パロップのブログ

主にTVドキュメンタリーを記録します

BS1『BSドキュメンタリー』〈証言でつづる現代史〉「シリーズこうしてベルリンの壁は崩壊した」

第1回「ライプチヒ 市民たちの反乱」
2008/1/12初回放送、50分、撮影:柿木喜久男、コーディネーター:アネテ・エルベ/希代真理子、取材:藤波重成、リサーチャー:市川瞳、ディレクター:長塚洋、制作統括:佐橘晴男/鳥本秀昭、共同制作:NHKエンタープライズ、制作協力:日本電波ニュース社/真々田弘、制作・著作:NHK
インタビューに答えた人物(カッコ内の肩書は当時):クリスチャン・フューラー(デモを支えたニコライ教会牧師)、ヨヘン・レシッヒ(神学部出身の市民運動家)、トビアス・ホリツァー(市民運動家)、ワルター・フリードリヒ(中央青少年問題研究所所長)、ライナー・エッペルマン(地方選挙を監視した市民運動家)、クルト・マイヤー(党ライプチヒ県本部書記)、ギュンター・シャボウスキー(党政治局員)、ベルント・パブロフスキー(ライプチヒ県警察副本部長)、エゴン・クレンツ(党政治局員)、ローランド・ベッツェル(ライプチヒ県党書記)、

第2回「首都が揺れた」
2008/1/19初回放送、50分、撮影:柿木喜久男/熊谷裕達、コーディネーター:アネテ・エルベ/希代真理子、取材:藤波重成、リサーチャー:市川瞳、ディレクター:長塚洋、制作統括:佐橘晴男/鳥本秀昭、共同制作:NHKエンタープライズ、制作協力:日本電波ニュース社/真々田弘、制作・著作:NHK
インタビューに答えた人物(カッコ内の肩書は当時):マンフレッド・ポール(報道番組責任者)、ワルター・モンパー(西ベルリン市長)、トビアス・ラングホフ(ドイツ座の若手俳優)、タチアナ・ベーム(11月4日のデモ参加者)、ハラルド・イエガー(ボルンホルム検問所担当将校)

基本的な流れは、東ドイツ人がハンガリーチェコ経由で西側へ流出。これに対して国内に留まって体制を改革しようとする人々がライプチヒで立ち上がる。この時は彼らはスターリン社会主義ではなく、西ドイツの弱肉強食資本主義でもない、第三の道を目指す。国境が開放されると、一般市民が東西統一を要求するようになり、90年3月に行われた総選挙で統一が確定的に。この辺りは、改めて取材しなくても、当時から判明していたことだろう。これまでも書いていることだが、再現系ドキュメンタリーの場合、エンドクレジットに参考文献を載せるべきだと思う。視聴者の理解にも繋がる。文字媒体と映像媒体では比較しようがない部分も沢山あるわけだし、実際に足を運んで証言映像を撮ってきたという功績は否定されないし、元ネタがあることを恥じる必要もない。元ネタがあるのに、

あれから20年近く、これまで口を閉ざしてきた関係者らが、ようやく当時について語り始めた

などと煽るのは、あまり好ましくないと思う。

臨時増刊『世界』1990年4月号(岩波書店)には2月のゴルバチョフ演説まで掲載。「東ドイツ―穏やかな革命」は高橋進氏が執筆。3月の選挙結果が出る前なので、ラストは「東独国家の試練」というタイトルで締めくくっているし、基本的には社会主義国家としての東ドイツに未練があるか。

上記『世界』に広告が出ている『ベルリン1989』(大月書店、1990年3月19日発行、あとがきの日付は2月14日)は、「東ドイツの民主化を記録する会編」というところからも分かる通り、スターリン主義はダメだけど社会主義は悪くないよ派、西側の資本主義も腐っているよ派。巻末の年表タイトルも「東ドイツ社会主義刷新の国民運動をめぐる動き」とある。インテリな人々が自分達こそ国民だ、庶民とともにあると言い張るのはよくあることだが、最初に頑張った自分達が歴史に押し流されてしまっていることを割と冷静に見えている感じもする。既にこの時点で国境が開かれたのはミス、猿芝居と書いている。番組中のクレンツとシャボウスキーの言い訳合戦は面白かったが、それほどの真相暴露でもないと思う。

『欧州最後の革命』(日本経済新聞社編、1990年4月25日発行/巻末の年表には3月15日まで掲載)のうち東独ドキュメント部分を書いたのは走尾正敬氏。日経なので基本的には社会主義体制に辛い。「「ライプチヒの六人」に救われた東独」という項で、ライプチヒデモの詳細は書いてあるが、少々番組とは異なる箇所もある。

デモを武力で抑え込む可能性があることを新聞報道などで知っていたマズーア氏は「大量殺戮が行われようとしている」として、午前中に予定されていた練習を断った。楽員代表から、話し合いなど何とか動いてほしいと要請された同氏はライプチヒで人望と影響力がある友人五人、つまり神学者のペーター・ツィマーマン、作家で寄席芸人のベルント=ルッツ・ランゲ、党ライプチヒ地区書記のローラント・ウェッツェル(教育担当)、ヨッヘン・ポメルト(宣伝担当)、クルト・マイヤー(文化担当)の各氏に電話をかけて事情を話し、午後ニ時半にマズーア氏の自宅に集まるよう頼んだ。
後に「ライプチヒの六人」とよばれるようになった人たちは手早く市民と当局に対話を求める声明をまとめ、三人の書記が党の地区本部に急行して、事態の打開を求めた。三人はいわゆる顔役、大物ではなかったが、何とか了解をとりつけるのに成功した。
この間、午後三時にはデモに備えて鎮圧部隊が市内で配置につき、同三時半ごろには弾薬が配られたという。六人の声明がなければ、どうなっていたかわからないが、この声明を受け入れた党側は同五時四十五分、部隊を市内のリング(環状道路)から撤収させた。(P.132-133)

番組だと「リハーサルの終わった昼頃、マズアは地元の党幹部に電話を入れた」というナレーションがあった。午後六時過ぎても鎮圧部隊と直接対峙していたという話でもあった。どっちが正しいのか、リアルタイムで入って来ただろう当時の情報の方が正しいか、「今だから話せる」今回の方が正しいのか、それは分からない。

NHKスペシャル社会主義の20世紀・第1巻』(日本放送出版協会、1990年9月20日発行/後書きの日付は8月25日)のうち「東ドイツの崩壊」の章は、ドイツの専門家だが東ドイツには何の思い入れもない永井清彦氏が書いているので、こちらも第三の道という可能性には懐疑的。最初のデモは東ドイツの改革を要求するものだったのに、11月9日以後、党幹部の腐敗や汚職が明らかになるにつれて「統一」への声が大きくなったとする。また、インテリは5月が統一地方選挙における不正を批判したが、労働者層は6月の天安門事件における弾圧を東独政府が支持したことを批判したという。番組で天安門のことよりも不正選挙のことを主に取り上げたのは、初期のデモを始めたインテリを称えるためなのか、NHKは中国の悪口をあまり言えないからなのかは分からない。

放送前の番組紹介文を読む限り、一番の期待は、

「民主革命の主人公」の多くが決してその後の性急な「ドイツ統一」は望まず、2008年の今、苦い味の思いを噛みしめている現実にも迫る。

だったのだが、肝心のそこがオンエアにはのらなかった。「新フォーラム」のリーダーだった人なんかには取材出来なかったのだろうか。取材したけどカットされたのだろうか。1989年の出来事を描くだけで終わったら、それはただの再現VTR番組に過ぎない(NHKが作るから質の高い再現VTR番組にはなるけれど)。10月7日のライプチヒ、11月4日のベルリン100万人デモ、そして11月9日が市民運動のハイライトだが、そこで終わったらダメじゃん。その後は運動の成果を西側資本家と政治家に乗っ取られた、体制変革に努力した人々の失望と現在の生活/思いを描かないと意味ないじゃん。2008年の今から1989年を見る視点が大切なのに。

一般的には、当初のスローガン"Wir sind das Volk"(我々が人民だ)が、国境の開放後は"Wir sind ein Volk"(我々は一つの民族だ)と変わった、すなわち、民衆の意識は民主化要求が民族統一へと変化したというのが定説だが、番組で出て来た10月9日デモの2日前に配られた非暴力デモを呼び掛けるビラをよくみると、スローガンが"Wir sind ein Volk"になっている。NHKは(我々は同じ国民だ)と訳していた。最初は"ein"を使っておいて「デモ隊と治安維持隊、同じドイツ人同士で撃ち合うのは止めよう」という意味だったのが、"das"になって「我々こそが主権者だ」、そして"ein"に戻って「一つの民族=統一だ」になったということか。最初の標語に戻って意味は変化した。あのビラが本物なら意外と重要な事実だと思うのだが。

余談だが、当時のプーチンドレスデン勤務。改革派ハンス・モドロウは党ドレスデン地区第一書記。そして『社会主義の20世紀・第1巻』には、

ソ連軍の担当将校が一〇月九日のライプチヒのデモの鎮圧のために東ドイツ軍部隊を投入するのを阻止したのだ」(p.106)

とある。ライプチヒにはいなかったものの、プーチンが東ドイツの民主化に暗躍し、その時の恩からシュレーダーメルケルプーチンに頭が上がらない、などという陰謀小説なんかを読んでみたい。