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パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

ドキュメンタリーにおける主観と客観を巡って〜NHKスペシャル「南相馬 原発最前線の街で生きる」

ドキュメンタリー

『Nスペ』「南相馬 原発最前線の街で生きる」
2012/3/9初回放送、57分、取材・撮影:菅井禎亮、ディレクター:国分拓、制作統括:岩堀政則、制作・著作:NHK

(参考)Togetter:ドキュメンタリーにおける主観と客観を巡って〜NHKスペシャル南相馬 原発最前線の街で生きる」http://togetter.com/li/270568
世間一般に、ドキュメンタリーは事実だけを集めた客観的なものと考えられ、特にNHKのドキュメンタリーでは偏りのない事実に依る公正中立なものが期待されている。だが最近は、客観的なドキュメンタリーなど存在しない、事実の集め方から編集の仕方まで制作者の恣意性は当然のように存在するものだとする森達也氏らの意見も、ドキュメンタリー好きな人間の間では浸透し始めている感じがある。
NHKスペシャル』「南相馬 原発最前線の街で生きる」のディレクター国分拓氏は『ヤノマミ』で知られる一風変わったNHKディレクターである。自分は『ヤノマミ』のほか『BS世界のドキュメンタリー』「ファベーラの十字架 2010夏(A Crus da Favela)」と『ハイビジョン特集』「新シルクロード:第4集のカザフ〜南ロシア編」を見ているが、良くも悪くも作家性が強いのでETVかBSを主戦場にした方が良さそうだと思っている。ちなみに『ファベーラ』でも放送を見た取材協力者にブログで「メディアは大袈裟に取り上げるけど実際のファベーラはとても穏やかな場所なんだ」「「ファベーラ=危険なところ、ギャング、サッカー、銃撃戦」とだけ情報を発したがるメディアのことをファベーラの人たちは全く信用していない」「…ウソではない。ただ、それは物事の一側面にしかすぎない」と書かれるくらいだから、いわば札付きの主観派ではある。
その国分氏が地上波のど真ん中でありNHKの看板番組に、しかも誰がとっても論争的にならざるを得ない南相馬を舞台にした番組で登場する。そこには必ずや 主観派と客観派の立場の違いによるある種の異文化衝突が起こるに違いないと考えた。実際このドキュメンタリーを見て、その内容を痛烈に批判しているブログ(「モノディアロゴス|怒り心頭に発してます」http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/5267)がツイッターで紹介され、多くのRTがされていたのを御存知の方も多いだろう。しかし、togetterの制作者ツイートを読めば分かるように国分氏は“寡黙な東北人が、震災にめげず、健気に頑張ってる姿”を描いたドキュメンタリーばかりなのに違和感があってこの作品を作ったのに、上記のブログでは“このお涙頂戴の、情緒纏綿たる安手のドキュメンタリー” “現在の南相馬という町を捉えるたくさんの視点の中から、希望のない悲劇的な面だけを選りすぐって繋いでいる”ことが批判されているのは興味深い。まず、絆とか頑張れとかのポジティブ系vs悲劇とか将来真っ暗のネガティブ系という対立軸、それから被災者に寄り添うスタイルの情緒系vs事故原因や権力の怠慢を告発する論理系という対立軸、2つの対立軸を組み合わせた4つの立場があると考えられる。単一の作品の中で全ての立場を過不足なく描くべきなのか、それとも世に溢れる情報の中で少ない/足りないと思う立場に寄り添って描くべきなのか。
過去のエントリーで何度も書いているが自分の立場を改めて表明しておくと、(a)客観的なドキュメンタリーなんて存在しないのはその通り。但し、客観性を最大限目指して制作しても主観を排除し切れない部分が残るのと、始めから「客観性なんて要らない」と開き直って制作するのは違う、(b)NHKの看板を背負って作家性の強い番組を作るなら、番宣の段階からディレクター名なども明かして「一枚岩でないNHK」を顕在化すべし、(c)米国の公共放送WGBHがやっているように、或いは全国各地をまわって上映会を行っているドキュメンタリー作家がやっているように、放送後にディレクター・プロデューサーは視聴者とのティーチイン(質疑応答)に応じるべき。公共放送で大々的に視聴される環境を得ながら、NHKの看板に隠れてディレクターの姿が見えないのは残念。
(c)の理由から、今回のtogetterでは番組ディレクターが匿名でされているらしいツイートもまとめている。このまとめをきっかけにアカウントを削除されるようなことがあれば、それは誰も幸せにならない結果だし、正直かなり迷ったのだが、ある程度の公的責任は背負ってもらいたいと思うので敢えて掲載している。というか、本来この程度の制作意図は個人匿名ツイッターじゃなくて、番組公式サイトで表明すべきじゃないのかという批判も込めている。映像作家が「俺の説明を読んで理解するのじゃなくて俺の映像を見て感じろ」と言いたい気持ちは想像できるが。