パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

オシムとアジアカップと数学

明日の試合がオシム代表監督のラストになるかもしれないので、思い切って好きなように書いてみる。(夜中の3時にPCが熱をもって異音が聞こえ始めたので一旦寝て、翌朝に続きを書いたが、基本的には金曜夜のアイディアだ)

たとえば、記者から「監督、いま貴方のチームの状態は良い(A)ですか、悪い(B)ですか」と質問され、監督が「良い(A)」と答えれば、その瞬間から、或いは「良い(A)」と答えたことが翌日の新聞に載り、それを選手が読んだ瞬間からチームは「監督がAと言った」(C)という新たな状態に入る。良い/悪い、上手/下手、強い/弱い、そういった言葉は口に出した瞬間から別の意味を持つ。オシムはその事に自覚的のようだから、仮に相手チームや世界に発信される英語での会見、選手やファンも読む日本語メディア相手の会見、メディアを排除したチーム全体での訓示、監督と選手1対1での対話、それぞれ言ったことでどういう反応が起こるかを考えて話しているのであれば、「新聞やスポナビやJ'goalに書いてある確かなソースだけで推測、議論しようぜ」みたいな手続き至上主義には意味がない。逆にいえば、素人が何の根拠もなく想像の羽を広げて語ってもよいじゃないか、ということも言えるのではないかと甘えてみる。それがこの雑文。
余談だが、試合後のテレビインタビューは位置付けが難しい。目の前にはサッカーを分かっているのか分かっていないのか、ジャーナリストなのかテレビ屋なのかもはっきりしない人間がいて、1対1の対話のようでもあり、しかしその背後にはこれまたサッカーのことをどれくらい知っているのか、好きなのか、ばらつきがある大衆がいる。しかもオシムは最近の記者会見だと、冒頭から「私からは何もありません。質問をどうぞ」らしいので、その理屈だとテレビ屋さんも質問しなければならない。どうせならテレ朝はいっそのこと開き直って「オシム監督、今日の試合そして次の試合に向けて、テレビの前で日本代表を応援している一般の人々に、代表を率いる責任者としてふさわしいメッセージを発信してください」みたいな質問にもなっていない挑戦的な丸投げをして、オシムの出方を試した方が面白いと思う。

前述の甘えを踏まえた上で、オシムはアジア杯をどう位置付けているのかを妄想する。基本的には、西部氏のスポニチコラムにある通りだと思う。

「日本に大事なのはW杯と世代交代」などと言いながら、メンバーの選び方といい、会見での回答の慎重さといい、本人が一番勝つ気満々に見えて仕方ないのだが…。
http://wsp.sponichi.co.jp/column/archives/2007/07/post_849.html

就任当初はどう考えていたか分からないが、今年に入ってからは2010年への通過点にするのではなく、夏の東南アジアで、俊輔と高原を加えて優勝することを前提に練習していたのだろうと思う。それも、正しい方向に進んでいるという監督の手腕を証明するためではなく、選ばれた選手が代表に値するということを証明するためのアジア杯。「オシム監督は名将らしいから大丈夫だろうけど、選手の選考はおかしいよな。ぶっちゃけ選ばれている選手より優れた選手っているよな」という世の空気を黙らせるためのアジア杯。1年間自分のサッカー観で選出した選手に、自分のサッカー観を体現するためのトレーニング(代表合宿)をくぐり抜けた集団の総決算としてのアジア杯。たとえばオシムの好みそうなタイプである前田遼が選ばれなかったのも代表合宿等でこの1年間を共有していないからではなかろうか。選出メンバーを徐々に固定し始めると「最近Jリーグで活躍している選手を入れないのは変じゃないかな」といわれ、活躍が目につく選手を合宿に呼べば「コロコロ選手を変えていると、チームが出来ていかないし、代表の価値が下がるじゃないかな」といわれる。どちらにしろ文句を言われるわけで、その程よい中間というのも人によってそれぞれ考え方が違う。その中で今年になって明らかにコアメンバーは固定し始めていた。これは「2007年アジア杯を戦うためのベストメンバーを選んだので一旦ドアを閉じますけど、この20数人のグループで2010年まで行くわけではありません。そのくらい口に出さなくても分かって下さい」ということだろう。これまで選ばれたことがあり、今回選ばれなかった選手、山瀬/二川/直志/大悟辺りが二度と選ばれないわけではない、羽生や山岸より劣っているわけではない。今現在クラブでレギュラーじゃないという分かりやすい理由から、中東遠征に連れていったら暑さと環境の変化に弱そうだったとか、Jリーグの試合で見せたアイディアは考えて生み出しているわけではないと合宿で分かったとか、外部からは分かり難い理由もあるのだろう。
ここまでが「オシムはアジア杯で優勝するつもり」という第1の妄想で、次の「なぜカタール戦の後で激怒したか」に関する妄想へつながる。
ようするに「俺はプロだがお前らはアマチュア」というのは、自分達がベストメンバーであることを証明しようとしない選手に腹を立てたのではないか。「たとえアジア杯で負けても、またクラブに戻ってJリーグで実績を残せば、自分は監督が好むタイプの選手だからまた選ばれるだろう。それでアジア予選を勝ち抜けばワールドカップに行けるだろう。こう考えているのか。お前らアホかと。お前らはいま試されているんだ。次があると思うな。俺がクビになったら、お前らを選ぶ監督なんかいないぞ。俺だっていざとなったら全員を総とっかえするかもしれんぞ。日本にはお前らと同じくらいのクオリティを持つ選手が20数人はいるだろう。自分達の方がベストメンバーだと証明してみせる時間はこのアジア杯しかないんだぞ!」
続いて個別に「カワグチ、オーストラリア戦の敗戦は君の判断ミスが原因だという声があるのは知っているだろう。2010年までの4年間を無駄にしないよう若手に切り替えろという声も聞こえてくるだろう。残り3年、自分がレギュラーにふさわしいことを証明してみろ」「ナカザワ、代表最後の試合がブラジル戦、あんなふがいない試合で終わっていいのか。あの試合の姿が人々の印象に残っていいのか」「アベ、ケイタ、コマ、君らは谷間の世代と呼ばれているそうだな。仮に能力があってもビッグゲームで勝てない。その印象を覆すにはこのアジア杯が最後のチャンスだ。分かっているのか」「ナカムラ、タカ、君達はドイツ大会の戦犯なのか。今からどんなに活躍しても“肝心の本番で体調を崩すような選手がエースで良いのか”と思っている世論を覆すには4年では足らないかもしれんぞ」「マキ、君はユニバーシアードで優勝したそうだな。ジーコだって君をドイツに連れていった。ハニュー、君もユニバーシアード日本代表だ。ヤマ、君はワールドユースの代表だったな。みな、私が選ばなくても日本を代表する若き才能じゃないか。それなのに“千葉枠だ”“オシムの贔屓”なんて言われて悔しくないのか」「ケンゴー、カジ、君達は自分が思っている以上に素晴らしい才能を持っている。年齢的にもこのチームの中心になってもらわなくては困る。もっと自信を持て」こんなとこか。

ストライカーDXのウェブページに掲載されていた西部×清水の対談が興味深かった。

西部 オシムはやっぱりすごいよ。練習のマエストロだよ、コンサートの指揮者みたい。ハーフコートでのパスを回しながらゴールへの形を練習するようなものが多いんだけど、1個のプレーが終わったあとに、「お前こうやって動いたほうがいいんじゃないの?」って1つ1つ指導する。それはサッカーが上手い人じゃないとできない。アイデアで、遠藤や俊輔の上をいってないと「こうしたら?」なんて言えない。「何言ってんの?」って反論されて終わりだから。
清水 しかも僕らのように原稿を書くまでに考える時間のある立場と違って、その場でプレーがあって、すぐに解答を与えなきゃいけない。瞬間で教えているわけですから。これってものすごいことですよね。
西部 完全に選手と同じ目線なんですよ。それは本当にすごい。プロの選手を上達させることができるプロの監督ですよ。トレーニングでプロのトップの選手を上手くできる監督なんて、何人もいないですよ。トレーナーとしては天才的なところがあると思う。
(中略)
清水 オシムも第1戦目のカタール戦後、「お前らアマチュアか!」って激怒して、選手もマスコミもみんな驚きました。通訳の方も泣いていたそうですし。こういうふうに、なぜベッケンバウアーオシムの激怒がみんなに驚かれるかといったら、そのタイミングが早いんでしょうね。「今はチームが危険な状態だ」と感じるタイミングが。先手を打ってチームを変えようとする。
西部 高性能の警報機が付いてるんだよ。本人がそれをどこまで意識してるのかはわからないけど、オシムにはそういう天才的なところがある。
清水 論理的な人ではあるんですが、意外とそういう肝心な部分は感覚でやっているのかもしれませんね。
http://www.soccerstriker.net/html/matchreport/asian_cup_2007/asian_cup_2007_jpn_vie_03.html

特に、西部氏の言葉を受けて清水氏が最後で言っている「論理的な人であるが肝心な部分は感覚でやっている」から私が連想したのは、オシムは数学者を目指していたというエピソード。もちろんオシムが数学者としてどのくらいのレベルにあったかなんて分からないし、話に尾ひれがついて誇張されているかもしれないが、その辺りはネタだからお許しを。
「数学は芸術に通ず」でグーグル検索して一番上にくるのが、代数幾何学の専門家である楫元氏の話。その中から興味深い箇所を引用する。

−数学は芸術だ!
 高校までの数学は、計算練習や問題解法に重点が置かれますが、大学の数学科における数学は、論理をきちんと理解することが重要になります。正確に計算できることはもちろん大事ですが、なぜこのような式が成り立つのか、またそれをどうやって証明するのかということに焦点が当てられます。中学・高校と、わけのわからない計算練習ばかりを技術訓練のようにやらされたら面白くないだろうし、それで数学が嫌いになってしまう人たちはかわいそうだと思います。また、それでは数学もかわいそうだと思います。高校まで技術訓練に終始し、急に大学や大学院で自由な発想を求められても、どうすればいいか分からなくなる学生がたくさんいます。また、数学がよくできても、あまり数学が好きではない学生もいます。
 数学には面白さと同時に美しさがあります。先人たちが発見してきた数学の真理は決して色あせず、何百年何千年たってもその価値が失われることはありません。そういう美しいものの探求という点において、数学は非常に芸術に近いのではないかと思います。しかし、誰にでも理解できるか、といわれるとそこは難しく、ある程度の訓練が必要になります。その点が音楽や美術とは違うところです。でもだからといって、初めて触れる人には分からなくても仕方ない、という立場に立って努力を放棄してしまったら数学教育はおしまいです。何とかして数学の素晴らしさを多くの人に伝えたいと思います。

どうだろう。「数学」を「サッカー」に置き換えると、まさにオシムが言いそうなことではないだろうか。私のような受験文系人間にとっての数学とは、上に書かれたような「計算練習」「問題解法」「技術訓練」であり、創造性と結び付くものではないが、本来の数学とは論理性と創造性を必要とする芸術であるといわれている。国際数学オリンピックの問題なんかはパズルのようで、解くための発想力を競うようだし、「なんちゃらの定理が解けた」なんてニュースを読んでも、中身は技術というよりは発想である。問題を設定してそれを解決するには独創性が必要であること、解くために数式を扱うには技術訓練が必要であること、これはサッカーに共通するものではないか。
オシム万歳」的な空気が世に溢れていることを危惧しているのか、敢えて言っている面もあろうオシム懐疑派の意見は、大体「サッカーは走るだけが脳じゃない」「サッカーは集団プレーだけじゃない」「サッカーはアイディア、感性が大切だ」「ビブス沢山使って、約束事を沢山決めて、それじゃあ個人のアイディアは出てこない」という感じだと思う。これはまあ数学でいうところの「計算練習」や「技術訓練」を見て「数学っていうのは数式に当てはめてただ一つしかない解を出す退屈な学問だ」みたいな意見と似ているような気がする。木村元彦氏なんかはこれらの意見に対して「あのビブスを使った練習は選手の主体性を大切にしたものだ。トルシエみたいに約束事を押し付けているわけではない」などと反論しているが、木村氏は人間を描くジャーナリストであってサッカーライターではないので、今一つ説得力に欠ける。上で引用した西部氏の「プロの選手を上達させることができるプロの監督」なんて最大級の賛辞だと思うけど、ともすれば監督が選手に対して高度なアイディアを教えている/押し付けていると解釈されるかもしれない。
それで思ったのは、日本の数学者が代表のトレーニングを見たり、オシムと対談したりしたら面白そうだということ。日本にだってサカヲタの数学者くらい1人や2人いるだろう。トレーニングのある部分は監督も選手も身分の別なく解法のアイディアを出し合っている、別のある部分は数式の使い方がなっていないと上級者が下級者にダメ出ししている。これを区別して解説出来る数学者がいれば、オシムへの理解もずいぶんと深まるのではないだろうか。

実際問題、オーストラリア戦に負けたらオシムは辞めるのだろうか。不確かな記憶だが、前回の技術委員会は2005年秋の時点でジーコにダメ出しする報告書をまとめながらワールドカップを機に監督交代することに決めた(一応断っておくと、ここでジーコへのダメ出しが正しかったかどうかは問わない。というか個人的には田嶋氏よりジーコ氏の方がワールドカップとは何かを分かっているだろうと思う。あくまで技術委員会と代表監督の力関係を説明するための例)。なので、逆にいえば小野剛技術委員長が「アジア杯にノルマはない」とした上に「サッカーの内容は日本の方向性と合致している」という報告書をまとめたとしても、その他の要因から解任される可能性はある。負けた(ベスト4に入れなかった)責任をとってオシムが自ら辞める可能性はあるだろうか。常々「勝負は時の運」というオシム結果責任をとるというのはサッカー的ではないし、スポーツ的でもないし、オシム的でもないから、ないと思う。結果を問うのは雇い主だけでいい。「プロの監督は頼まれたら引き受ける。引き受けたら雇い主が『クビだ』と言うまで続けるもの」と言ったのは清水秀彦氏だったかと思うが、契約社会というのは斯くありたいもの。まあ協会幹部がオシムに「実質解任だけど、自ら責任をとって辞めると言ってくれないかなあ」と持ちかける日本的解決はあるかもしれないが、これが西洋人に通用するのか見てみたい気もする。
Jリーグを愛する各方面から避難轟々になりそうなウルトラC的解決法としては、オーストラリア戦に負けてオシム解任→中断期にジェフへ出戻って残留に貢献→レッズ無冠を受けてオジェック解任&オシム就任→アジアや世界と対峙する機会のないガンバ、フロンタ以外のクラブから駒野や柏木、今野等をレッズへ引き抜く→2年間、ほぼ代表メンバーがクラブで濃密な練習→2010年初めにオシム、代表総監督へ復帰。限られた人的資源と予算は集中投資が成功のカギ!