パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『戦後60年・歴史を変えた戦場』「ハンガリー動乱〜ブダペストの13日間」

2005/6/27再放送(6/25初回放送)、50分、取材:金聖雄(ロシア)/長塚玲(※エンドロールには無いがグループ現代サイトには名前がある)、コーディネーター:茂木昌(ハンガリー)/イリーナ・マハラゼ(ロシア)、構成:田平陽子、制作統括:林新/山崎秋一郎、共同制作:NHK情報ネットワーク、制作協力:田野稔(グループ現代)、制作・著作:NHK
この『戦後60年・歴史を変えた戦場』シリーズは、第1弾:ベトナム戦争編も第2弾:フォークランド紛争編も戦争の作戦面に話を限定した軍事マニア視点の「情報番組」な作りでかなり面白かったし、加えて自分は旧東欧好きなので、この第3弾にもかなり期待していたのだが、今回は民衆大好きっ子な制作者の視点が大いに反映された正統派ドキュメンタリーだった。見終わった直後は、権力者側の物語大好きっ子な自分としてはかなりカチンときて、程度の低い文句を書き殴るつもりだったが、とりあえずホコリを被った本棚からハンガリー動乱関係の本を出して久しぶりに読むと、自分の方が間違って記憶していた部分も多々あり、更に7月16日の再放送をもう一度メモを取りながら見た。そのような訳で、以下、あくまで冷静に、制作者から反論が来ても良いくらいに気を遣い、いつものドキュメンタリー・ウォッチングよりはクオリティ高めに書いたつもり。

その前に、今回参照した参考文献をあげる。
社会主義の20世紀』「第1巻・反革命か民衆蜂起か」(日本放送出版協会、1990年)は、『NHKスペシャル』の書籍化。NHK取材班が手掛けた番組再録部分と、ハンガリー史学者の南塚信吾氏が手掛けた背景解説部分とで、動乱に対するトーンが全然違うのが面白い。NHK取材班執筆部分(奥付の著者一覧によれば、執筆者は番組制作局ディレクターの安斎尚志氏と思われる)では、

10月30日、ソ連軍の撤退が完了した日、ブダペシュト市民は再び動きだした。市民はナジ=イムレが打ち出した方針では満足しなかったのだ。市民とハンガリー軍の一部の兵士は、共産党ブダペシュト地区本部を襲撃した。彼らの要求は、ソ連からの完全な独立と一党独裁体制そのものの変革だった。(P.154)

という感じで、今回のドキュメンタリーの元ネタになっている本だと思う。但し、この本に出てくる人物と今回の番組に出てくる人物に重複はなかった。一方、南塚氏は、共産党本部襲撃について、

この事件をきっかけに、いわば革命の合法性が一挙に消失した。人々はヒステリックな反共心理にとりつかれた。報復のみを目指す行動が広がった。(P.205)

と書いている。「革命の合法性」と言うけれど、非合法な事をやっちゃうからこその革命だと思うが(だから言い回しも「いわば」付きにしてあるのだろう)、その中にも革命なりの守るべきルールがあるだろうという考えであるからして、南塚氏はやや政権寄りと言えなくもない。
フランソワ・フェイト『スターリン以後の東欧』(岩波現代選書、1978年)は、ハンガリー系でフランスに亡命した歴史家による著書。原著の初版は1959年。氏はかなりの政権批判者であるが、それでも事件に関しては、

人びとは、介入こそスターリン主義がまだ持続している証拠だとみた。のちになって明らかになったことは、ハンガリアにおいてスターリン的抑圧手段は用いられたがそれはスターリン主義を回復させるためではなくて、ゴムルカ体制に似たフルシチョフ路線の体制をうちたてるためであったということである。(P.136)

という見方をしている。
家田裕子『ハンガリー狂騒曲』(講談社現代新書、1991年)は、1987〜1989年まで家族とハンガリーで暮らしたチェコ史学者のエッセー。体制転換期におけるハンガリー人の民族意識歴史認識階級意識を知る参考になる。以下、一部を抜粋すると、例えば、

西側の認識では、ソ連軍の戦車と共にカーダールがハンガリーの政権の座についたのは周知の事実であった。しかし我が家の近所に住む労働者の子供たちは、こうした背景をまったく知らなかった。「カーダールおじさん」と親しみをこめて呼んでいたこの指導者が殺人者だったとは驚いたと、親も子も口々にののしるようになったのだ。(P.162)

とある。この他、矢田俊隆『ハンガリーチェコスロヴァキア現代史』(山川出版社、1978年)、ジュルコー・ラースロー編『カーダール・ヤーノシュ伝』(恒文社、1985年)を参考にした。
大まかにまとめると、1956年直後の時点で、西側の研究者及びハンガリー国内の知識人の間では「フルシチョフスターリン批判以来、ソ連は東欧衛星国の小スターリンども(独裁者)を失脚させる政策をとっており、武力介入も極力避けようとしていたが、ハンガリーでは独裁者ラーコシ批判から共産党&ロシア批判へと発展したので、やむを得ず介入した」という共通認識があったが、それを一般のハンガリー人が知らされたのは1988〜89年の体制転換期だった。付け加えると、体制転換以後、反体制派の流れを汲む政党と旧共産党の流れを汲む政党との間で選挙に政権交代が何度か行われている。恐らく、それに伴って歴史の相対化も進んでいると思われるが勉強不足でよく分からない。この辺りを前提として次に進む。

番組の中で特に描き方が気になった場面は2つ。1つ目は、10月26日に民衆蜂起側のお偉いさんであるナジの知人らがナジに会いにいった場面だが、

(ナレーション)その頃、ナジは民衆が一向に武装解除しないことに不信感を持ち始めていました。国会にこもっていたナジには、民衆の真意が掴めなかったのです。
「私が労働者を連れて部屋に入っていくと、ナジは最初戸惑った表情をみせていました。労働者たちも生まれてはじめて首相に会うので、みんな興奮していました。最初ナジ首相は、民衆が過激な戦いに傾いていく気持ちを理解出来なかった。ところが、話をするうちにナジ首相の表情はどんどん変わっていきました。労働者たちが求めていたのは、安全で自由な暮らしだけでした。ナジは民衆の真実を知ったのです」(フェルドバーリ・ルドルフ=ナジの知人で、労働者がストを始めた東北部の都市ミシュコルツ地方党第一書記=の証言)
(ナレーション)民衆との直接対話を繰り返すうちに、ナジは彼らの要求を理解するようになっていきました。

これまでの通説では「40年来の共産主義者だが、貧農出身で民衆の気持ちも理解出来るナジは、残念ながら学者肌の人間で、危機的状況で舵取りするタイプの政治家ではなかった。ソ連と民衆の板挟みになって気の毒だった」という同情的な評価だったと思う。しかし、上の引用が事実ならば、ナジは首相へ祭り上げられる以前、民衆と乖離した隠遁生活を送っていたが、民衆と面談する事であっさりと趣旨替えし、26日の時点で民衆とともにソ連を追い出す決意をしていたにもかかわらず、28日にはミコヤン相手にハンガリー人の手による治安の回復とソ連軍の撤退とを交換条件とした約束を行い、更に30日には共産党ハンガリー人幹部が虐殺されるのを見殺しにしたという「そりゃ、詰め腹切らされてもしゃーないわ」と思える程、どうしようもないろくでなしになるが、制作者はその描き方で本当に納得しているのか? たとえば、ナジが拘置所で書いた新文書が発見され、それに心情が吐露されているとかならば、それなりに納得出来るが、明らかにバイアスかかりまくりの民衆側知人による「話をするうちにナジ首相の表情はどんどん変わっていきました」なんて証言を真に受けて大丈夫なのか。

描き方が気になった場面その2は、30日に共産党幹部が虐殺された事件に関する民衆側の証言、

「こういう事を言うと驚くかもしれませんが、私は民衆の怒りを完全に正当な事だと思いました。殺されたのは国の裏切り者だったし、誰がどう言おうと、あの場で爆発したのは正当な人間の怒りだったのです」(民衆側で戦ったバネック・ベーラさん(73歳))
「私は秘密警察の3人の遺体が吊されたという事にとても腹を立てたし、あれは悲しい出来事だったと思っています。あの事件のお陰で、我々市民の高い理想に泥を塗られた気分です」(美術を学ぶ高校生だったオーチャイ・カーロイさん(67歳))

一見すると、賛成側と反対側双方の意見を取り上げた公平な作りをしているようにみえるが、実際は2人とも「民族蜂起は正しい」派であり、その中でも虐殺には賛否両論あったと例示する事で「前提として民族蜂起が正しいのは明らか。更に誰もが虐殺に賛成していたわけではなかったのも証言から明らか。それなのに偶発的な虐殺を理由に、ソ連軍が反乱を鎮圧するために戻ってくるのって、おかしくないですか?」という方向に視聴者を導こうとする高等テクニックである。なまじ演出能力があるだけに、余計に違和感がある。

とはいえ実をいえば、上の描き方云々は大した問題ではない。気になったのは視点・立ち位置の部分。別に「公正中立でない」などと文句を言いたいのではない。「表現行為であるかぎり、ドキュメンタリーは客観性やら中立性などとは絶対に相容れない」という森達也氏の考えに、自分も全面的に賛同するし、制作者の意思が反映されていないドキュメンタリーは詰まらない。だが、この番組に関しては、制作者の立ち位置にすごく疑問がある。たとえばの話(あくまでたとえだが)、日本人作家がパレスティナ問題や在日朝鮮人問題をドキュメンタリーの題材に取り上げた場合、アップトゥデートというか、最後はどうやっても今生きている自分自身に跳ね返ってくる問題になるはずだから、どんな視点に立つにしろ、制作者個人が問われることになる。では、1956年の出来事を1989年のハンガリー人の視点に立って2005年を生きる日本人が描く意味って何、という事になる。これは批判でも皮肉でもなく、制作者に聞いてみたい。今回のケースだと、どうあがいても傍観者・部外者にしかなれない2005年の日本人だからこそ立てる位置はあるかもしれないが、それをやるなら「客観・中立」を装った情報報道番組にしておけば済む話だ。
ものすごく極端なたとえになって申し訳ないが、この事件をスペイン内戦に当てはめるとすれば、仮に内戦で人民戦線側が勝ったもののその後ソ連コミンテルンから指導者が送り込まれて急速に共産化、農業集団化の失敗等で段々と国民の不満が溜まって来た所に、フランコ将軍率いる王党派が共産党政府に反撃したようなものである。実際、フランコ将軍はスペインの共産化を防ぎ、王制の伝統を守り抜いた人物として再評価される日も近いという人もいる。もちろん内戦時に血を流した人間が存命の間は簡単に割り切れる問題ではないと思うし、それは当事者たるスペイン人が身を切る思いをしながら再評価の議論をするべき事で、無関係な日本人がノコノコ出ていって「実はフランコ将軍って、結構良くないですか?」と言うべきではないだろう。それと同じ事をハンガリー史に対してやっているように思えるのが、自分の引っかかっている部分である。

NHK情報ネットワークのサイトにプロデューサーによる番組の意図らしきものが書いてある。

この動乱は、当時、経済的にも好調で理想郷のように語られていたソ連社会主義の幻想を打ち破り、冷酷なイデオロギーの牙を世界に見せつけた。それから30年余り後の、ソ連崩壊の萌芽ともなった。西側諸国も国連も、スエズ動乱など他の地の紛争もあって、ハンガリーの市民の救済には乗り出さなかった。冷戦は、よりくっきりとその構図を固めていったのである。13日間の壮大な市民革命の失敗をドキュメントし、憎しみの連鎖が歴史を創っていく不条理を描く。
http://www.nhk-jn.co.jp/002bangumi/topics/2005/027/027.htm

これを読むと、1956年の出来事が巡り巡って1989年に繋がったという事が言いたかったようだから、確かに上記のような視点もありなのかもしれない。しかし、だとすれば、オープニングの老戦士の葬儀場面も含め、2005年現在の映像・証言など要らない。1989年に起こった歴史の見直し論争を紹介した方が余程視点がはっきりする。そう考えると、これは上記でダラダラと書いたような視点・立ち位置の問題ではなく、「冷戦の激化からソ連の崩壊までを1989年の高みから眺めた客観・中立を装った歴史」を企画書に書いたプロデューサーと、「永遠に色褪せない独裁者に鎮圧された崇高な民衆蜂起の物語」をスクリプトに書いた構成作家と、「とりあえず動乱に参加した存命者にインタビューしてこい」とだけ言われて現地で取材した記者が同じ方向を向いていないまま制作された、単なる駄作といった方が適切かもしれない。折角書いたこの文章は骨折り損のくたびれもうけだった。

(12時間後に追記)
乗りかかった船なので、その後思いついた事を書き残しておく。企画書の時点で、視点は1989年から1956年を眺める事にある。それは既に定まった歴史観。ならば、NHKの膨大なライブラリーから1989年当時のポジュガイ・イムレの証言VTRでも市井の人々の証言VTRでも引っ張り出し、適当につまんで構成すれば事足りる。もっと言えば『社会主義の20世紀』を再放送すれば済む話である。ところが、何の気紛れか、ブダペシュトとモスクワにまでスタッフを派遣し、新たに証言を集めている。普通に考えてドキュメンタリーならば、当事者にインタビューした時点で、これまで描いていた粗筋にそぐわない点、新たに疑問点が生まれ、再構成しながら話を作っていかなければならないはずだが、この作品の場合、視点は1989年の時点で定まってしまっているのに、追加取材なんぞして、却って齟齬をきたしている。その裂け目が最も分かり易く表に出ているのが、上記したナジ・イムレの評価ではないだろうか。
ほとんど何の役にも立っていない今回の取材だが、1箇所だけ意味のある証言がある。番組の最後に出てくる、当時ブダペスト工科大学3年生で、1990年より国会議員であるメーチ・イムレ氏(71歳)の証言、

ハンガリー動乱での要求はほとんどすべて実現しました。ソビエト軍は撤退し、言論や生活の自由が保障されています。しかし私たちが望んでいた姿が今の姿かといえば、よくわからないのです。何かが違う」

1989年から16年経った現時点で1956年を振り返る事自体、番組の視点としては破綻していると思うが、敢えてこの新作品を作った意味があるとすれば、多分ここしかない。その他の取材なんて、制作会社がNHK予算を遣って馴染みのライターさんに海外旅行をプレゼントしたといっても良いくらいだろう。
自分でも書きながら訳分からなくなっているので、くどいけどもう一度まとめる。番組の最初に「1988年、『反革命』と呼ばれていた1956年のハンガリー動乱が『民族蜂起』だったと認められ、その後の民主化に多くの影響を与えました。あれから16年、動乱に参加した人々はどのように暮らし、また動乱の事をどのように評価しているのでしょうか」というナレーションを入れ、その後に上のメーチ・イムレ氏の証言を含め、「あれは正しかった」「いや、あれは行き過ぎだった」など様々な取材証言を並べれば、視点が成立する。そうしないのならば『社会主義の20世紀』の再放送しろ。俺の受信料を遣って無駄な取材をするな。そういう事。