パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

日米安保関連

検索用キーワードのところのカッコ内は、作品中のテロップに付いていた肩書。「当時」「元」は外した。有名な政治家はともかく、市井の人々のように出てくる人を検索したら市民運動や経済分野で名を成した人であったりするので面白い。米国大使館員なんかも偉くなっていたりする。

BS世界のドキュメンタリー』「沖縄返還と密約〜アメリカの対日外交戦略」
2010/5/15初回放送、50分、撮影:金子秀樹/杉山徹/新田明人、取材:野島学、ディレクター:土江真樹子、制作統括:山崎秋一郎/前原信也、制作:NHKグローバルメディアサービス、制作・著作:NHK
検索用キーワード:モートン・ハルペリン(国防次官補代理)千葉一夫(外務省北米課長)リチャード・フィン(国務省日本部長)栗山尚一(外務省条約局課長)チャールズ・シュミッツ(大使館法務員)吉野文六(外務省アメリカ局長)森田一(大蔵省法規課)
1972年沖縄返還直後に米国政府がまとめた報告書『沖縄返還ケーススタディ』を使って米国側から返還交渉を読み説く。「沖縄の施政権はいらないが基地はいる」が米国のスタート。
取材の野島氏がNHK所属、土江氏がフリーのディレクター。制作会社が噛んでいない外部持ち込み企画だと、こういうクレジットになるらしい。

『Nスペ』「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」
2010/6/19初回放送、55分、取材:姫野敬司/松本成至、撮影:野村宏、ディレクター:宮川徹志/岩田真治/内山拓、制作統括:小貫武/増田秀樹/高山仁、制作・著作:NHK
上に書いた『BS世界のドキュ』と同じスタッフによる姉妹編かと思いきや、全く別物だった。米国では公文書が一定期間を置いて公開されるのに、日本だと私人が必死の思いで残した著書に基づいて歴史を語らなければならないなんてお粗末。
番組を見ながら「千葉一夫」で検索していたら、丁度国会の場面で当時の国会議事録がヒットした。質問者は上田耕一郎、答えたのは柿澤弘治外務大臣。非自民として2カ月の命だった羽田内閣だったのに、佐藤栄作以来の偽証答弁がちゃんと継承されているのは、大臣の仕事が官僚の用意した答弁を読むだけだからか、柿澤氏が自民党政治の匙加減を理解している人だっただからか。

『BS特集』「現場報告 アメリカ海兵隊〜変わる沖縄駐留の意味」
2010/6/20初回放送、50分、出演:キース・スタルダー(中将、太平洋海兵隊司令官)ジョセフ・サンプソン(太平洋海兵隊再編担当補佐官)、取材協力:北村淳、撮影:水雲涼子、取材:須田正紀/笠間毅、ディレクター:伊藤王樹/森本真紀子、制作統括:宮本英樹、制作・著作:NHK沖縄
沖縄の海兵隊は安保条約の範囲内で東アジアの安定のために駐留しているのではなく、米国の世界戦略の一環に位置づけられるもので、日米の関係も安保を超えて軍事同盟であり、海兵隊の関係者もはばかることなく公言し、曖昧な位置付けでごまかしているのは日本政府だけという、最近では孫崎享氏が唱えている論を文献資料ではなく実地の取材で明らかにしたもの。足で稼いだ流石のNHK沖縄。


ETV特集』〈シリーズ安保とその時代〉「第1回 日米安保を生んだ“冷戦”」
2010/8/1初回放送、60分、撮影:浅野康治郎、リサーチャー:平本香奈子/松山果包/倉地三奈子/藤岡ひかり/大竹徳典、コーディネーター:福原顕志/柳原緑/劉豆/ナターリャ・ガリャーチェワ、取材:首藤圭子、ディレクター:濱崎憲一、制作統括:増田秀樹、制作・著作:NHK
検索用キーワード:平和問題談話会、武田清子、マイケル・シャラー(アリゾナ大教授)沈志華(上海華東師範大学教授)
タイトルにある“冷戦”の“”は要らない、普通に冷戦でいいじゃんと思うが、もしかして“冷戦”は既に専門用語か何かになってしまったのか。
武田清子さんは去年放送された『ETV特集』「鶴見俊輔〜戦後日本人民の記憶」に名前だけ出てきたが本人出演されなかったので、てっきり人前に出るのを控えているような健康状態とかかと思ったら、すごいお元気でいらした。

ETV特集』〈シリーズ安保とその時代〉「第2回 “改定”への道のり」
2010/8/8初回放送、60分、撮影:浅野康治郎、リサーチャー:平木香奈子/松山果包/倉地三奈子/藤岡ひかり/大竹徳典、コーディネーター:福原顕志/柳原緑/劉豆/ナターリャ・ガリャーチェワ、取材:首藤圭子、ディレクター:濱崎憲一、制作統括:増田秀樹、制作・著作:NHK
検索用キーワード:栄植(駐ソ中国大使館員)菅英輝(西南女学院大学教授)イゴーリ・ロガチョフ(駐中ソ連大使)牛畏予(新華社通信カメラマン)
1953年、石川県内灘町で本土初の基地闘争。全く知らない話だったし、仮に知っている視聴者にとっても当時の関係者で今も暮らしている住民の証言があるのはインパクトがあって良い。
第1回と第2回は同じスタッフだし、同じエピソードの前後編という感じ。外交文書から米中ソの思惑を読み説く部分と国内の運動を絡めることで、当時の状況を多角的に見せようという意図だったと思うが、正直うまくいってなかった。平和問題談話会の与太話をカットして90分にまとめた方が良かったのでは。

ETV特集』〈シリーズ安保とその時代〉「第3回 60年安保 市民たちの一か月」
2010/9/5初回放送、90分、撮影:日昔吉邦、リサーチャー:高柳陶子、取材:首藤圭子、ディレクター:渡辺考/荒井拓、制作統括:増田秀樹、制作・著作:NHK
検索用キーワード:中曽根康弘科学技術庁長官)吉田嘉清(安保改定阻止国民会議幹事)葉山岳夫(東京大学4年生・全学連を指導したブント幹部)篠原浩一郎(九州大学4年生・全学連幹部)江田五月東京大学1年生)横路孝弘(予備校生)水野清(防衛庁長官秘書)伊藤茂(安保改定阻止国民会議事務局次長)石田雄(東京大学助教授)大西巨人(作家)石原慎太郎(作家)槇仙一郎(果樹農家・山形県神町)織田喬企(三池炭坑電気工)馬場昇(熊本県の教職員組合委員長)瀬底建英(中央大学2年生・沖縄県出身)新津新生(東京教育大学4年生)歌川令三(毎日新聞記者)小島弘(全学連幹部)窪田康夫(ラジオ関東アナウンサー)
番組の趣旨としては、2010年の視点から1960年を振り返って語る事だと思うのだが、「1960年はこうだったよ」をそのまま語られても只の思い出話にしかならないわけで、2010年視点=「安保闘争が反岸・民主主義擁護に代わった時点で大切な問題を置いてきちゃったね」で語ったのは、葉山、石原、石田各氏くらいだった。石原氏は「日本は米国の妾だ」発言の言葉尻をとらえられて問題にされそうだが。
現代的な問題提起の弱さは置いて、「若い人も歴史を知りましょうね」的な番組としてみれば、それなりに勉強になった。ワールドカップ・カメルーン戦の映像の印象操作的な使い方は、若い人の反感を買うだけだと思ったけど。
全学連のリーダーって、この頃流行りの就活視点でみると、真っ先に内定もらえるタイプだよね。「学生時代はブントというサークルで、デモというイベントを企画し、リーダーとして活躍しました。早朝からビラを配ったり苦労もありましたが、様々な工夫をして最後のデモでは約1万人以上の集客を記録し、非常な達成感を得ました。仲間と汗して取り組むことでチームワークの大切を学びました」みたいな。
七社共同宣言は初耳。煽って掌返しするマスメディアかっこいい。

ETV特集』〈シリーズ安保とその時代〉「第4回 愚者の楽園へ〜安保に賛成した男たち」
2010/9/12初回放送、90分、撮影:三宅隆、コーディネーター:野口修司、取材:首藤圭子、ディレクター:岩田真治、制作統括:増田秀樹、制作・著作:NHK
検索用キーワード:土曜会、津崎渉(東京大学1年生)、佐々淳行、福留民夫、若泉敬、矢崎暢三(小岩井農牧会長)佐伯浩明(産経新聞記者)吉田信三(読売新聞記者)西田喜雄(三井物産勤務)伊奈久喜(新聞記者)志村嘉一郎(朝日新聞記者)粕谷一希(若泉の同級生)、箕作元秋、谷内正太郎(外務事務次官)窪田竹治(新日本製鐵勤務)上妻秀朗(NTT勤務)
スタッフクレジット的にみて『Nスペ』「密使 若泉敬 沖縄返還の代償」のスピンオフ企画。だからなのか、土曜会の初期メンバー(若宮・佐々・粕谷は1930年生まれ)と大学生として60年安保闘争を体験した世代(1940年前後生まれ)の話がごっちゃにして視点が定まっていない印象。表向きの本題である安保闘争世代の物語と本当はスタッフが中心に据えたそうな若泉さんの物語とは本来ずれているのに、強引に混ぜたから仕方ない。個人的な好みでいえば、マスメディアや大企業に就職して相変わらず声がでかい先輩たちに挟まれて発言権が弱そうな津崎さんの視点に固定して、若泉先輩世代の台頭を仰ぎ見る(50年代)→自分たちが主役の安保闘争(60年)→経済成長によって盛り上がらなかった70年安保→若泉の死の衝撃(90年代)→老いた我々世代が振り返る、と流れた歴史的事項を取り上げ、彼の眼にはどのように映ったかを追って欲しかった。
他は皆退職しているから肩書に社名が入っているが、伊奈さんは現役の日経編集委員だから「新聞記者」の肩書なのかな。
上妻氏曰く「変えるのは、本当は我々の世代くらいまでに終わらせておかなくちゃいけなかったんだよな。だけど、そういうチャンスも能力も環境もなくて、汚染されちゃったものが今やってるからなあ(笑)」って、「我々は体制内改革派である(キリッ」とか言っておきながら勝ち逃げ出来る世代は呑気でよろしいどすなあ。
画面に映ったアジビラの最後(右端)に「学生土曜会有志(東大・早大・慶大・お茶の水女大)」とある。女性メンバーがいたのなら、その人を探してきて今の世界をどう見ているか尋ねて欲しかった。まあ実際には、この会で知り合った将来有望なエリート学生と結婚して、今は有閑マダムとして何不自由なく暮らしているから、こういう番組に出て証言などはしないのかもしれない。
佐伯氏曰く「お妾さんの状態」、石原氏用語かと思いきや、意外と自主独立派には浸透しているみたい。

『Nスペ』「スクープドキュメント“核”を求めた日本〜被爆国の知られざる真実」
2010/10/3初回放送、50分、取材:吉田好克/菅原研/有岡加織/大崎要一郎、ディレクター:西脇順一郎/小笠原卓哉、制作統括:小貫武/高山仁、制作・著作:NHK
佐藤政権が核保有を検討し、周辺国と国民の反発から断念し、核の傘に入ることを米国に確認した上で、非核三原則を唱えるまでの話。

『Nスペ』〈シリーズ日米安保50年〉「第1回 隠された米軍」
2010/12/4初回放送、60分、キャスター:国谷裕子、撮影:日昔吉邦、リサーチャー:ウインチ啓子、コーディネーター:柳原緑、取材:太田宏一、ディレクター:渡辺考/荒井拓、制作統括:増田秀樹/伊藤純、制作・著作:NHK
検索用キーワード:ライシャワーの核慣らし、ジョージ・パッカード(元駐日米大使館特別補佐官)、アルバート・セリグマン(元駐日米大使館職員)山崎俊治(東富士農民再建連盟)本間一一(防衛施設庁職員)原隆司(佐賀大学生)スティーブン・ドーキンス(駐日米大使館職員)堀昭(長崎時事新聞記者)ロバート・イマーマン(駐日米大使館職員)中曽根康弘運輸大臣)大河原良雄(外務省アメリカ局外務参事官)
東富士演習場を例に1950〜70年代の米軍の戦略を米国の公文書からたどる。
自主防衛論の中曽根さんは60年代から国民人気が高かったらしい。

『Nスペ』〈シリーズ日米安保50年〉「第2回 沖縄“平和”の代償」
2010/12/5初回放送、50分、キャスター:国谷裕子、取材:喜多祐介、コーディネーター:野口修司、撮影:日昔吉邦、リサーチャー:柳原緑、撮影:佐々木剛、ディレクター:岩崎努/広瀬哲也、制作統括:宮本秀樹/吉光賢之、制作・著作:NHK
検索用キーワード:アラン・ミレット(博士・元海兵隊大佐)嘉陽宗信(86歳)中曽根康弘沖縄返還交渉時・防衛庁長官)銅崎富司(沖縄対策本部本部長)花城清善(79歳)砂川直義(土地連事務局長)リチャード・ローレス(米国防副次官)

『Nスペ』〈シリーズ日米安保50年〉「第3回 “同盟”への道」
2010/12/11初回放送、60分、キャスター:国谷裕子、撮影:宮崎竜夫、リサーチャー:ウインチ啓子、コーディネーター:野口修司、取材:高井孝彰/津屋尚、ディレクター:夏目高平/山口大介、制作統括:小野勇人/水野重理、制作・著作:NHK
検索用キーワード:ジャパン・ハンド、ジェームズ・アワー(国防総省日本部長)加藤紘一防衛庁長官)中村ライン、リチャード・アーミテージ(国防次官補代理)岡崎久彦防衛庁参事官)塩田章(防衛庁防衛局長)有馬龍夫(在米日本大使館政務班長)畠山襄(首相秘書官)渡邉昭夫(東京大学名誉教授)鳩山由紀夫官房副長官・首相)大河原良雄(駐米大使)ポール・ジアラ(国防総省日本部長)ジョセフ・ナイ(国防次官補)秋山昌廣(防衛次官)田中均(外務審議官)
ETV特集』も含めてシリーズ中ずっと、前口上に「1960年に改定された安保条約は現在まで一字一句変えられていません」を繰り返すのだが、何が言いたいのか意味が分からなかった。「冷戦が終わって国際環境も変化しているのに、何故条約は修正されないの?」と言いたいのかと思ったら、どうやら「条約が修正されないまま、安保が条約文の範囲を超えて日米軍事同盟になっているぞ!」が言いたいようだった。逆に受け取っていた。
ここまでソ連が存在しなかったかのように安保を語っていたのでなんだかなと思っていたが、ようやく出てきた。米国の公文書を利用して米国側の戦略を問うならソ連の話は避けられないだろう。もっといえば1951〜60年の安保をめぐる話にギリシアやイタリアの共産主義運動とかハンガリー動乱を抜きにしては語れないと思う。

『Nスペ』〈シリーズ日米安保50年〉「第4回 日本の未来をどう守るのか」
2010/12/11初回放送、95分、エンドクレジット無し、出演:国谷裕子(キャスター)、寺島実郎日本総合研究所理事長)/豊下楢彦関西学院大学法学部教授)/添谷芳秀(慶應義塾大学東アジア研究所所長)/田中均(外務審議官)/福山哲郎内閣官房副長官)、制作・著作:NHK
検索用キーワード:「日米同盟・未来のための変革と再編」(2005年)
田中氏の官僚答弁が無双過ぎて面白かった。「日本の外務省は米国の指令通りの言いなりだよね」を前提にした同じ土俵には決して乗らず、その他の些細な事実関係については嘘をつかず批判相手におおよそ同調するというテクニック。ああいう時、国谷氏が「ウィキリークスが公表した公電によりますと、日本は米国から送られてくる指令に従順ですね」といった攻撃を仕掛ければ、歴史に残る番組になれたけど、NHKにそんな蛮勇はなかった。

こういう歴史的視野を持ちつつ現代的な課題を考えるタイプのドキュメンタリーはどの方向で制作するのか決めるのが難しい。当時には当たり前だったけど今では忘れられて継承されていない事実を若い人に向けて改めてお知らせするのか(知っている人には面白くない)、当時にも明らかでなかった事実を発掘された新史料から報じるのか(スクープ性&発掘自慢が先に立つと問題意識が薄まる)、両者を混ぜつつも2010年の問題意識を前面に出して歴史を再構成するか(捏造だの偏向だの言われ易い)。

番組制作者が当たり前だと考えているからか、ちゃんと説明してくれていないと思えるのが「何故核に関する密約が必要だったか?(密約の核部分以外は別として)」について。いや、理屈では分かる。返還前、本土には「非核三原則」の縛り&米国統治下の沖縄には核持ち込み可。返還後の理想だと、沖縄にも本土と同様に非核三原則の縛りをかけたい。でも現実は、米国がイエスと言わないから非核三原則か沖縄を本土並みのどちらかを削ろう。どっちも削れないから密約でこっそり沖縄へ核を持ち込もう、という理屈。この理屈だと、本土に対する非核三原則の縛りが絶対に譲れない国是のように感じるけど、ウィキペディアの「非核三原則」を読むと、これが具体的に発せられたのは60年代半ば(初出が1967年)。沖縄の返還交渉と同時期やん。しかも国際会議で全世界に向けて宣言したとか引っ込みがつかないくらい強固な宣言なのかと思いきや、国会の答弁で徐々に肉付けされたただの政府見解みたいなものだった。大局的・道義的に非核三原則が尊いのは理解できるけど、どうしても理想が叶わない場合、整合性を得るための手段として政府見解の方を撤回せずに密約を選ぶ感覚が1970年代以降生まれの俺には分からない。政府見解がいつの間にか国是みたくなって、俺が小学校に通った80年代には教科書に載るような用語になっているのだから、フワフワした言葉の上に成り立つ日本恐るべし。