パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

BS1『BSドキュメンタリー』〈証言でつづる現代史〉「オシラク・オプション」

2008/5/4,11初回放送、50分×2、〔前編〕攻撃はどのように決断されたのか、〔後編〕攻撃はどのように世界を変えたのか、撮影:高橋僚、ディレクター:酒井裕、制作統括:若宮敏彦/下田樹、共同制作:NHK情報ネットワーク、制作・著作:NHK/エス・ヴィジョン
いま20歳くらいの若者に「むかしソ連という国があってね〜」「むかしドイツは東西に分かれててね〜」という話をしてもピンとこないだろう。同じように74年生まれの自分には、イスラエルが地図上から消し去られそうだった時代を知らないし、武器をイギリス方面から入手していた時代を知らない。なんとなくイスラエルと米国は建国時からずっと蜜月だったようなイメージしかない。むろん自分はこの作戦のことを知らなかったが、自分の無知はさておいても、予備知識のない一般人を置いてきぼりにした難易度の高い番組だったと思う。さらにいえば、放送前の仮タイトルは「オシラク・オプション〜イスラエル イラク原子炉攻撃の全貌」だが、一般人の興味を惹くなら副題有りの方が良かった気がする。
とはいえ、一般人視聴者に配慮して作戦に至る前史をダラダラと説明されるよりは、問題の出来事に焦点を合わせた作り方をしてくれたのは良かった。番組の予告文章を読んで自分が抱いた最初の疑問は「攻撃の際に米国の許可は得ていたのか?」だったが、後編は特にその辺りの疑問に答えてくれる作りだったし、軍事と政治の話がバランスよく説明されている点でも好評価。
何故今のタイミングで(本シリーズの過去番組と比べて)マイナーなネタを取り上げたのか、よく分からないが、その中で公式サイトの予告文章にあった、

2006年サダム・フセイン元大統領が処刑されたあと、ある極秘作戦の資料が公開されるようになった。8人のイスラエル人パイロットが写った1枚の写真、出撃直前に撮影されたものである。

というのは、番組にとって結構重要な前提だと思うのだが、本編では何の説明もなかったはず。今まで非公開だったのは、誰が作戦を遂行したのかフセインにばれたら彼らに危険が及ぶとか、そういう理由だろうか。この〈証言でつづる現代史〉シリーズは「非公開文書が公開されて新事実が分かった」というのもウリの一つだが、少なくとも番組の中から「フセインが死んだお陰で非公開が解除されたイスラエル政府公式文書を元にしたスクープ!」というウリは伝わってこなかった。
番組のラスト近くになって、それまでの流れとは関係なく、セイモア・ハーシュ(ジャーナリスト)のインタビュー映像が唐突に来る。米国公共放送(PBS)が制作したドキュメンタリーで見掛けた覚えがあるのだが、検索すると、ソンミとかアブグレイブをスクープした有名な人で、イスラエル核武装に関する著書もある。ハーシュ氏の著書をネタ本にNHKが独自取材してドキュメンタリーを作ったのか、ハーシュ氏が監修した海外制作ドキュメンタリーを日本人向けに再構成したのか。パイロット8人中5人の映像付きインタビューがあるというのは、いかにNHKの取材力には定評があるといっても、出来過ぎの成果ではないのか。よってNHK独自取材と海外ドキュの折衷ではないかと推測してみるが、エス・ヴィジョンの酒井ディレクターに失礼なことを書いているかもしれない。
番組の感想を書く前に、一応メモした登場人物の名前でググるくらいの作業はしている(最近はしないことも多いが)。ショシャナ・ブライアン(JINSA)で検索したら、彼女の「兵器の実地テストがイスラエルなら、ずっと短い時間で実現」という発言は、2004年にNHKが放映した『エルサレム』の使い回しだと判明。貴重な素材の使い回しは非難されることでもないし、映像が2008年のものだと偽ったわけでもないし、撮影当時から米国/イスラエル軍需産業を巡る構図が変わったわけでもないだろうが、「えっ、最近撮影したものじゃないの!?」というか、やや釈然としないものはある。

以下は番組と全く関係ない余談。単独でエントリーを立てる程のものではないのでここに。2008/4/4付『BSきょうの世界』で映画『ナクバ』が紹介されていたが、その中でインタビューに答えていたユダヤ人歴史家がナクバを「民族浄化(ethnic cleansing)」という用語で説明していたことが、自分の言語中枢に引っ掛かった。確か「民族浄化」という単語は、「ホロコースト」という語を使うとユダヤ人が「唯一無二である私達の体験を普通名詞にするな」と反発するから使えないため、90年代に広告代理店が考えた造語と聞いている。一つは「ユダヤ人はホロコーストという単語を他人に使わせないくせに、自分は民族浄化を使うのかよ」という意味で、もう一つは「90年代に作られた造語を1948年の出来事に対して遡って用いるのかよ」という意味で、二重の意味で不思議な感覚に陥ってしまった。でも、前述のユダヤ人歴史家はイスラエル史の暗部を調べているくらいだからユダヤ人の体験を唯一絶対視したいタイプでもなさそうだし、単純に現代っ子らしい単語選択で「民族浄化」と言っただけで、深い意味はないだろう。