パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

参院選2007とか江田三郎本とか

1993年頃の政局に関する調べ物をしている途上で、グーグルのキャッシュに面白い文章に当たった。キャッシュで読んだ後に元サイトへ飛ぼうと思ったが跡形もない。何故だろうと著者名で検索したら、市議を務めている最中に飲酒運転で事故を起こして議員を辞職したとある。残っていた掲示板のキャッシュには「責任を取れ」「恥を知れ」みたいな文句が書き込まれたので、自分のサイトごと消去してしまったらしい。別に飲酒運転をしようが、その人格と元政治記者としての言論の内容とはあまり関係がないのに、人格を丸ごと否定され、ネット上で発言できなくなる風潮は哀しい。そもそも政治評論家としては、飲酒事故を起こしたことよりも、2001年に『負けるな「わが友」小泉純一郎』という本を出したことの方が、どちらかといえば恥ずかしい過去のような気もする。
そんな田中良太氏も寄稿している江田三郎氏追悼本を図書館でパラパラと読んできた。田中氏は江田氏と菅直人氏が公開討論を行った時のエピソードを他人の文章からひいて、菅氏が他人の心を慮れない人だという印象論。別に意外でもない。菅氏も同じエピソードを当事者として語っている。労働組合社会党関係者の部分は読んでいないが、生前に付き合いがなかった人はネタが被り気味のような印象。
(1/18追記)最近は「内閣なんちゃら会議」みたいな諮問機関が乱造されて「国民の信託を受けていない人間が政策を勝手に決めるのはけしからん!」みたいな批判もあるけど、昭和の政治エピソードを読むと、政治記者や政治評論家のフィクサーっぷりは、なんちゃら会議の比ではない。この本にも政争に敗れた江田氏と盟友の記者とが二人で佇んでいるシーンが描写されているけど、書いた本人は情感溢れるシーンのつもりだろうが、我々世代の多くはドン引きすると思う。
山口二郎氏が90年代前半の社会党について、相変わらず傍観者のような批判をしている。当時の社会党にしても今の民主党にしても、明らかにインサイダーでありゲームのプレーヤーなのに、何故こういう書き方しか出来ないのだろうか。最後に、参院選が終わった直後に書いた文章を今さら載せておくことにする。

政治家の人間力

政治家の人間力

それにしてもである。

戦後六〇年余りの間、政治の現状に対して危機という言葉はしばしば使われてきた。いささか後知恵の議論であるが、いままでは保守政治の統治理性を前提として、いわば早目の警報として危機という言葉が使われてきた。あるいは、保守政治の自己修正能力を発揮させるために、危機を論じ警鐘が鳴らされてきた。しかし、いまや保守政治の堤防は決壊し、政治の流れはどこに向かうか分からない、本当の危機がやってきた。戦後政治が大きな岐路に立っている中で、我々が参議院選挙を迎えるのである。
山口二郎「戦後政治の分水嶺〜いま戦後レジームを再考する」『世界』2007年8月号より

この参院選直前に掲載された山口氏の文章はこの後も続き、最後は「民主党に入れましょう」で締めくくられるのだが、ひどい文章だと思う。「使われてきた」「鳴らされてきた」というが、誰が言葉を使ったのか、誰が警鐘を鳴らしたのか、主語を明らかにしていないひどい文章だと思う。使ったのは山口氏自身ではないのか。こう書くべきだろう。

私は、政治の現状に対して危機という言葉をしばしば使ってきた。保守政治の統治理性を前提として、自民党をバッシングしてきた。保守政治の自己修正能力に甘えて、経世会宏池会にいちゃもんを付けてきた。常に「危機」を煽ってきた。そして、いまや保守政治の堤防は決壊し、誰もが交渉による妥協や漸進的な改革に不感症となった結果、劇場型政治の時代がやってきてしまった。私にも大いに責任がある。私は「狼少年」と化し、誰も私の言う事をまともに聞こうとしなくなったが、それも当然の報いである。それでもどうか最後に償いも兼ねて一つだけ私の話を聞いて欲しい。今度こそは本当に本当に本当にマジでマジでマジで民主主義の危機だから、民主党に入れて頂きたい。

御本人は「自分は劇場型政治に反対し、漸進的な改革を主張してきた。劇場型政治を煽ったのはテレビであり、ワイドショーだ。私のせいではない」と仰るかもしれないし、確かにそうなのかもしれないが、この十数年、政治ゲームのモニターではなくプレーヤーとして活動してきた、しかも一方の政治勢力に肩入れして活動してきた人間とは思えない傍観者的な最低の文章だと思う。
養うべき子供がいるでもなく、介護すべき親がいるでもなく、故に他人に対する思いやりに少し欠け、放蕩の限りを尽くしても恐らく困らない団塊ジュニアの私(1974年生まれ)が、1998年に誕生した民主党には随分と期待した覚えがある。私が民主党に期待したことは、政策は自民党と同じで、ちょっぴり金に綺麗であることだったと思う。現代における政治・政策の中で政党が独自路線を考える余地なんてそれほどあるわけではなく、政権が代わるという緊張感から官僚との関係にも緊張が走ればよい、金を出す企業も両党に足をまたぐようになればよい、その程度の期待だったのだが、残念なことに民主党は政策によって自民党との違いを出したがり、政治資金に対する考え方はそれほど変わらないという奇妙な怪物に育ってしまった。何でこんなことになってしまったのだろうか。