パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

RKB『シャッター 報道カメラマン 空白の10年』

http://rkb.jp/shutter/
ツイッターで適当に感想を呟こうかと思ったが、長文になったのでこちらで。「あの人は今」的な好奇心を満たす情報番組としてなら充分面白かったが、ディレクターが何かメッセージを伝えたくて作った作品として見るならば、かなり残念な出来だった。貴重な社会派のドキュメンタリーだからといって甘やかすのはよくないので、ちゃんと文章にして批判しよう。本当はもう一回見直して正確に書くべきなんだろうけど、そこまでしたくなる内容でもなかったのが正直なところ。
番組を見ていての印象は、新聞社に所属していたカメラマンに対して使うのは却って失礼かもしれないが、五味さんはノンポリだなあ、カメラ大好きな小僧がそのまま大きくなった純粋な人なんだろうなあ、新聞社に入社して配られた倫理規定とかあまり興味なくて読んで無さそうだなあ、と。この印象が間違っているとすれば、五味さんには申し訳ないが、ディレクターの伝える力量の無さという事で許して頂きたい。私の読みとる力が無いという言い訳は逃げの手なので使いません。
“見た瞬間に感じ、そして考える”(by五味)そして撮る。五味さんはそうやって写真を撮ってきた。恐らく文字媒体の記者は“見た瞬間に感じ、そして考えて…書く”だろう。考えてから書くまでに時間があるから、少し客観的になって他人に伝える方法を考える。策を練る。五味さんは考えた事を言語化するのが得意じゃなかったからカメラマンという仕事を選んだのだろう。だから、そこでちゃんと言葉にして伝える訓練をしていないのを責める事は出来ないけれど、事件後10年経ってもそれではいつまでたっても世間から「あんた、それでちゃんと考えたつもりなの?」との誹りは免れまい。まあ、だから周囲の応援団が「この人、すごい写真撮れるんですよ」と宣伝して回らなきゃいけない状況なんだろうが、事件から復帰するにあたって「この人の場合、言葉よりも写真の方が雄弁なんですよ」では済まされまい。
五味さんの写真が素晴らしい事、他人の懐に飛び込んで、信頼され、相手の顔を正面から見据えてシャッターを切れる才能。それは素晴らしい才能。普通はその無邪気さは大手マスメディアに入社して、報道倫理の規定とかガイドラインを読まされて頭に叩き込まれる内に臆病になって消えてしまうはずのもんだろう。だけど、ホスピス行って取材対象者と父子関係みたいになれる無邪気さこそが彼の才能だったんだよ。そして、無理矢理関連づけるとすれば、その無邪気さが爆弾の欠片を持ちこんで人を殺したんだよ。もちろん本当は全然関連なんて無いけど、もし反省とか贖罪とかをした事にして復帰するとすれば、とっかかりはそこにしか無いはずなんだよ。だけど、番組を見る限り、五味さんはエジプトでも相変わらず純粋な瞳で子供や老人の懐に飛び込んで優しい写真を撮ってるじゃないか。彼の撮った写真の発する魅力は全然変化してないじゃないか。この人、仮に事件を反省したとしても「釣鐘みたいな形をした爆発物は危ないから二度と近づかないようにしよう」みたいな個別具体的な方向でしか反省しかしてなくて、報道倫理を遵守しようとかカメラを向ける事の加害性を意識しようとか、そっち方面での反省は全然ないんじゃないの。また、個別具体的には違うけど似たような失敗をやっちゃうんじゃないの?
正直、反省です、贖罪です、って言っても、本人には反省も贖罪もしようがないと思うんだ。過失はあっても悪意はないんだから。「人を死なせて済まない」とは思えても、だからどうしたら贖罪になるかなんて分からない。カメラマンに復帰する事が良いかどうかも分からない。だって、過失とは何の関係もないんだもん。せめて五味さんが、「このクラスター爆弾の殻を持って、日本で反戦の論陣を張るぞ」くらいの政治意識を持ち合わせた人だったら、クラスター爆弾劣化ウラン弾に対する憤りを持った人だったら、逆にそれが反省のとっかかりになったのに、番組を見る限り恐らくそういう意識もない人だった。意識があれば、報道と政治活動の区別をつけるべきだったとか、二度と自分の私情を仕事に持ち込まないぞとか、そういう方向性の反省が見出されただろうけど、そんなのないもの。純粋なカメラ小僧が起こした偶発的な事故だもの。
途中で大谷さんが出てきて、最近の大手メディア不信やメディアのフィルターについてあーだこーだ言わせたりしてたけど、何かピントがずれているよね。ジャーナリズムっていっても、同じ取材する行為でも、シャッターを切る、取材して記事に書く、動画用カメラを向ける、それぞれの行為は微妙に違うと素人ながらに思う。記者って文字にする過程で溜めが出来るというか自分の色を意識して薄める事が出来る。TVの仕事はそもそもマスのマスに向けているから分かり易く薄くなる(する)。静止画ってのは、撮った人間の意識・視線がモロに出る。だからこそ新聞社の写真部の人達は悩むところがあるだろうし、五味さんは無邪気さ故にそこを突破して、個性的な素晴らしい写真が撮れたのかもしれない。…くらいの事は元新聞記者で現TV屋のディレクターなら考えて欲しいし、ディレクター自身と報道カメラマンだった五味さんとでは意識がどれくらい違うかとか追求してもらいたかった。なのに、「人間だから主観があって当然。伝えたい事の強弱があって当然。動画を垂れ流しにするというのは我々の仕事の放棄である、(私たちがしなければならない事は?)何を伝えるかですby大谷」とかピントずれ過ぎて訳分からない。IWJとかネットのダダ漏れ動画サイトを非難したってしょうがないじゃん。意味分からん。五味さんは偏った見方の写真を掲載して干されたの?違うでしょ。何の関連も無いじゃん。五味さんが素晴らしい写真家である事と、五味さんの持ち込んだ爆弾が爆発した事と、これまで選良のつもりでフィルター機能を果たしてきたマスメディアへの大衆の不信は、それぞれ何の関係もないんだよ。

日本では3・11後、マスメディアへの批判が強まっている。番組では、「人に伝える」とはどういうことなのか、さらに「報道とは何のためにあるのか」を、ジャーナリストの大谷昭宏津田大介とともに解いていく。
(番組公式サイトより)

正直このとってつけた感は無いよね。五味さんは人一人殺した後、「人に伝えるとはどういうことなのか」をどう考えたのか、どう考えが変わったのかを伝えて欲しかったよね。ディレクターの「五味くんは写真上手いよ」しか伝わってこなかったよね。五味さんが「報道とは何のためにあるのか」をどう考えるようになったのか教えて欲しかったよね。ディレクターの「五味くんは報道にとって役に立つ仕事が出来る人だから、いい加減復帰させてあげようよ」というメッセージしか受け取れなかったよね。少し酷い言い方をすると、五味さんを出汁にディレクターが報道とは何かを考えているよね。えー!?視聴者が知りたいのは、五味さんが報道とは何かをどう考えているかなんじゃないの?
まあ、何度も書いているように、写真を撮って報道するという行為と、空港で爆弾爆発して人を殺したという事故には、何の関連もないから、反省も贖罪もしようがなくて、敢えてするとしたら、上に書いたようなこじつけしかないんだけど、そもそも五味さんの10年の日々を淡々と描いて「こんなに腕の良いカメラマンを干したままにしとくのはもったいないよ」的な番組を作っておけばよいものを、「人に伝える」とか「報道とは」みたいなテーマと結びつける荒行を始めたのはディレクターの側だから、そこは遠慮せずに批判しておきたかった。
☆☆☆
番組のメッセージそのものではないが、構成上の不満もいくつか。
岡崎さんが5月1日に五味さんに寄り添うためだけにアフリカへ行くとか、五味さんの人間物語にもメディアのフィルター話にも何の関係もないエピソードじゃん。そんなん社内報にでも書いとけ。
毎日新聞福岡での同僚として横目で仕事ぶりを見ていたホスピス取材時代(〜1999年頃)、毎日新聞東京とキー局(TBS)の資料映像を利用した湾岸取材時代(2001〜2003年頃)、RKB記者としての独自取材(2008年〜)とおおざっぱに3区分出来ると思うが、それがごちゃまぜに説明なく続けて出て来るから「いま画面の外から話を振っているのは誰なんだよ!」的な気持ち悪さがあった。この番組の一人称はディレクターなのか誰なのか分かんねえよ。