パロップのブログ

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コダーイさんかっけー

バルトーク―歌のなる木と亡命の日々 (作家の物語シリーズ)

バルトーク―歌のなる木と亡命の日々 (作家の物語シリーズ)

ひのまどか著『バルトーク―歌のなる木と亡命の日々』に出てくるコダーイの言葉がいちいちかっこいい。以下に引用。

交響詩《コシュート》の初演は成功して、バルトークは一夜にして名声をえた。こうした「愛国的」としかいいようのない作品に対してさえ、コダーイは、「まだ目ざめていない。」といったのだ。さらにつけ加えて、「政治的立場の表明には成功しているが、音楽的にはリスト、ワーグナーの路線から一歩も外にでていない。」ともいった。
pp.46-47

そして新しいスタイルのなかでの、ようやく納得がいけた作品である《組曲第一番》に対して、こんどはコダーイは、「民謡からメロディーを借り、ジプシー音楽からリズムを借り、あとの和声はドイツの借りもの。」といったのだ。
p.48

「君が現状に対する疑問をもちながら、ドイツ音楽を完璧に学んだがゆえに、袋小路に追いつめられていることはわかっていた。しかし君がぼくの論文を読み、ぼくをたずねてくれたということは、君自身が民謡の重要性に気づいたからだと思う。民謡とは人類の歴史であり、書かれざる文学なのだ。もし君がいままで歩んできた道をひきかえし、ぼくと同じ出発点にたつならば、この道こそわれわらがすすむべき道だと確信できるだろう。作曲家はつねに新しいものを生みだす宿命にあるが、完全に新しいものは、完全に伝統的なものからのみ生まれると、ぼくは考える。」
pp.52-53

そしてバルトークからスコアを見せられたコダーイは、熱心にそれを読んだのちきっぱりといった。「この作品は、生への回帰だ。真にバルトーク的な作品だ。君はようやく自分自身の表現方法をさがしあてたんだ。」
p.67

まあ、コダーイがかっこいいというよりは、ひの氏の創作したコダーイがかっこいいというべきか。どこまでがタネ本にあり、どこからがひの氏の創作なのかは分からないが、実際にその場で聞いていたかのような臨場感ある決め台詞を連発するひの氏に、コンテンツ業者は脚本を依頼するべき。

本来児童向けである上記の本に出会ったのは、教職単位を取るために大学の付属小学校へ授業見学へ行った時、早く着いたので教室後ろの本棚を眺めていて見つけたのが最初だから、今から約15年前。タイトルもあやふやにしか覚えていなかった本をネットで調べ、図書館の在庫を調べ、こうして再び巡り合えた。金儲けのためでも仕事のためでもなく、単に興味があるからという理由だけで延々と調べ物をするのが大好きな人間にとって素晴らしい時代になった。

ちなみにコダーイの言葉を聞いて素直にショックを受けるバルトークもマジ良い奴で魅力的な人物造形。

マジャール語を話し、民族服を着ることでいっぱしの愛国主義者をぶっていたぼくは、なんというあさはかな男だろう。
p.50