パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

CS「第28節・横浜FC戦」

2008/7/27放送、実況:中村義昭、解説:野々村芳和
サッカーファンの「“五輪は罰ゲーム”というのがオサレ」みたいな雰囲気が嫌で、これまで五輪にはあまり言及してこなかったが、メンバーを発表されたことだし、今年の4月19日くらいに書いたまま放置していた文章を載せることにする。
***
失点数が少ないチームのCBを代表に呼べという話になりやすい。大分が好調なときは深谷、清水なら和道、鹿島なら岩政、柏なら古賀、新潟なら永田とか千代反田。岩政はドリブルする貴章を追い掛けて追いつけなかった姿を、Fマリの中澤は杉本にぶっこ抜かれたシーンを思い出す。クラブでの調子に合わせて柔軟に選手を入れ変えるべきか、本人の資質を重視するのか。クラブが調子悪くても本人は好調とか、クラブは好調だけど本人は絶不調とか、能活とか駒野とか。好調な時に「呼べよ」と言われていた選手が、数年もレベルを維持出来ずに下降線に辿ったら、結局呼ばなくて正解だったと考えるべきなのか、「せっかくだから旬の時に呼んでやれば、良い思い出になったのに可哀想」となるのか。たとえば、赤丸急上昇時に試しで呼んだら大活躍し、そのまま代表のレギュラーになったものの、その後クラブではさっぱり調子が上がらないけど、代表では結果出しているからレギュラーのままなのはOKか。それぞれに理屈があるので、特にU23とか立ち上げ時に中心だった選手がリーグでさっぱり出られなくなったから外すのが正しいのかどうか、難しいことだと思うのだが、割と叩かれ易い。
***
Jリーグで準レギュラーレベルだった20歳の若者を集めてスタートした新チームが、2〜3年後には中心選手も含めて総入れ替え状態になっても仕方ないだろうし、最終予選までのメンバーを反故にして、現時点で監督が良いと思う選手を集めるのも一つの見識だと思う。対戦相手を格上だと見なし、相手を研究した上で徹底したリアクションサッカーを目指すなら、1カ月近く同じメンバーで合宿してチームを作るというのも、ナショナルチームのあり方としては間違っていないだろうし。「世界に向けて日本らしいサッカーで驚きを」というのではなく「勝ちに行ってメダルを取るのが目標」なら、それもありだろう。

ヨージローとヨースケの描く絵は少し違う。ヨースケの技術はゴールへ向かうために使われ、ヨージローの技術は相手の裏をかくために使われる。それでいてフィニッシュに関してだけ、ヨージローのシュートは正直なのに、ヨースケのシュートはアイディアに溢れているのは、不思議な気もする。今後2人は噛み合うのかどうか。多分ミシャサッカーの申し子はヨースケで、ヨージローは異端。ミシャはヨースケ中心のサッカーを目指し、ヨージローが居場所を失う可能性もあるだろう。まあ、ヨースケが「チームハギー」の駒として今の浩司みたいなプレースタイルになったら、それはそれで寂しいかもしれないが。
タツとヨージローという稀代の天才と三角形を組む凡人シンの心中や如何に。試合中も「俺はヨージローの読めないパスに反応出来るだろうか?」「俺は他の選手には届かないけどタツさんなら届くようなギリギリのクロスを上げられるだろうか?」などと考えながらプレーする事で成長できるか。自分の普通さに溜め息をついてしまうのか、それとも逆に他人との差別化を計る生きる道を見出せるか。偉大な凡人になれるか。
強化部長「はあ、怪我人が多くて困ったなあ。特にFWは寿人の腰が長引いたら困るなあ。どこかに、パワーがあって、相手ボールになったらチェイシングをかける癖が身についてて、1トップに向いている長身CFが落ちていないかなあ。おっ、相手チームの中野って選手、良いなあ。欲しいなあ」なんてことはないだろうけど、体調も良さそうだし、もう少し点差を付けられていたら、御祝儀ゴールを贈りたかった。まあ、丸谷や清水はずっと亡霊と比べられるのだから大変だ。「大屋より優れたところが一つでもあるの?」と言われ続けた入船のように。