得するように話ができましたね。藤田田さんも竹中さんを信頼していたと思います。小泉政権ができて竹中さんが大臣になったとき、藤田さんは大いに喜んでいましたよ」pp.110-111

 

鈴木崇弘(東京財団

「国際的なコミュニティでは、頭がいいだけでなくて、見せ方、スピーチとか表情、チャーミングであるかどうか、そういうことが大事。安全保障政策にしろ経済政策にしろ、国際的コミュニティといってもインナーサークルなんです。インナーサークルに入れるかどうかは、国際会議でおもしろいことをいって目をかけられるとかそういうことが重要になる。肩書とかじゃなくて、おもしろい話ができれば気に入られる。竹中さんは気に入られていたと思います」p.126 

 

相沢英之自民党税制調査会長)

「なかなか世渡りが一流だな。打たれ強いというのかあれだけ叩かれても、内心はどうか知らんが、竹中はシャーシャーとしていたな。あれはうまいから、『そうです、先生のおっしゃるとおりです』とかいう。そのときだけはね」p.167 

 

大塚耕平民主党議員)

「問責決議案が否決されていなかったら、竹中さんは高木長官を辞めさせていたかもしれない。しかし、竹中さんは問責決議案否決の政治的意味も考え、『高木には責任はなかった』という方向に舵を切った。竹中さんの賢いところだけど、逆転の発想で、これで高木長官に貸しがつくれたと考えたんでしょう。それからですよ、髙木が竹中の手下になるのは」p.220

 

南部靖之パソナ創業者)

「竹中さんとの出逢いは、ずいぶん前のことになりますが、飛行機の席で隣り合わせになったのがきっかけです。話が弾んで、それからずっと長くお付き合いをさせていただいております。ボストンのハーバード大学で教えてらしたときは、私もアメリカにいましたのでアメリカでもおめにかかることがありました」p.326 

人たらしよね。この初対面の人を魅了する感じ、(善悪の価値を問わない本来的な意味での)サイコパス的な人なのかもしれない。

佐々木は「おかしいのに、なぜか問題なしになった」「~なのに、なぜか不問に付された」みたいな書き方をいくつかしているんだけど、竹中のやっている事はだいたいが「法律的には限りなく黒に近いグレー、かつ慣習的にはアウト」パターンだから、捕まらないのは分かるっちゃ分かる。紳士協定は平気で破る、「やあやあ我こそは…」の時代に銃乱射する、そういうタイプ。むしろ竹中から見たら因習を足蹴にするからこそ改革派なわけで。まあ、やっぱりサイコパス

佐々木は、竹中は東大コンプレックス、博士号コンプレックスみたいに卑小な人物像を描こうとするんだけれど、竹中的には「あると便利だから、グレーな手段を使って取得するよ」くらいの軽いノリだと思う。「あいつには負けなくない」とか「今に見ておれ」みたいな事にはあまり関心がないように見えるのだが。まあ、やっぱりサイコパス

佐々木は竹中の人間性の低さ、使う手口の悪辣さを描き出そうとするのだけれど、読み手としては米国流グローバリゼーションを日本に導入したその政策的是非を知りたいという気持ちもある。切り分けると竹中という人が伝わりにくいのも確かだが、どうも矛先の向ける方向に迷いがあるようなないような。違うか。佐々木は、政界に影響を与え金融業界と癒着していてついにはリーマンショックを引き起こした米国の経済学者に憤りを感じているのが主で、少なくとも一流の論文を書いている米国の経済学者と比べてまともな学術論文も書かない二流研究者ですらないくせに政界に影響を与えたがるところだけは米国を真似る竹中はさらに軽蔑している事は従、という感じか。「なんでこんなショボい奴の評伝を書いているんだろう、オレ」感はある。

本書のハイライトは、金融担当大臣就任から「竹中プラン」策定、自殺者まで出したスケープゴートとしてのりそな銀行破綻を書いた第5章と第6章だろう。私が編集者だったら、ここを第1章に持ってきて、竹中はクズ野郎という印象を読者にしっかり植え付けた上で「このショボいクズ野郎が形成されたのは…ポワワァ」と幼年時代の回想へと繋げるだろう。

1993年に小泉純一郎郵政民営化を言い出したのに合わせるかのように米国も郵政民営化を要求し始めた時、狙いは簡保郵貯だったのだろうけど、その時にインターネットがこれだけ発達して郵便事業がこれほど落ち込むとは予想していただろうか、みたいな事は考える。2006~2007年頃に「そろそろ団塊ジュニアを救わないと、流石に人口動態的にもヤバいんじゃね?」みたいな空気が流れ始めた矢先にリーマンショックがやってきたのといい、頭で考えた社会計画と予想も出来なかった社会変化のめぐりあわせの悪さってあるよね。

私は1974年生まれで、90年代初め、学生の頃は財政再建規制緩和既得権益打破、談合を無くせ、無駄な公共工事反対、そういう朝日新聞的リベラル(not左翼)に囲まれて育った実感がある。それが21世紀になる頃には構造改革となり、その後は大阪維新的なしばき上げ上等な所まで行きつくわけだけど、それらがどこから始まったのか知りたい気持ちはある。いま自分を含めた低所得者層が痛めつけられているのも小泉・竹中のせいにするのは簡単だけど、「無駄を無くせー」と調子に乗ってた過去の自分に復讐されているのではないかという事実から目をそらすわけにはいかないという思いもある。

財政投融資って、自分が学生の頃にはよく聞いたけど最近聞かないなと思ったら、この本を読むと橋本行革を経て2001年には一応片付いた話だったのね。2001年4月に行われた自民党総裁選、みんな橋本龍太郎が勝つと思ってたわけじゃん。なんだかんだ最大派閥の橋本派(旧経世会)だし。そしたら、小泉フィーバーが起きて、地方県連の票が小泉に行って、地滑り的大勝利になったわけじゃん。あの時の「橋龍的な自民党にはもううんざりだ」という空気があった事はごまかしてはいけないだろうよ。あの頃の空気を覚えていれば、橋龍が勝った世界線を想像するというのは意味のない事だけれど、新自由主義ぽくない2019年の日本というのはあり得ただろうか。