パロップのブログ

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NHK総合「天皇杯決勝・鹿島アントラーズ戦」と2007年のまとめ

2008/1/1放送、実況:野地俊二、解説:木村和司山本昌邦
実家に帰って録画せずに見たからあまり正確には覚えていない。確か前半30分くらいに、左サイドの高萩がゴールを横切って逆サイドの一番遠くでフリーだった駒野へパスが通った場面が一番惜しいと思った。あの場面で中盤から誰か一人でも上がってきていれば、駒野もマイナスに折り返す選択もあっただろう。試合後の多くの感想は「チーム力/完成度の差がそのまま出た完敗」みたいだけど、自分の感想は少し違う。もちろん時間をかけてチームの総合力を充実させることは必要だけど、短期のカップ戦なんだからそれこそアトランタ五輪の日本×ブラジル戦のように力関係が反映しない結果を求めて欲しい。前掛かりになったところでカウンターを食らうのは怖いけれど、「前半は2点差にされないようにしよう」「後半は少し攻撃的にいこう」「75分過ぎたらリスクをかけよう」「85分過ぎたらCB2枚とも上げよう」みたいな時間刻みではダメだと思う。サッカーはそんな予定調和ではいけない。時間帯毎にリスクを管理するのではなくて、33分でも54分でも1プレー毎にリスクを計りながらスキを狙わないと勝負強くはなれない。その意味でもカズを中盤の中心に据えたら、そこそこ良いチームは出来ても、それ以上は狙えないような気がする。2008年から3年かけて2010年頃に結局2005年の位置に戻るだけになるのではないかと危惧する。
それにしても、他の監督だったらチームにフィットしない時点でダニーロおじさんを見限るだろうに、本人に合った働き場所を考えることが出来るオリベイラの手腕は見事過ぎる。
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元日はともに国立でサンフレッチェを応援し、翌2日はともに勝ち、3日には相まみえることになった作陽と皆実。サンフサポで試合を見た人もいるだろうが、作陽のスーパーサブで坊主にしていたドリブラー吉村真は高田FC出身。実況では「ファンタジスタ!」と煽っていたけれど、短時間で他の選手にクオリティの差を見せつける場面はなかった。高田FCといえば、俊介の絡みで紹介されることも多く、DFからFWまでボールを持ったらドリブルばっか仕掛けているそうだが、そんな個性的な育て方をしてもプロ選手がジャンジャン誕生するわけではない。ユース年代でどんな指導をするべきかは議論があるところだけど、正しい唯一のやり方があるわけではなく、国見に行っても野洲に行っても結局は本人が持っているもの次第なんだろうと思う。もちろん「お互い逆の高校で育てていればもっと伸びたのに」という選手は沢山いるかもしれないが。
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この間のサカマガに載っていた山口素のロングインタビューが面白かった。攻撃サッカーを目指したレシャック時代の、

負けていてもハーフタイムに「君たちは素晴らしい。パスが30本もつながっているぞ」と言ったり(笑)。

という話は、他人事ではない感じ。
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今シーズンの陣容もおおかた固まったみたいだし、得意の後出しで2007年のまとめをしてみる。
●社長
大会社のことを知らない平民の感想だが、久保氏にはエディオンの社長を辞めてサンフの社長をして欲しかった。よく分からないが、エディオン株の過半数を持っている限り、「おい本谷、お前1年だけ代表権のない社長をやれ。昇格したら、俺が戻って来るから」みたいなことは出来るじゃないかと。
そりゃあエディオンとサンフや動くお金も仕事の面白さも段違いだろうけど、エディオンは久保氏が始終見てなくても潰れることはないだろうし、小規模には小規模の面白さもあるだろう。シーザー・ツェペリ風にいえば「おれの精神テンションは今!第一産業創業時代に戻っているッ!」みたいにならないだろうかと思ったが、ふとウィキペディア久保允誉氏を調べると、創業者ではなくて創業者の御曹子だったのか。エディオンの持株比率(2006/9)も調べたけど、久保氏個人だと2.30%に過ぎないのか。出資している投資会社から見切られたら、クビになっちゃう立場なら本業を優先するのも仕方ない。
組織のことは難しくて分からないが、グータラ社員こそ誰が本当のボスなのかを見極めるのが得意なわけで、たとえ本谷氏が事務所に常駐しようが「結局、給料を払うのもクビにするのも久保さんなんだから」と思われてしまえば体制改革にはならないと思う。社主が滅多に会社へ顔を出さず、事務所2階の住居部分で昼間から愛人といちゃついていて、士気が崩壊し切った会社で働いていた経験から、それは断言出来る。

●強化部長
家にあるマッチデープログラムを眺めつつ整理していた。表4のところにある選手名鑑、2007年シーズンの始めは29人で途中から27人。数年前のをみると30数人はいる。GK3人を引いて24人。フル代表に2人、U20代表に3人とられて19人。ダバツ/橋内は数カ月単位で戦線離脱していたから残りは17人。U20代表組が戻って来たら遊佐が長期離脱。ユースから選手を借りるにしても夏休みは遠征が多い。とても1部リーグのクラブとは思えない。素人考えながら、練習にならなかったのではないかと思う。仮に監督が屈指の戦術家でも鳥かごくらいしか出来ねえよ。戸田も「何でディフェンス練習のマッチアップがポポコーチなんだよ」と文句を書いていたが当然だ。
個人的には監督の選択に文句はあまり言わない。「××より○○の方が上だろ!」「××は疲れているだろうが!」と思うことはあるけれど、それは毎日練習を見ている監督の専管事項。「サテに素晴らしい才能を持った選手がいるじゃないか」と思っても、監督が水準に達していないと考えている以上は仕方ない。だけど、たとえ監督から要望がなくても、勝手に監督が好みそうなタイプ(これが難しいところだが、スピードや運動量よりも頑強さとテクニックを重視か)の選手を補充するのは強化部として必要な仕事ではなかったか。
中断中に神戸が純マーカスと酒井を獲得したと聞いて「松田監督は今のボランチに満足していないのか」と思ったが、結局終わってみればボッティと田中がレギュラーだった。万が一の怪我やレギュラー争いの緊張感が欲しくて獲得したのだろうけど、結果的に短期的に安価で層を厚くする補強だったように外からは見えた。他クラブでやや干されている選手を半年のレンタル契約ならそれほど高額にはならないだろう。何ならシーズン後半には出場機会を失いつつあった中里をレンタルで戻す手だってあったと思う。
サンフサポは外様に冷たいところがあるような気はする。中村祥/井手口/鳴尾辺りは活躍していないから仕方ないけど、吉田恵/小村辺りでも「若手の出場機会を奪う」扱い、寿人まで活躍してようやく支持、みたいな印象がある。だからまあ外部から短期的に獲得し難い土壌はあるのかもしれないが、もう少し他クラブの選手をスカウティングしてピンポイントで補強する能力は必要。
強化部長と森山監督の分担というか会議はどんな感じなんだろう。森山監督が純粋に実力を見てプロでやれると思う選手の数と、強化部長がクラブの予算やトップチームの補強ポイントから割り出した昇格選手の数は合っているのだろうか。保手濱や藤澤が昇格しなくても「まあプロが判断したことだから」と納めてきたが、その強化部長に選手を見る目があるのかという点で、トップチームの状況から疑いが出てくると、ユースの編成にも不信は広がる。関西の有名私大とパイプも出来てきて、子供を預ける親御さんは安心かもしれないが、あまり優秀なユースを持っている意味が薄いというか、サンフみたいに他所から選手を補強できない地方クラブなら、うちに来れば18歳からJの試合に出られるよと中学生を誘惑→毎年5〜8人くらい昇格させる→成長株は年俸が2000万円を超えたら、国内のビッグクラブに売る&そのかわり伸び悩みの選手も3年といわず5〜6年のスパンで面倒をみる&J2へのレンタル先を増やす、みたいな極端な政策・運営をした方がいいんじゃないのか。
強化部の話ではないかもしれないが、マナと入船のことも書いておく。採用当初から基本技術や体力の不足が指摘されていた二人、3年間控え組として紅白戦を戦い、サテライトの試合に出て、ポテンシャルが開花することもなく退団。坪井や巻の話を読むと、大学に行って長所を伸ばし、短所を矯正するトレーニングを積んだ方が幸せだったのでは。サテの練習を見たことはないので、間違っていたら申し訳ないが、かつてジュビロ人間力コーチが中山や高原に施したような弱点克服個別トレーニングみたいなのを、全体練習の後にやっている感じがない。サンフは大卒即戦力を獲得出来ないから、素材としての高卒を採るのだろうけど、それだったら「最低でも6年は面倒を見る。最初の3年間は基礎練習と矯正練習に費やしなさい。残り3年で試合に出られるように競争しなさい」くらいの長い目が必要ではないのか。素材を素材のまま終わらせるくらいなら、年俸480万円以下で面倒を見た方がいいんじゃないのか。

●監督
(1)薄い戦力とU20代表や五輪代表、フル代表のアジア杯など難しい日程のなか、出来る限りのことはしたけど、結果がついてこなくて残念だった。
(2)まあまあ良くやっていたとは思うけど、柏木や寿人が疲れきった顔してスタメンで出たり、動けないウェズレイを引っ張ったり、その辺りの選手起用でもう少し柔軟性があってくれれば良かったのだが。
(3)確かにハマった時は面白いサッカーだったけど、その時間帯はあまりにも少なかった。強力2トップを活かした縦に早いサッカーをするのなら3バックは岩石のようなタイプを選択すべきだろうし、最終ラインからポゼッションを大切にするサッカーをするのなら前線からチェイシングするFW&攻撃的MFでないとおかしいだろう。意味不明な折衷をしたのはいただけない。
(4)広大な中盤を3人で守るとか、両WBが上がったまま張り付いているとか、恒常的にサイドへ穴が空くシステムを見ても、用兵に限らず、戦術面に関しても無能!無能!無能!
大方の意見は(3)と(4)の間くらいだと思われるが、自分は甘いのだろうが(1)と(2)の間くらいかと思っている。純粋に戦力的にみれば9〜14位を争うところで、様々なアクシデントをリカバー出来ずに2つ程ランクダウン。「金も戦力もないし、2007年を何とか節約して残留して乗り切れば、来年は見通しも明るいぞ」といったところだったのだろうが、その1年を乗り切れなかった。毛利元就は「天下の主になると祈願して、やっと中国地方がとれようというもの。まして、最初から安芸一国では、安芸一国すら取れずに終わってしまう」と言ったそうだが、15位を目指して15位になるのは難しい。
ミシャが就任会見で言ったのは「私の理想としているのは後ろから、早く前にボールを運び、流動的なサッカー」だが、これは「ノブリンみたいに中盤でプレッシャーはかけませんが、最後尾で奪ったら縦に早いですよ。でもカウンター一辺倒ではなくて、丁寧にボールを繋ぎますよ」ということだろうか。「理想を追求し過ぎる」と言われたミシャだが、正直いって理想もよく分からない。
ただ、好みというか両アウトサイドは服部/駒野のような香車タイプではなく、5枚の中盤を形成出来るハンジェ的な動きを求めていそうだとは思った。逆にセンターラインにこそ駒野のような上下動出来る選手が欲しいと。駒野が「自分はサイドがやりたいです」と言ったら尊重しちゃうのは監督としては優し過ぎる。昨シーズンは選手をタイプ別に分類することもなく、自分が上手いと思う選手を上から10人選択したわけだが、今年は駒野とウェズレイが抜けたことで、案外とミシャの脳内も交通整理が出来ているのではないかと、願望も込めて期待したい。

●選手
たぶん昔にも書いたけど、駒野、服部、ハンジェに限らず、スローインが全体的に伝統的に下手なので練習して欲しい。ウェズレイが一番上手かった。ウェズレイだってハジだって、最近じゃあナカムーラだって自分のそばでラインを割ったら、自ら「ひょい」とスローインするのに、サンフにはロングスローが出来る選手がいるわけでもないのに、頑にサイドの選手に渡して再開する。前の選手には全部マークが付いて仕方なくDFに下げるスローインをしたら、そこにプレッシャーをかけられて相手ボールに変わる場面を何度見たか。杓子定規で自分の頭で考えないサンフサッカーの象徴だと思っている。駒野は代表へ行くようになってからずいぶん変わった。まず前方の選手しか見なくなったし、寿人でも柏木でもウェズレイでもとにかくターゲットを決めてから、その選手と呼吸を合わせるようになって成功率が高まったような気がする。とにかく判断を早く的確にする訓練として、全員がスローインするようにしようよ。
その駒野だが、ミシャにセントラルMFや3バックの真ん中をやらされたのが移籍の原因ではないかと推測している。一般的には複数のポジションをこなすので戦術理解度が高いように思われがちな駒野だが、個人的にはサッカー脳の無さを補って余り有る身体能力とテクニックの高さがポリバレント性を作っていたように思う。本人は「自分はサイドの選手」というプライドを持っていたのだろうが、監督にしてみれば色々なポジションをやらせてみたくなるのも無理ない。確かブレーメが引退する直前の最晩年にドイツ風フォアリベロの位置をやって選手寿命を伸ばしていた記憶があるけど、駒野もフィジカルが落ちる年齢になってから更にサッカーが続けられるように、柔軟な思考で、様々なポジションを嫌がらず、息の長い選手生活を送って欲しい。
服部についても一言。2002〜03年頃、両足痛に苦しむ服部を見て「怪我を抱えながらだとトップフォームに戻ることはないんじゃないの?」と書いた自分は、2004〜05年の活躍を見て反省した記憶がある。近年は2006年の開幕戦だったか、内田キュンにぶっちぎられた辺りからやばい雰囲気が漂っていたし、事実は事実として批判されるのは当然だけど、「今年はダメだった。でも来年は分からない」というのが人間の身体なわけで、年齢とかイメージで終わった人扱いするのはフェアじゃないし、キャンプが始まる前からレッテル貼って予想スタメンや希望スタメンを考えるのも勇み足な感がある。練習や試合を見て自分の脳内データを更新しながら批判すべきは批判するのが健全な姿勢ではないかと、自戒を込めて。

●おまけ
特定の選手をマネージメントしている西岡氏が、一方でその選手が所属しているクラブの試合をスカパーで実況するというのは、正直どうなんだろう。別に実況に贔屓があるとか公平さに欠けるとは思わないが、快く思わない選手がいてもおかしくない。サンフを取り上げる地元メディアがフリーの人間も含めて村社会を形成し過ぎている上に、それぞれが利害の結び付いた選手の太鼓持ちをしているのが、クラブの雰囲気に通じている面があるのではないかと思わなくもない。まあ、どこのローカル放送局も地元クラブのOBを起用するものだろうし、元ローカルマスコミの人が退職してフリーになった後で局勤め時代に懇意だった選手と結び付くのも広島だけではないとは思うが。
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最近、歴史家E・H・カーの評伝が出版された。本そのものを読む気力はないが、米田綱路という人が書いた書評(http://www.gendaishicho.co.jp/syohyo/carr.htm)がいろいろと胸に刺さったので、いくつか引用する。

カーの『ソヴェト・ロシア史』には、革命をめぐる感情の雰囲気や大衆の熱狂ぶり、革命の希望の高揚や幻滅、落胆といった重要な側面が見落とされている。カーのえがく人物像は、肉体をもたない政治的概念や諸々の公式以外の何ものでもない

カーにとって重要なのは、ソヴェト政治において現実に追求された政策であり、統治権力がただ権威保持のみならず、それを保持する人間が権力を最適化できなかったプロセスをも、実証的に研究することだった

その手法は、「歴史的事象に対するバランスシート的アプローチ」と呼ばれるものだった。つまり彼は、「自分は、歴史の原因に悪人のような存在がある、とは思わない」と、そのアプローチにおいては、歴史上の人物に対する「道徳的判断」を峻拒し続けたのである

歴史事実とそれに対する道徳的判断を峻別することで、カーが結局は過度の相対主義に陥ってしまった

「すべてを理解することは、すべてを許すことである」という現状肯定となり、モラルの相対主義に陥って個人の責任という考えを捨象してしまう

歴史の不可避性という決定論が、人間の道徳的選択という自由を奪ってしまうこと、決定論を前に結局のところ個人は、人間の本質である自由な判断という責任を放棄し、道徳的選択を消し去ってしまう

決定論を前提とした「すべてを理解することは、すべてを許すことである」という相対主義が、道徳的判断を溶解させてしまう

カー自身、歴史的な事象に対して道徳的判断を下すのは、歴史家の任ではないと再三にわたってくり返していた。つまり、歴史家の任務は事態の説明にあり、それに限定される

カーは、決定論と相対主義の問題について、「客観的決定論という障壁と主観的相対主義という底なしの深淵とのあいだのナイフ・エッジを、不安定なバランスをとりつつ渡る」と、みずからの指針を形容した

敗北した少数派の思想は、たとえそれが“破壊的”な力を秘めていたとしても、勝利者であるエスタブリッシュメントの権力側のそれほどには記録されず、しかも権力側によって「歴史のごみ溜め」に捨て去られるゆえに、残ってはいない。そうした状況のなかで、敗北した側の思想をどう公平に扱い、記述するのか――。それには歴史的な想像力とシンパシーを要する。

自分がカーのような19世紀リベラルの伝統に属する歴史家であるかは別にして、ここでいう「敗北した少数派」を広島で置き換えれば、高萩であり吉弘であり俊介であり西河であろうか。更には泰でありキムタツであり俊也であり西嶋である、ということになるだろうか。自分はつくづく想像力に欠けた現状肯定主義者なので、「敗北した少数派」を道徳的な見地からすくい上げる言葉を持たないことは自分自身が一番分かっている。
ブログの時代がやってこようとしていた2003年春にはてなダイアリーのβ版がスタートし、自分も自身のサイトに日記をいちいちアップロードするのが面倒になって移って来た。たまたまその年にサンフレッチェが2部での戦いを余儀無くされ、たまたまスカパーが2部の試合を全試合放送するようになった。スカパーはサンフの試合を割と優遇してくれたし、そもそも自分がスカパーに入ったのは前年のW杯のためだった。そんな様々な偶然が重なって始まったサンフウォッチ日記も5年続いた。J2で始まりJ2落ちで一区切りついた感もある。同じ内容の繰り返しも悪くないが、来シーズンは新しい形式というか文体に挑戦したいと思いつつも、おそらく相変わらずのダラダラ文章になると思う。
最後に、自分もそれなりに理想主義者であるところを示してこの長文を終えたい。日テレのクラブW杯で連呼されたらしく、お陰で「クリスマスツリー型」の後ろに(笑)が付く雰囲気になっているみたいだが、個人的にはエメ・ジャケの4-3-2-1が好きなので、いつかはサンフレッチェでもやって欲しい。前でボールが収まり、ぐるぐるとボールが回り、後ろから選手が湧いて来るんだけど、誰もシュートを打たないという、勝敗より流麗さに重きを置く自分好みの戦術。サンフレッチェでもその微かな影が見えたこともあった。2005年の柏戦(http://d.hatena.ne.jp/palop/20050704)は私の中で基準となる試合(c戸田)。確か以下のような感じだった。
・・・・寿人・・・・・
・・大木・・ベット・・
・茂原・カズ・ハンジェ
服部・・・・・・・駒野
・・小村・・・ジニ・・
特に寿人の1トップは私のお気に入り。充分やれると思う。ストヤノフがいる限り、4バックへの挑戦は封印すべきだと思うが、いつかそのうちにでも見たい。