パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

『BSドキュメンタリー』「私のお父さんは誰ですか〜フランス・戦争の落とし子たち」

2007/8/19初回放送、50分、撮影:夏海光造、取材:辻圭一郎、ディレクター/プロデューサー:田口和博、制作統括:三浦尚/東野真、共同制作:NHKエデュケーショナル、制作・著作:NHK/テレコムスタッフ
放送前の仮タイトルは「“丸刈りの母”の子、63年目の父親探し〜ナチと占領フランス「戦争の落とし子」達の戦後」。内容はナチがどうこう占領がどうこうというよりも、子供に向き合えない母と母から疎外されてきた子供の物語。戦争以外の場面でも起こる人間の物語。
かと思ったのだが、制作者の言葉によると、

右傾化する日本で、戦争をちゃんと検証してこなかったツケが、戦争を軽く見る、ゲームかのような幻視を起こさせる風潮を生みました。世界には、戦争を引きずって生きている人がいることを放送を通じて知って欲しいと思い、3年の取材を経て放送することが出来ました。浮き足立った世界に、静かにこうした十字架を背負って生きる人の声を届けるのもまたテレビジャーナリストの仕事でもあります。
http://telecomstaffsaiyo.typepad.jp/54672916/2007/08/1944_6f4b.html

ということなので、やはり戦争の物語だった。「ドイツ兵は悪魔のような奴らで、彼等と親しくしたものは民族の裏切り者」という設定で戦後のフランス社会が動いていたために、「ドイツ兵はとても社交的で礼儀正しかった」「フランス人女性を惹き付けた」(もちろん占領国側は良い飯を食べていたとか実利的な理由もあるのだろうけど)などと本当のことを言ってはいけなかった戦後60年の見直しが、(番組中では東西ドイツが統一されたことで史料が公開されたように)日本に限らず世界中で起こっている例だと個人的には思った。国民国家同士の戦争は敗戦国に三分の理も五分の魂も認めず価値観の全否定になるから恐ろしい、或いは国家という暴力装置が国民を総動員する戦争は必然的に個人の自由を抑圧するから恐ろしい、という話として理解することは出来るかもしれない。そもそも戦時であろうと平時であろうと60年前ならば、ハーフは虐められないにしろ、扱い難い人扱いはされていたのではないだろうか。もちろん戦勝民族と敗戦民族、占領民族と非占領民族の間だと増幅されるかもしれないが。
性格の形成は遺伝か環境かという問題。14歳でパン職人の見習いとなり、結婚する時に戸籍を見て養父が実父でないと知り、3年前に叔父から初めて「お前の実父はドイツ兵」と聞かされたジェラール氏、3年前に知ったばかりなのに、自分の性格を「ドイツ人気質、規律を守り、時間厳守」と表し、しかもドイツ人の血が流れていることを誇らしく思っているようにも見える。規律重視のフランス人がいれば、だらしないドイツ人だっているだろうに。そもそも性格的にずっとフランス社会で異邦人のような感覚を持って生きてきたが、その理由の全てが「父親はドイツ人」へ転化されているように見えた。今までの社会への違和感がこれで説明出来た、と。戦時平時に限らず、今生きている社会に生き辛さを感じる人はいるだろうし、差別や苛めが逆に「自分は周りの奴等とは違う」と選民意識を生むこともあるだろう。
そんなこんなで自分はあまり戦争の物語とは読まなかった。それは番組の構成が、これまで社会から如何に疎外されてきたかではなく、母親から如何に蔑ろにされてきたかに力点が置かれていた、或いはベルリンでのアイデンティティ探しの様子を中心に伝えていたからもあるが、現在進行形の動きをカメラに収めるのがドキュメンタリーなのだから、それは当然な構成である。自分の方が無い物ねだりをしているのだろう。