パロップのブログ

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アトレティコ・マドリード、1997年3月

〈お断り:このエントリーは、元々2013年12月頃に書こうとしていた『サンフ、ACLターンオーバー』というエントリーに付属して書こうと思っていたものだが、例によって例のごとく筆が進まず、そしてアトレティコについて書くなら今のタイミングしかないだろうってことで、先にこっちを仕上げてみた。〉
★★★
昔から今に至るまで緩やかに継続して応援しているクラブといえば、まずsince 1994なサンフレッチェ、それから故郷のファジアーノとベル、現住所のアビスパアンクラス、一度しか訪れていないけどいつも心に留めているヴィクトリア・ジシュコフ等々挙げられるが、そういう枠とは別に単年シーズン・単独大会で最も熱狂したチームというのもある。1994年のルーマニアとか2004年のチェコとかヤングリーズとか。その中でも最も熱狂したチームにリーガを制した1995〜96シーズンのアトレティコ・マドリードがある。どのくらい熱狂したかを説明するために、2000年にインターネットを始めた同時に始めた日記サイトの以下の文章を再掲しよう。

アトレチコ・マドリー(1995-96シーズン)
記録を調べると95-96シーズンに優勝したアトレチコの総得点はバルサに次いで2位、失点はリーガ最小、ということはすごくバランスの取れたチーム構成だった風に思われるかもしれないが、それは明らかに当てはまらない。ディフェンスラインの無謀さは広く知られる処だったし、攻撃陣のオプションの無さもかなりのもの。チーム得点王のペネフは31点でトップのピッツィに遠く及ばない16点で7位だし。
キーパーのモリーナは意味も無く飛び出してくる。イギータカンポスのようなイロモノではなく、キーパー=スイーパーの概念を確立したといえなくもない。2部落ちとユーロ2000での屈辱を味わった後、ラコルニャへ移籍。センターバックは右がサンティで左がソロサバル、サンティは当時アトランタ五輪代表にも選ばれ、その後すぐにクレメンテ代表へ呼ばれるなど若手生え抜き躍進アトレチコの象徴だったため、2部落ちの今でもクラブに残って頑張っている。ソロサバルはチーム絶好調時からアンティッチと対立し、翌シーズンにはベンチから外された後、ベティスへ放出。右サイドにはロペス、代表にも選ばれていたのに後半からヘリにポジション奪われ、すぐに消息不明、ヘリは左サイドもやっていたが、2部落ちでアラベスへ。左サイドは下手だけど信頼篤いキャプテンのトニ、右が攻撃的な分ほとんど上がらない。ヘリが左サイドへ来てからはスタメン落ち、でもキャプテン、クラブが2部に落ちても、ヒル会長の逮捕に抗議する声明を読み上げる時もキャプテン。中盤の底には、よりディフェンシブな壊し屋ヴィスカイーノとよりオフェンシブな壊し屋「ダーティー」シメオネ、時代が時代なら今のマケレレエルゲラくらい「効いていますねえ」を連発してもらえるタイプ。攻撃的なパンティッチはコーナーキックフリーキック以外は何の役にも立たないし、守備もしない、でも一発のパスさえ決まれば全て帳消し、という点で同郷のマスロバルを彷佛とさせた。カミネロはワールドカップ94後のドイツやチェコのサッカー雑誌にスペインを代表する選手として載る程の天才、私もこの時期あわててボリビア戦やイタリア戦を見直した。やる気がない時が多いのも特徴。ターゲットにペネフ。キコは背が高いけど、実は足元の上手い2列目アシスト王だったりした。控えにはあと中盤にアトランタ五輪代表のロベルトがいたくらいか。
このメンバーで優勝し、翌96-97シーズンは右サイドにヘリよりもアギレラ(ヘリは左へ)、シメオネに代えてベイブル、ペネフに代えてエスナイデル、とマイナーチェンジ、のはずだが、ベイブルは移籍当初レギュラーという感じではなかったし、ソロサバルの代わりも思い出せない。にもかかわらずペネフよりもエスナイデルの方が記憶に残っている。記憶の混乱は仕方ない。資料に拠ると、96-97シーズンはシメオネはまだいて、ヴィスカイーノの代わりにベイブル、やる気ゼロのカミネロの代わりにアギレラを中盤で使うなど。ソロサバルもまだレギュラーで、翌97-98シーズンにはセンターバックにアンドレイ/プロダンで、ビエリ/ホセ・マリ/ジュニーニョなどが加入するが、それはまた別の話。
97年3月、悲劇は訪れる。リーガで3位以内、国王杯で準決勝、チャンピオンズカップでベスト8と全てに可能性を残したアトレチコは薄い薄い選手層にもかかわらず、その全てを獲得するべく、週2試合ペースをベストメンバーで挑む。その結果は、チャンピオンズカップの準々決勝アヤックス戦のセカンドレグ、エスナイデルがPKを決めればほぼ勝利という中で外し、延長でポルトガルの若手ダニに決勝ゴールを決められてまさかの敗戦、当時チャンピオンズカップESPNで放送しており、人に頼んでこの映像を見、ショックで立ち直れなかった。その後の国王杯ではバルサに5対4くらいの滅茶な試合で大逆転を食らい、敗退。強行日程の中、リーガの方も大事な試合を落として結局全てパー。アトレチコ崩壊のきっかけはここにある。レギュラー以外のメンバーが落ちる中、ターンオーバー制も存在しない、まさに「ウルトライレブン」で3冠を狙うバカがいた牧歌的な時代を忘れてはならない。

改めて読むと、事実誤認もあるだろう。さて、あれから約20年、回想してからでも約15年が経過し、実際どのくらい過密日程だったのか、どのくらい固定メンバーだったのか、どのくらいターンオーバーしたのか、調べてみようかと思った。あの頃よりネットの情報も充実し、便利になった。調べに使ったのは(http://www.worldfootball.net/teams/atletico-madrid/1997/3/)と(http://en.wikipedia.org/wiki/1996%E2%80%9397_Copa_del_Rey)。サイトの情報が正しいかは分からないけど、まあアバウトなスペイン人もサッカーに関しては真剣だろう。以下、GK/DF/MF/FWの表記は元ネタサイトにはない。私が記憶を基に便宜上付けた。

2/22、26節、対エルクルス(A)2-0win
GKモリナ、DFトニ(73分アギレラ)、ソロサバル、プロダン、ヘリ、MFベイブル、シメオネ、カミネロ、パンティッチ(82分ビアジーニ)、FWキコ、エスナイデル(82分パウノビッチ)

…連戦のスタート。この勝利で4位に浮上、首位まで勝ち点10差。日程の3分の2を消化した頃だし、まだまだ3冠のチャンスあり。

2/26、コパ、対バルサ(H)2-2
GKモリナ、DFアギレラ、プロダン、サンティ、トニ、MFベイブル(90分ロベルト)、シメオネ、パンティッチ、カミネロ、FWキコ、エスナイデル(63分ビアジーニ)

…まあまあベストメンバー継続。ホームで勝ちたかった処だが、まあ御の字の結果か。

3/1、27節、対セビージャ(H)3-2win
GKモリナ、DFヘリ(61分サンティ)、パブロ・アルファロ、プロダン、ロペス、MFビスカイーノ、シメオネ(66分ロベルト)、カミネロ、パウノビッチ、FWビアジーニ(58分フアン・カルロス)、キコ

…これは明確にターンオーバー。重要なバルサアヤックスの間だから当然。これで勝ちは大きい。しかしアルファロとカルロスは全く当時の記憶にないな。ネットによると、アルファロがDF、カルロスがFW。

3/4、QF、対アヤックス(A)1-1
GKモリナ、DFトニ、ソロサバル、サンティ、ヘリ(87分ビスカイーノ)、MFベイブル、シメオネ、パンティッチ(75分パウノビッチ)、カミネロ、アギレラ、FWエスナイデル

…これも割と順調。思惑通り。アギレラをMF起用、カミネロをFW起用だったのかな。アウェイのアヤックスだから相手に合わせたフォメにしたのかもしれん。なおプロダンは1997年1月に前年のCLグループリーグで対戦したステアウア・ブカレストから引き抜いたのでアトレティコのCLでは出られない国内戦専用。

3/9、28節、対ベティス(A)2-3lost
GKモリナ、DFトニ、サンティ、プロダン、ヘリ、MFビスカイーノ(58分ロペス)、シメオネ(56分パウノビッチ)、ロベルト、カミネロ(56分ビアジーニ)、FWフアン・カルロス、エスナイデル

…ベイブルとキコを休ませ、シメオネとカミネロを途中で代え、出来ればアウェイで引き分けたかった。

3/12、コパ、対バルサ(A)4-5lost
GKモリナ、DFロペス、サンティ、プロダン、トニ(55分ソロサバル)、MFアギレラ(69分ビスカイーノ)、ベイブル、パンティッチ、パウノビッチ(75分ロベルト)、カミネロ、FWキコ

…まずは1つ敗退。ちなみにこのシーズンのバルサとは、リーグ戦でもアウェイ3-3、ホーム2-5と、完全にバカ試合製造カードになっている。

3/15、29節、対バレンシア(H)1-4lost
GKモリナ、DFヘリ、ソロサバル、トニ、ロペス、MFベイブル、ロベルト(45分アギレラ)、パンティッチ(63分フアン・カルロス)、ビアジーニ(45分カミネロ)、パウノビッチ、FWキコ

…ホームだから勝ちたい、バルサ戦とアヤックス戦の間だから休ませたい、バレンシアだから手強い、の板挟みで一番悩んだ形跡がある。でも後半からアギレラとカミネロ投入って事はやはり勝ちたかったのだろう。割り切って休ませれば、アヤックス戦のコンディションも違っただろうに。多分トニをCBで起用。

3/18、QF、対アヤックス(H)2-3lost
GKモリナ、DFヘリ、ソロサバル、サンティ、アギレラ、MFベイブル、シメオネ(115分ロペス)、パンティッチ、カミネロ、FWキコ、エスナイデル(89分ビアジーニ)

…天王山。2つ目の撤退。俺の知っているベストメンバーで玉砕。この印象がずっと残っているのは確か。

3/23、30節、対バジェカノ(A)2-1win
GKモリナ、DFトニ(30分ソロサバル)、サンティ、プロダン、ヘリ(66分パウノビッチ)、MFベイブル(70分ビアジーニ)、シメオネ、パンティッチ、カミネロ、FWフアン・カルロス、キコ

…日常に戻って、アウェイで勝利。立派。っていうか、週半ばに120分戦っておいてほとんど同じメンバーっておかしいだろ。
★★★
こうして改めて確認すると、意外とターンオーバーしていた。GKはモリナ固定、両SBはトニ/ヘリ/ロペス/アギレラでローテ。CBはサンティ/プロダンがレギュラー、控えにソロサバル。後ろMFはベイブルとシメオネ、控えにビスカイーノ。前のMFにカミネロとパンティッチ、控えの汎用MFにロベルト。FWはキコとエスナイデル、控えのFWと前MF兼用にパウノビッチとビアジーニ。控えFWにフアン・カルロス。1試合のみのパブロ・アルファロを入れて計20名。SBはまあまあ豊富。ビスカイーノとロベルトは計算が立つ。パウノビッチとビアジーニは汎用性が高くて重宝したけど、レギュラーよりは格落ち。後は正直数合わせ。ターンオーバーはしているけど、層が厚いとは言えない。こんな感じかな。
★★★
薄い選手層で玉砕…何故こんな思い込みが発生したのかといえば、当時は全試合の放送を見られたわけでもなく、全試合のメンバーを確認出来たわけでもないから。ついでなので、当時の日記を引っ張り出してみた。日記には基本的に見たテレビのタイトルと観に行った映画のタイトルしか書いていなかった。

3/12、19:00〜、素晴らしかった、バルサ×アトレチコ3-3

…これは1996/11/9に行われた12節アウェイの試合。NHK-BS1が96〜97シーズンの放映権をこの時期にようやく手に入れたからなのか、1997年1月から怒涛の放送を始めた記憶がある。4か月前の試合を放送するのだから、牧歌的な時代。

3/19、アトレチコ×エスパニョール、ベイブル良い

…これは1996/11/16に行われた13節ホームの試合。実はあの頃チェコ代表もアトレティコもベイブルも好きだけど、アトレティコのベイブルには良い印象がなかった、というか前年度のチームが、そしてビスカイーノが好きだったからベイブルの加入には複雑だったが、このゲームに関しては素直に褒めている。当時の俺の心境や如何に。

3/20、アトレチコ×アヤックスにもえる

多分3/4に行われたCL1stのビデオを入手して浮かれている。あの頃のCLはスカイTVだかパーフェクトTVだかディレクTVだかで放送してて、それが全部映るケーブルテレビに加入しているオサレなマンションに住む社会人の先輩にビデオテープへの録画をお願いしていた。

3/21、ショック、アトレチコ×アヤックス2-3、75minエスナイデルPK外す、でも同点になってもアウェイゴールで…

多分試合はまだ見られてないはず。記憶にないが文字情報か何か。まだネット環境はなかったし、大学の図書館でジャパンタイムスのスポーツ欄だけ見て粗筋を確認したのかもしれない。

3/24、22:00〜アトレチコ×アヤックス、伝説の120分

CL2ndのビデオを入手。余談だが、私の1997年3月といえば大学卒業が決まって就職が決まっていない時期。まああの頃はその後に困難な人生を送るロスジェネになるとは思いもしないで呑気していたし、のんびりサッカー見て楽しんでいたはず。
★★★
最後に選手たちのその後をみておくと…パンティッチ(1966生)ビスカイーノ(1966生)カミネロ(1967生)が最後の輝きだったのはまあ仕方ない。ソロサバル(1969生)ロペス(1969生)アギレラ(1969生)ヘリ(1969生)モリナ(1970生)のバルセロナ五輪世代は代表で主力になる程にはならなかった。プロダン(1972生)ベイブル(1972生)キコ(1972生)エスナイデル(1973生)サンティ(1974生)も華々しかったデビュー時に比して実績を残したとはいえない。ロベルト(1973生)ビアジーニ(1977生)パウノビッチ(1977生)は若き可能性のまま終わっちゃった感。アトレティコWikipediaを読むと「ヒルは潤沢な資金アトレティコに投下し強化を推進」とか「ヒル会長の行った大型補強の成果」(ちなみに1998シーズン後に残っているのは20名中7人、2000年シーズンの降格後にはモリナ、ロペス、ベイブルが去り、サンティ、トニ、アギレラ、キコのバンディエラ系4人しか残っていないので、元々傭兵感漂う選手構成だったのは否めない)と書いてあるので、当時それなりに評価の高い選手たちだったはずなのに、移籍先で活躍した話もあまりなかった。結局、濃密すぎるシーズンを過ごして、みんな真っ白に燃え尽きちゃったんだろう…1人を除いて。1970年4月28日生まれのあの男を除いて。アトレティコを去った後もインテルラツィオのようなビッグクラブでプレー水準を維持し、2度のワールドカップにも出場したあの男を除いて…
というわけで、この思い出話が2014年のリベンジマッチ・復讐譚に繋がるのである。

シメオネ超効果 リーダーの言葉で今あるチームは強くなる

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