パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

アンジュルムのホールコンサート2018

2018年4月14日、福岡国際会議場メインホール・夜の部

ハーフタイムの4分間VTRで、ふなっきが触覚作った髪型しているのを見て「あー、ふなちゃんも年頃の女の子だったんだ」という感想。

『次々続々』、当時の楽曲大賞で投票しようと思ったけど、直前に何らかの瑕疵が見つかって投票を回避した記憶があるんだけど、どんな瑕疵だったのか全然思い出せない。いま聴いたら、ほんとにすごい詞ですごい。

川村さんのシルエットが愛理みたいだった。

ここまで小ネタ。

圧巻の序盤メドレーだった。2017年の迷いを抜けて、手駒の活かし方が分かったというか。個性を発揮させようとするんじゃなくて、コレクティブなトータルフットボールを目指せば、結果としておのずから本人の持ち味が発揮されるという感じ。

あやちょがどこまで企画制作にかかわっているのかは分からないが、曲のコンペはおろかメンバーの選定から参画しているのではなかろうかという疑いが。特に3期以降は賢い子というか戦術眼を持つ子を選んでいるように感じる。その分、声フェチにはちょっと物足りない。ボーカルが弱いというよりは、声質のバラエティが足りない感じ。そこがあやちょのコンセプト優先な選考なのかなという疑い。

あやちょのコンセプトに、経験と実力と感性から真っ向異議申し立てが出来そうなメンバー、まろ、めいめい、あいあいが順に抜けていったのは偶然なのか何なのか。まあ偶然だろう。

なかなか言葉を選ぶのが難しいけど、あやちょはスマイレージヲタに対して愛憎半ばなんだろうと思った(本当は憎んでいると書きたいけど自粛)。仲の良かったメンバーに「アイドルを続けたい」と思わせてくれなかったヲタに対する憎しみ。アイドルとは何か。先立ってヲタの側に見たい需要があって、アイドルはそれを供給する存在なのか。あやちょは多分それにノンと言いたい。まずアイドルの側に見せたいコンセプトがあって、それを見たい人がお金を払って見にくるべきだと。アイドルの側に主導権がある、それはアイドルなのかと問われればなかなか微妙ではあるけれど、「それならばアイドルの定義を変えてやるぜ」くらいの覚悟で闘っているような感じはする。

とまあ威勢のいいことを書いてしまったわけだが、この後モーニング娘。のコンサートやハロコンを見ると、アンジュルムだけがあやちょの指示で特異なコンセプトをやっているわけではなく、正直あんまり面白くないダンス部も含めてハロプロ全体の流れなのかなあと思ったりしてブレブレな感想なのでした。

あやちょが卒業する時に、まろが卒業ソングを贈ろうと完全にあやちょへ当て書きして、まろしか知らない隠れたエピソードも詰め込んだ渾身の歌詞を書いたのに、それを読んだあやちょが「これはアンジュルムのコンセプトには合わないから」と美学に殉じて却下して、お互いに泣きながら大喧嘩するあやかのん下さい。