パロップのブログ

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辻さんの事


はじめに
そもそも、この文章は2004年末に読んだ『U+U=W』の感想を、2005年の辻さんの誕生日に合わせて書き上げるつもりだったのが、例によって面倒くさくなって放り投げていたものなので、今となってみれば色々齟齬もきたしている部分もあるだろうが、御容赦願いたい。
本題に入る前に、いきなり余談。このエッセイの中で、辻さんが「ドッペルゲンガー」という単語を発している事について「果たしてこんな単語を知っているのだろうか」と書いているサイトをみかけたが、自分には知っている心当たりがあった。果たしてダブルユーがゲスト出演した『はなまるマーケット』で、辻さんは「ドッペルゲンガー」発言をしている。「ドッペンゲンガー」と発音しているようにも聞こえるが、これは固有名詞に関して、文字を読むよりは耳から聴いて覚える辻さんだから、誤って記憶しているとして、「ドッペルゲンガー」という単語を知っているのは間違いない。
自分の心当たりというのは「ホラー好きの辻さんなら黒沢清監督の映画『ドッペルゲンガー』を見ているだろう」というもの。『ドッペルゲンガー』自体は、ホラーというよりもブラックコメディらしいが、御存知の通り、辻さんはホラー映画が大好きなので、レンタルショップのホラーコーナーに並んでいたこの映画を観て、記憶に残っていたのだろう。生放送で「冬ソナは眠くなる」と大胆発言をしたように、台詞劇/物語には滅法弱そうな辻さんが、この映画(黒沢監督はホラー映画の形式を借りた小難しい映画を撮る事で有名だが、これは結構分かり易いらしい)を観てどんな感想を持ったのか訊いてみたい。というか、黒沢監督には辻さんを主役に映画を撮って頂きたい。本人もホラー映画への出演を希望している。4回に3回はNGかもしれないが、残りの1回で神演技をしてくれるはず。まあ個人的にはNG集の方が楽しみだが。

『U+U=W』の感想
今から4年くらい前、自分は「50年後の児童心理学の教科書には、子供の成長期にもっともやってはいけない犯罪的行為として、UFAの活動が記されそうな気がする」といった内容の事(ttp://fayefaye-web.hp.infoseek.co.jp/musume20.html)を書いた。ドラマの中で全くの別人格を演じる子役ならまだしも、思春期を迎えていない女の子にバラエティ番組でキャラ/パーソナリティを切り売りする仕事をさせるのは間違っていると思ったからだが、これを読んでみると、案外とテレビとオフで人格の切り替えが出来ていると思った。
それから最近のバラエティ番組の仕組みとハロプロの仕組みの違いだかにも触れようと思っていたが、面倒なので省略。

キャラクターと成長
辻さんのファンにとって、彼女にどう成長して欲しいかを考えるのは難しい。若くして有名になると、一般人からみて、昔のように振る舞うと「18歳過ぎて子供キャラとかバカみたい」と叩かれ、世間のイメージする18歳らしくすれば「子供だから商品価値があったのに、年相応になったら用無し」と叩かれる。本人にとっては作っているわけでもなく、以前と同様に自然に振る舞っているだけなのに、何故、このような問題が起こるのか。それは、若さから来る非常識さと性格に起因する天真爛漫さが、しばしば混同されやすいからである。
マラト・サフィンというテニスプレーヤーがいる。1980年生まれだから26歳になるが、かなりのアフォと評判である。自分のプレーに怒ってラケットを何本も破壊したり、スーパーショットの喜びを表現するためにコートの真ん中で自分の短パンをずり下ろしたり、数人のモデル風女性を「ガールフレンド」扱いにして家族席に座らせたり、旧来の良識派からみればマナー違反を沢山するし、実際、大会の規定に沿ってよく罰金も取られている。しかし、その振る舞いは誰かに迷惑をかける類のものではなく、試合後の記者会見ではブロークンな英語で意味不明な説明(「サフィン・カバ」辺りで検索すれば、ののたんクリッティ振りが分かる)をしたり、審判のファーストネームを覚えて親しみを込めて話しかけたり、多くの人から愛されるキャラクターである。
親しまれるアフォは、若いからアフォなのではない。性格がアフォなのである。一生涯アフォなのである。だからこそ、若さ故の非常識さと性格から来る天真爛漫さをうまく切り分けて、愛されるアフォにならなければならない。それが出来るのは、本人の側で、本人の事を一番知っているマネージャー他の大人達である。ファンが外野からあれこれ言っても仕方ない。本人の持ち味を消さないように、しっかり見極めて、育てて頂きたい。

ガッタス
ベルナール・ラマというゴールキーパーがいた。アフリカ系らしいバネのある身体能力と、フランスの優れたコーチングシステムの両方から恩恵を受けた先駆け的存在で、90年代の前半から半ばにフランス代表として活躍した。その彼のプレーで印象に残っているシーンがある。ディフェンダーの開けたコースからミドルシュートを打たれ、ゴールを決められたシーンだが、彼は横っ飛びして届かなかった後、すっくと立ち上がると、「チクショウ!」という感じで、思わず指を鳴らした〜親指と人差し指をこするような仕草〜をした。これが自分には、悔しさの表現がすごく軽いというか、不真面目なように映ったが、多分そうではない。彼にとってはその試合の重要さだったり、試合中の点差といった全体像は頭になく、ただシューターとの1対1の勝負に負けたという悔しさが先にあり、結果、場にそぐわない感情表現になったのかなと思う。
辻さんもこのタイプで、ミドルシュートを決められた後、思わずベンチを見たり、ハンドをして「アヒャッ」となったりして、ガッタスにストイックさを求めているファンからは反感を買っているような部分もあるけど、あれは真剣さが足りないのではない。「大事な大会だから」とか「お金を払って応援している人がいるから」とか、そういう全体像を見据えた大人の事情とは関係ないところで、ワンプレーワンプレーに一喜一憂するのが辻さんである。一生懸命な練習態度だとか、ストイックな表情だとか、そういう範疇の外で、辻さんが一生懸命であることを多くの人に理解して欲しいと願っている。チードリ戦の4失点で辻さんの取り組む姿勢が変わるのかどうかは分からないけれど、成長して失うものが少なければ良いと願っている。
ただ個人的な願望をいえば、辻さんにはフィールドプレーヤーもやって欲しい。動き出す瞬間の佇まいというか、身体のひねり具合というか、その辺がミラン・バロシュっぽいと思うから。一瞬のスピードで縦に抜き、ゴールを外す。フィールドデビュー戦で見せたあのプレーをもう一度見たい。(※このサイトは基本的に著作権・肖像権を遵守しているが、今回画像を貼らしてもらった。滅多にしない事なので、アップフロントさんにはお許し願いたい。)

ダブルユー
いきなりだが「W」という名前は失敗だったと思う。「U+U」という不思議な記号か、或いはカタカナで「ダブルユー」とし、初対面の司会者から「これは何と読むのですか?」という会話のとっかかりを作る余地を与えるべきだった。「ダブリュー」という読み方が既に存在する「W」に、違う読み方をくっつけたのは馬鹿としか言いようがない。それから当初は「双子のようで…」というコンセプトにも腹を立てた。「わざわざお互いの個性を消し合ってどうするんだ」と。
それはともかく、手元にある数枚のシングルと2枚のアルバムを聴いた時、ダブルユーもなかなか良かったじゃないかと思う。最初のカバーアルバムはなかなかポップだし、2ndアルバムは異端さがうまく表現されていた。『愛の意味を〜』は寺田ソングの中でも五指に入る傑作だろう。そして何より、あまり興味のなかったあいぼんさんの声が好きになった。あの柔らかさは辻さんのビーム声とうまく噛み合っていた。
さて『ラブ探偵』は普通でがっかりだった。音楽的にはダブルユーの役割は終わったと思った。この文章を練りながら、辻ソロへ妄想も膨らませていた。そこへ3rdアルバムの発表。しかもカバーソング募集とか微妙に嫌な流れだったが、色々あって全部吹き飛んだ。個人的にはあいぼんさんにキチッと復帰してもらい、仁義を通してから解散してもらいたい。それまで辻ソロへの妄想は封印しておく。

何故、1年近く、放置していたこの文章を今さら仕上げたのかといえば、今日これから福山まで辻さんを見に行くから。これだけ長々と書き連ねている割に、辻さんを生で見るのは初めてだったりする。なので地方在宅ヲタらしい戯れ言を残しておくのも一興かと。まあ、2階席から豆粒のような辻さんを見たからといって、何が変わるかは疑問だけど、それはそれ。まあ、本物を見たいという欲求は今もあまりないけど、今年は事務所にお布施を払う機会もなさそうだし、空席祭の解消に少しでも貢献出来れば良しとしよう。