パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

サカヲタのハロプロ回顧と展望2003年

3連休の間中、風邪ひきのままだった。雑誌もテレビ番組もほとんど消化していない。それはともかく、2年前の今頃の時期に書きかけて放置していた文章が出てきたので、穴埋めに載せる。

今年、私の中では「カントリー娘。に紺野と藤本(モーニング娘。)」(以下カン紺籐)が大ヒットだった。基本的には、紺野とみうなの顔が自分のストライクゾーンだったからだが、それ以上にユニット内に良い空気が漂っている気がする。流れに乗れば、2代目タンポポの域まで達する事が出来るポテンシャルが感じられる。
カン紺籐になってからのシングル1st、2ndともジャケットとPVはなかなかよく出来ていた。少なくとも色物ではなく、体裁を整えたアイドルグループではあった。それから雑誌のインタビューやラジオのゲストでの会話が良い雰囲気に思えたのも好印象。それは辻や吉澤といった日本語のおかしい人たちがいないからだろう。自分は所詮言葉でしか何かを表せないので、言葉以外の何かを持っている辻・吉澤に惹かれるが、まず入り口に来てもらうためには、やはり自分たちの魅力を他人が理解出来る言葉で伝えられないと難しい。カン紺籐にはそれがあると思う。
しかし、現状はさっぱり売れていないし、今のままでは、タンポポの域に達する事は出来ない。それは多くの識者がいうように、昨年のユニット再編をファンが経験した結果、どんなに人を惹き付ける空気を生み出したとしても、ユニットに思い入れを持ってもらう事が難しくなったから。「どうせ何の前触れもなく紺野と藤本を終了させたりするんだろ」と思われてしまった結果、今CDを買ってくれるのは、個人個人についたファンだけだろう。「楽曲が良ければ」なんてヲタがいっても、実際はZYXもあぁ!も売れていないわけだから。
02年に行われたユニット再編はファンの大きな反発を受けて失敗だったといわれるが、実際はタンポポプッチモニでは受け取られ方が違うわけで、正直、反発はタンポポへのものが大半だったろう。娘。は部活に喩えられるが、プッチもそう。プッチは刹那的な時間を過ごした仲間。離ればなれになったら電話する事もないけど、久しぶりにあったら「あの頃は馬鹿やったよな」と当時に戻れる間柄。継承可能かも。だが、タンポポは家族。入れ替え不可能性がある。第2期タンポポに特別なもの感じている人には申し訳ないが、タンポポに思い入れがあったのは飯田と矢口だけで、石川はタンポポという場を与えられた事に感謝をしているくらいだろう。加護はそれほどタンポポに思い入れがあったわけではないだろう。毎日食っている白いごはんと同じで、毎日一緒に過ごしている家族のようなもの。いちいち「好き」とか「感謝している」とか考えるまでもない空気のような存在。

ここで文章は終わっているが、書きかけのメモとして「期限付きで活動する。予め、終了期限を決めて、そこに向かってテンションが上がるように逆算する」とある。構想としては、この時、自分は始めたばかりのフットサルを想定していた。この5人でフットサルをやり、それに合った感じの歌を出す。期限は2005年3月くらい。終着点を決めて走った方が、ファンも感情移入し易いのではないか。その後は、またカン娘3人で活動を続ければ良い。そんなイメージだった。
まだ、ガッタスは都大会にも出ていない頃の話。この後、カン紺籐は『シャイニング』を出したきり、5人のみで活動したことはないと思う。あれからハロプロを取り巻く環境も、ハロプロフットサルを取り巻く環境も変わり、まさか本当に部活みたいなものが始まるとは思わなかった。正直今はどこに向かっているのか分からないが、ガッタスでの活動を知る限り、あの頃の5人がつくっていた空気は本物だったのかな、と嬉しく思う。