パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

たまには正面から辻希美論

他の人と違った視点で面白いことを書けそうにないから、ハロプロメンバーが出たテレビ番組についてブログでコメントすることはほとんどなくなったけど、年に1度くらいは辻ヲタらしい長文を書き残そうと思っている。今年は辻ちゃんにカバーして欲しい洋楽を紹介するついでに英語が苦手な辻ちゃんのために日本語詞を考え、その譜面を事務所に送りつけるというはた迷惑な企画を練っていたが、なかなか譜面が入手出来ない上に、そもそも自分には語学能力も作詞能力もないじゃん、ということで行き詰まっていた。とても6月の聖誕祭には間に合いそうも無いという時期に休業しちゃったので「これ幸い」とばかりに企画もボツにしたのだけれど、やはり永遠の辻ヲタとして何か書いておきたい。

はじめに
1年半ほど前、自分は以下のようなことを書いた。

若くして有名になると、一般人からみて、昔のように振る舞うと「18歳過ぎて子供キャラとかバカみたい」と叩かれ、世間のイメージする18歳らしくすれば「子供だから商品価値があったのに、年相応になったら用無し」と叩かれる。
親しまれるアフォは、若いからアフォなのではない。性格がアフォなのである。一生涯アフォなのである。だからこそ、若さ故の非常識さと性格から来る天真爛漫さをうまく切り分けて、愛されるアフォにならなければならない。
http://d.hatena.ne.jp/palop/20060610

上のエントリーでは、男子テニス選手という分かりにくい喩えを出して説明しているが、今の自分はこの考え方が二重の意味で誤っていたと感じている。一つは「若さ故の非常識さと性格から来る天真爛漫さをうまく切り分け」ることが出来ると思っていたこと、もう一つは、たとえ切り分けることが出来たとしても、「愛されるアフォ」言い換えると、男性のいわゆる「少年性」は好意的に受け取られるが、女性はそうはいかないことに気付いていなかったこと。これを順序立てて何とか説明してみたい。

第1章:辻ちゃんは性的存在なのか
ガッタスイン徳島レポ(http://d.hatena.ne.jp/palop/20070318)の中で辻ちゃんを「面白い珍獣」と評しているように、自分ほとんど現場に行かない地方在宅ヲタとしてテレビの中の「ののたんは奇跡」を楽しんでいるスタンスだった。なので今回のエントリーでも、辻ちゃんを面白生物として楽しむ者達の総称として主語を「我々辻ヲタは〜」にしようと思っていたけれど、徳島では辻ちゃんを1人の女性として好きな人も沢山いることを知り、「我々辻ヲタは〜」という表現は傲慢にして不誠実だと考え、一人称「私は〜」とした。それを感じられただけでも徳島に行って良かった。
辻ちゃんは「男女の性別を越えた面白生物」なのか「性的存在」なのか。2007年の地平に立てば、明らかに「性的存在」だったわけだが、では何故私は見誤ったのか。こちらが勝手に都合の良い解釈をしちゃったのか、それとも勘違いするに足るメッセージを辻ちゃん側が発していたのか。これを具体的な事例に基づいてみていきたい。私は2000年後半の『おねモー』『ハロモニ』からモーヲタの道へ入ったので、辻ちゃんといえば足が速くて腕っぷしが強くてスポーティな豆タンクという印象が強い。だから初期の美少女ののたんに惚れた人とは解釈を異にするだろう。あくまで私の信号キャッチ録。
〔事例1〕『お願いモーニング』のゲストにISSA:2001年4月頃の話。ダパンプがゲストの回、辻ちゃんはかなりハイテンションな乙女になっていた。かっこいい男性に遭うとテンション上がる女の子な面は初期から持っていたという、いってみれば当たり前の話をまず確認しておく。
〔事例2〕『ミニストロベリーパイ』のPV:『ミニストロベリーパイ』のPV中に「トベリパ〜イ、トベリパ〜イ♪」のところで可愛く決めポーズをとるシーンがある。あいぼんさんややぐはいかにも女の子らしいキュートな決めポーズをとるわけだが、辻ちゃんのポーズはおかしい。『うたばん』で三人祭のふりを披露した時も「…しちゃうわあ♪」のポーズが滑稽だったが、あれと同系列の別バージョン。女の子らしいポーズがとれない=「今まで鏡の前で練習したことなんてないんだろう」とは想像しても、それが性的存在でないことに繋がるかは別の話のはずだが、ぶっちゃけ混同してた。
〔事例3〕男性スタッフの前で尻丸出し:2002年10月31日の『うたばん』で、矢口が「まだこう、恥ずかしいっていう言葉を知らないんですよ。だから、ダンスレッスン中に、男の人が3〜4人いるときに、お尻を出したりする」と証言。この頃までは実際に性的存在ではなかったのかもしれん。或いは2年前の出来事を昨日のことのように話すハロプロにありがちなエピソードの1つだったのかもしれない。
〔事例4〕「自然に足が開く」発言:調べても日付が分からなかったのだが、いつぞやの『Mステ』で辻ちゃんが「座っていると勝手に足が開くんれすよ」(さすがに「股を開く」ではなかったと思う)と発言する。女性が「足が開く」と言えば別の性的な意味を連想するし、タモリ氏も「女の子がそういう物言いをするもんじゃありません」みたいな反応をしていたように記憶する。これも単純に辻ちゃんには比喩が通じないという話でしかない。
〔事例5〕『ハロ☆プロパーティ〜!2006』の「ばっちこーい」:辻ちゃんが流行りの単発ギャグが好きなのは衆知の通りで、2006年はレイザーラモンHGの「フォー」が大ブームだった。それに派生してテレビでは連呼しなかったものの、コンサートでは「ばっちこーい」(元ネタは稲中らしい)を使いまくっていた。意味も知らずに使っていたのであろうが、英語圏でうら若い女性が"rape me"のTシャツを着ているような危うさというか、見ているこちらが恥ずかしいような感覚。これはまあ性的存在でないことの証というよりは無邪気の証なんだろうけど、でも「ばっちこーい」って連発されたら、その人が女の子だって思えなくなるのも仕方ないじゃん。
〔事例6〕のっぱい:辻ちゃん貧乳は有名だったが、初登場時は12歳だったから貧乳で当然。2006年の写真などでは「のっぱいに谷間がある!」と界隈が騒然となったが、12歳→19歳で自然増しても不思議でないのにかかわらず、私は「どうせまた詰めたり寄せたりしているんだろ」と信じていなかった。また、同じ貧乳でもれいなやもっさんは性的魅力も評価されていたように思うから、貧乳そのものは性的存在を隠すものではないともいえる。私の判断を狂わせたもの、それは常に巨乳のあいぼんさんとセットで考えていたからかもしれない。「性格から何から対照的な2人である」という固定観念から抜けだせなかった私。
本章の結論としては、辻ちゃんはデビューから現在まで常に性的な存在であったが、「女性は言ってはダメですよ、やってはダメですよ」という社会規範に無知で、規範を逸脱する行動を多々とっていたため、辻ヲタ(私)が「性的存在ではない」という誤った解釈をしたことについては同情の余地もある。まあ、12歳から19歳まで変化がないはずはないのに、古い情報が削除されずに新しい情報が上へ上へと積み重なっていくオタクならではの情報処理法に、そもそも無理があるのは否めない。

第2章:少年のような心を持つ女性は許されない
第1章で上げた性に関わる社会規範からの逸脱は、主に「若さ故の非常識さ」に属する。これは「愛されるアフォ」には繋がらず、どちらかといえば「愛されないアフォ」要素が強いものである。社会の規範とテレビの規範は多少異なるとはいえ「お茶の間の正義」という形で相通じる部分が多い。社会もテレビも女性より男性に甘いダブルスタンダードを持っている。才能と実績さえあれば“少年のような心”を持つ男は許されることが多い(お塩氏や窪塚氏まで振り切れると流石にテレビでは使い辛いようだが)。これは単なる憶測だが、女性より男性の方が性的な社会規範が緩いことと関係があると思われる。
他方、少女(乙女)の心を持つおばさん、いわゆる“天然”は許容されることが多い。さんま氏がいじる西村さんや浅田さんのような天然さんは、場の空気が読める。決して放送禁止用語を突然叫んだりはしないし、他人のネタを潰したりもしない。だが辻ちゃんは天然ではない。脳内はお花畑ではなく、考え方のベクトルが他人と違うだけで、どちらかといえば数学的/論理的な思考の組み立てをする人である。
或いは、規範を知りつつ敢えて破る芸人と呼ばれる職業もある。初期の森三中は裸になったりしていたそうだが、これは「テレビに出る女性は裸になったりしない」という規範を知りながら、敢えて脱ぐことで他の人間と差異を生み出す汚れ芸人の技である。だが辻ちゃんは芸人ではない。規範を知らずにノリで脱いじゃう可能性は否定出来ないが、テレビにとって「敢えて」が抜けている行動は最も危険とされる。
ちなみに、現代の社会(テレビ)規範では「少女(乙女)の心を持つおばさん=天然」は許されるが、「少年のような心を持つ女性」は許されないことから派生して、つまりは「少年性を維持した成人女性」=「ギャル」ではないかという仮説を思い付いた。いわゆる男性社会といわゆるギャルの相容れなさについては社会学的な研究もありそうだが、これ以上ここでは踏み込まない。
辻ちゃんが、ルールの抜け穴を突くことでルールを無効化することが得意なのは、『フレンドパーク』の壁登りや、『岡女体育祭』の走り高跳び、『ミリオン家族』の破壊神っぷり等でお馴染みだが、こうした性的要素が皆無な場面では、辻ちゃんの規範破りはテレビ的に効果的である。そして、辻ヲタ(私)はそれを「ののたんは奇跡」「無自覚の天才」などと呼んだ。
ここまで見て来たように、女性タレントにとって単なる規範破りと性的規範破りは違う。そこのところを辻ちゃんを「性的存在」だとみなしていなかった辻ヲタ(私)は無頓着だったのではないか。一般人にとって辻ちゃんは当たり前に性的な存在。「可愛い女の子」「子供の頃からテレビに出て満足に学校へ通っていない馬鹿」「それは本人よりも周囲の大人が悪い」「えっ、もう20歳なの」「子供だったら馬鹿も可愛いけど、20歳にもなって馬鹿だったら引いちゃうよね」といった視線を送っているだろう。一方、辻ヲタ(私)にとっては「性別を越えた面白生物」「馬鹿なのではなく常識に縛られない発想豊か」「下手に知恵をつけて平凡にならないで欲しい」という存在。
有名な子役がジョブチェンジするのは難しい。たとえば安達祐実さんのように童顔だとなおさら。結婚しても母親になっても緩やかな移行だとかえって印象が薄い。辻ちゃんのように、背が低くて、あの顔で、さらに「馬鹿」として知られていると、尚のこと変えるのは難しい。身長と顔を変えられないとすれば、残るは「馬鹿」→「常識ある成人女性」くらいしか目に見える変化を出せる箇所はない。それは困る。
最初に掲げた「若さ故の非常識さと性格から来る天真爛漫さをうまく切り分けて、愛されるアフォにならなければならない」という私の浅知恵だが、辻ちゃんへお茶の間に収まるよう社会とテレビに付きまとう性的な規範を教えつつ、本人の魅力を消さないようにその他の規範は教えないでいることは出来るだろうか。多分出来ない。では、お茶の間の一般人に「辻ちゃんがテレビ的に面白い規範破りをするのは、学校教育を受けていない無知な馬鹿だからではありませんよ。根っこのところで豊かな創造性を持っているからですよ。決して迷惑な非常識女ではありませんよ。心優しいお嬢さんですよ」と知らしめる一方で、コアなヲタに対して「辻ちゃんは面白生物なんかじゃねえよ。成熟した女性だよ。でも大人になってもあの突飛な発想力は消えないから安心しな」と知らしめる方法はないだろうか。まさか、そんな都合の良い方法なんてあるわけが……なんと、その手があったか!!!
というわけで、初期イメージを継続するのが苦しくなってくる20歳を目の前にして妊娠&結婚というのは、疑似恋愛系のヲタには辛い展開になってしまったが、芸能人の内面や才能に興味を持たないお茶の間の一般人と、辻ちゃんの芸能人としての資質を評価しつつも世間が辻ちゃんをどういう目で見ているかには割と無頓着だった辻ヲタの両方を満足させるウルトラC的ジョブチェンジ解決法であった。もちろん辻ちゃん本人は計画してなかったろうが、無意識のうちに正解を出してしまうから、まさに「ののたんは策士」「ののたんは奇跡」と言わざるを得ない。

終わりに
座りトークはさっぱり面白くない太陽だが、10月頃に放送された中国の秘境に弾丸ツアーで行く番組は面白かった。体力使って動いてなんぼだし、誠実そうなキャラも活きる。そしてよっすぃ〜に似ているとも思った。よっすぃ〜もガウショへ会いにバルセロナまで行った番組が、多分どのスタジオ収録よりも一番資質に合っていた。そこで思い付いたのは、辻ちゃんの復帰第1弾は希美&太陽&よっすぃ〜の3人組で旅番組をやって欲しい。熟年夫婦による温泉めぐりとか女3人エステとグルメ旅みたいなのは沢山あるが、旦那と親友をセットにした3人組は新機軸。中身も24時間かけてブラジルに行き、地元民とビーチサッカーに興じるとか緩くて下らない企画が良い。カップル対象の場所ではよっすぃ〜が「あいつ、幸せそうだなあ」と一歩引き、女同士で盛り上がる場所では太陽が「嫁が幸せそうで俺も楽しい」と一歩引く。たまに太陽とよっすぃ〜が意気投合したりすると、独占欲の強い辻ちゃんが焼きもちを焼く。すごく面白そうじゃないか。