パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『キャパの十字架』をめぐるあれこれ

1.基本情報
文藝春秋2013年新年特別号に沢木耕太郎『キャパの十字架』掲載(2012年12月10日発売)
 http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/509
横浜美術館ロバート・キャパゲルダ・タロー 二人の写真家」展(2013年1月26日〜3月24日、後援:NHK横浜放送局)
 http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/
・GTV『NHKスペシャル』「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚〜"戦場"写真 最大の謎に挑む〜」(2013年2月3日放送)
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/index.html
沢木耕太郎『キャパの十字架』単行本(2013年2月16日発売)
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784163760704
・ETV『日曜美術館』「ふたりのキャパ」(2013年3月3日放送)
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2013/0303/
NHK-BS1沢木耕太郎 思索紀行 キャパへの道」(2013年3月25日放送)

2.国分拓
このブログの読者なら御承知のように『Nスペ』「運命の一枚」及びBS1「思索紀行」のディレクター国分拓は、中立と客観を旨とするNHKには珍しく主観丸出しのドキュメンタリーを制作する変人ディレクターである(http://d.hatena.ne.jp/palop/20120411参照)。
その国分氏がキャパ生誕100年に合わせて発売される沢木の著書、或いはNHKが後援する美術展とタイアップしたかのようなドキュメンタリーを制作するなんて、どういう風の吹き回しなのか。それが上に記した基本情報を眺めた時の率直な疑問である。
と同時に思ったのは、国分のあの作風なら若い時分より熱烈な沢木信者である可能性は低くない。尊敬する沢木と仕事が出来るなら、喜んでタイアップ番組でも何でも作ろうじゃないか。そんな推測をしながらネットを検索していると、どうやら国分と沢木はずっと以前より一緒に仕事をしていた事が判明した。

3. 『イルカと墜落』

イルカと墜落 (文春文庫)

イルカと墜落 (文春文庫)

『イルカと墜落』は2003年6月22日に放送された『NHKスペシャル』「隔絶された人々 イゾラド」のロケ模様を沢木が書いたもの。詳しくいうと、沢木とNHK取材班がブラジルでセスナ機の不時着事故に遭遇した出来事を描いたもの。取材自体は2001〜2002年にかけて断続的に3回行われた。ディレクター国分拓、カメラマン菅井禎亮、プロデューサー伊藤純というお馴染みのセットがこの頃から形成されている。

私は、NHKの若いディレクターと大会期間中のフランスを2カ月近くまわることになった。日本の代表チームの試合を中心に見て、大会終了後に一本のテレビ・ドキュメンタリーを作るためだった。
(中略)
私たちが日本の代表選手への取材を開始し、さらに第二戦の相手チームだったクロアチアの選手と監督に会うため、いざヨーロッパに出発するという直前になって、急に番組が中止になった。理由は定かではなかったが、NHKの上層部の判断だということだった。
pp.9-11

どうやら国分は、若い時から上層部と揉める体質だったようだ。

ワールドカップ以後の二年間、コクブン氏は外国の放送局と共同で環境問題の大きな番組の制作に関わっていたが、その取材のためにブラジルへ行った折りにぶつかったテーマのようだった。
p.16

以下の引用は文庫版の解説―「沢木さんとアマゾンを旅して」―書いているのはほかならぬ国分。

あの沢木耕太郎とアマゾンの奥地を旅する。願ってもない最高の展開に僕はとても興奮していた。沢木さんより二十歳ほど年下の僕は、沢木さんの一人称で書かれる、いわゆる「私」ノンフィクションに参った世代だ。カシアス内藤輪島功一趙治勲瀬古利彦……。取材対象に密着し、膨大な対話と観察から生まれた数々の傑作を貪るように読んできた。
p.234

やはりNHKでプロの制作者になる以前より沢木の信奉者ではあったようだ。

僕たちは、沢木さんを通じてイゾラドを見つめるという表現方法を放棄した。僕たちは僕たちで勝手に撮影し、沢木さんはいたい場所にいてもらい、見たいものを見てもらうというやり方になった。
p.238

大よそのTV番組は映像を補完するようにナレーションが流れる。しかし、私たちの番組は映像と文章が緊張関係を持ったまま進んでいく。互いを思いやっているようで、それぞれが自己主張をしている。たぶん、僕たちが勝手にロケし、現場にいた沢木さんが後で好きに原稿を書く、というスタイルのせいだと思う。
p.245

この映像と文章がそれぞれ自己主張するスタイルは今回のキャパでも用いられているように感じた。
余談だが、NHK依頼の取材中に飛行機が墜落して九死に一生を得ました、なんて出来事があったのだから、NHKは永遠に沢木には頭が上がらないだろうとも思った。

4.沢木耕太郎
今回の件まで沢木の著書は読んだ事がなかった。恐らく『Number』(文藝春秋社)のアトランタ五輪総集編に掲載された「廃墟の光」だけだと思う。
著書ではないが、沢木が構成・監修と銘打った2002年サッカーワールドカップのTVドキュメンタリーを2本見ている(http://d.hatena.ne.jp/palop/20021228#p1参照)。大会前は割とバランスのとれた見方をしていたのに、大会後には沢木のブレーンとして取材に同行したらしい金子達仁馳星周(当時の『Number』サッカー班の論調を決めていた人物)の見方に引き摺られたのか、あからさまにトルシエ批判、ヒディンク絶賛のスタンスになっていてがっかりした。今から冷静に振り返ればトルシエの振る舞いへの嫌悪や、ヒディンクの采配の見事さは否定できないところだし、日本特有の“応援ジャーナリズム”とは一味違うところを見せたかったスタンスも理解出来る。と同時に「ニュージャーナリズム」(「私」ノンフィクション)とやらは最初の情報源によってかなり方向性が左右される危ういものだなあという印象も強く残る。

5.『キャパの十字架』

キャパの十字架

キャパの十字架

文藝春秋』版と単行本の両方にざっと目を通したが、ほとんど違いはなかったと思う。全10章から成り、最初の9章はひたすら写真「崩れ落ちる兵士」の謎を解く旅に割かれ、最終第10章「キャパへの道」のみゲルダを失ったと同時に有名な写真家となってしまった以降のキャパの人生を記述している。
朝日新聞に掲載された後藤正治の書評(http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013031700003.html)にある通り、《本書の主題は最終章「キャパへの道」》にある。そのために沢木は9章を費やして「どこで撮ったのか(やらせなのか)」「誰が撮ったのか(盗作なのか)」の2点を明らかにしている。なんだけど、読んでの率直の感想は、沢木の頭にはノルマンディーでのキャパの行動に対する推論―《虚名に追いつき「負債」を埋めなければならない》(前述後藤)―が先にあって、そのためにも撮ったのはゲルダでなければならない、という思考跡が見える。沢木の中で結論は先に決まっていて、その補強材料を一生懸命探しているように読める。読めば「〜と思われる」「〜に違いない」というニュージャーナリズムらしいキャパの内面を推測した記述も多数あり、そのスタイルの危うさも改めて感じた。もちろん沢木と一緒に妄想と推測の旅をする事こそが読者にとっての魅力であるだろうが。
NHKのドキュメンタリーディレクター山登義明がブログで指摘している事は大いに肯ける。

なぜこの作品が実戦でないということ、自分が撮ったのではないということをキャパは語らなかったのかという点を、このドキュメントはゲルダの突然の戦死に理由があるとしている。文学的にそれはおおいにありうるとは思うが、その根拠がきわめて状況証拠でしかない。物証がない。
http://mizumakura.exblog.jp/19225694/


6. BS1沢木耕太郎 思索紀行 キャパへの道」
2013/3/25初回放送、50分、文:沢木耕太郎、撮影:菅井禎亮、ディレクター:国分拓、制作統括:伊藤純、制作・著作:NHK

最も偉大な戦場カメラマンとして、今なお伝説的な存在であり続けているロバート・キャパ。生誕100年の記念の年に、「キャパ」はいかにして「キャパ」となったのか。ブダペスト、パリ、アンダルシア、ライプチヒ…、作家・沢木耕太郎が、その縁の地を訪ね、思索を重ねていく。
(公式サイトより)

『Nスペ』が『十字架』で展開された謎解きをなぞりつつ、映像メディアらしいCGによる再現に徹していたのに対し、「思索紀行」はより独自色が強い。いつもの国分スタイル。
視聴時は、エンドクレジットに〈文・沢木耕太郎〉とあり、ナレーションが沢木の一人称「私」だったので、てっきり『十字架』内の文章を沢木が朗読し、国分が同行した映像を重ねているのかと思った。しかし『十字架』には沢木が写真の謎を解くためにスペイン・フランス・米国を取材に訪れた話は出てくるが、「縁の地」ブダペストライプツィヒを訪れた話はない。『十字架』には、

…実際、私もそのオマハ海岸に行って周辺を歩いたことがあるが〜
文藝春秋』p.506

という記述がある。謎解き旅行とは別に思索旅行があったことが窺える。番組のナレーションは『十字架』とは別に、沢木の思索旅行に同行した国分が、その琴線に触れたエピソードを改めて沢木に執筆・朗読してもらったのかもしれない。
そもそも、『十字架』の最終第10章「キャパへの道」では、ゲルダの死後〜ノルマンディーを経てインドシナにおけるキャパの死までを扱っているが、キャパが1945年4月にゲルダの故郷であり戦火のライプツィヒを訪れ、それをもって戦争取材の最後としたエピソードがない。はっきりいえば、沢木はキャパが負債を払って本物のキャパになった地をノルマンディーとしているが、国分はライプツィヒとしているくらいの差がある。そして国分の方が沢木以上にロマンティスト。沢木以上にニュージャーナリスト。余談だが『十字架』には『Nスペ』に出てきたパリ解放時の坊主女性のエピソードもない。

7.結論めいたもの
『十字架』によると、沢木は1980年代にキャパの著書を翻訳して以来、「崩れ落ちる兵士」の謎を気にかけていたが、取材する余裕はなかった。2009年7月18日付のAEP通信が報道した写真に関する新事実を知り、取材を具体化しようと決意する。そして2010年夏から2012年6月初めまで取材を重ねている。
最初に受けた《2013年はキャパ生誕100年だ→NHK後援で美術展やろう→『Nスペ』や『日曜美術館』のような看板番組で宣伝しまくろう&文春と組んで沢木に書いてもらおう》みたいなゲスな印象とは異なり、《2010年の沢木、念願のスペイン取材を敢行→2012年頃の国分、沢木の取材情報をキャッチ→国分「その謎解きNHKの企画にしませんか」&「謎解きとは別にキャパの足跡を一緒に旅行しませんか」的オファー→NHK「折角だから番組に合わせて写真展を開こう」&「自社番組で紹介しよう」》という感じではなかったかと推測する。

8.蛇足
先に引用した山登ブログの別の日、3月16日に以下のような記述がある。

友人が話題のノンフィクションに苦言を呈していた。さきごろ発表されたキャパのテレビドキュメンタリーと単行本となった文章の関係をそこはかとなく批判していた。あの作品たちはたしかにサワキ自身が大きく関わっていることは事実だろうが、果たしてかれ一人の業績だろうかという疑念だ。文章のほうは完読していないから正確なことは分からないが、あのドキュメントのなかで撮影者の特定する方法などは明らかにテレビ関係者の発想があったと思われるが、これらの果実をすべてサワキの独り占めとなると、?と思わざるをえない。(後略)
http://mizumakura.exblog.jp/19676027/

正面切った批判というよりは、いささか煮え切らない当てこすりのような文章だ。文中の「友人」とは恐らく山登と同じく元NHKのドキュメンタリーディレクター永田浩三で、この数日前に更に厳しい表現(“沢木某”とか)で『十字架』に対する当てこすりの文章をブログに書いていた。というか私は永田のエントリーを先に読んだ。永田は昨年12月の時点では『文藝春秋』版を絶賛していた(http://nagata-kozo.com/?p=10207)し、2月の『Nスペ』後も沢木の調査を評価していた(http://nagata-kozo.com/?p=10550)ので、批判を読んだ時はその態度の豹変ぶりに驚いたが、いつの間にか永田は当該エントリーを削除してしまった。ウェブ魚拓を取っておくべきだったが後の祭り。
とはいえ、知り合いのOB連中に愚痴るくらいNHK内部で沢木に対する不満がくすぶっていた事が想像できる。確かに『Nスペ』のCG表現は素人にも分かり易くて良かったが、『十字架』を読むと、スペイン南部の現地に取材し、原寸に近い写真が掲載された当時の雑誌を求めてパリの図書館やニューヨークの古本屋を訪ね歩き、ライカとローライフレックスの違いを知り合いの写真家・井津建郎や田中長徳に尋ねたりしたのは沢木で、NHKの力を借りなくてもアナログな手法でちまちまと縦横の寸法を計って謎を解き明かした気もする。でもなあ、これまでの経緯からすると、ディレクター国分が沢木の著書を「手柄を一人占めした」と批判するとは思えない。結局、誰が謎を解くのに貢献したかという話ではなく、もっと泥臭い人間関係のもつれが根底にあるのではないかと想像するが、みんな実名を上げずに当てこすり合って真相は闇の中。