パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

BS1『BSドキュメンタリー』「外交の瞬間〜'71年・ニクソン機密テープが語る米中接近」

2005/5/28放送、50分、取材・構成:高橋祐介、制作統括:手嶋龍一/小島伸夫、インタビューで出演:ヘンリー・キッシンジャー(元大統領補佐官)/ウィンストン・ロード(元駐中大使)、画面比:4対3

実は、わたくしはキッシンジャー補佐官の電撃的な訪中の翌月、北京に滞在し、周恩来総理と長時間にわたって会見したことがありました。まだ20歳、国際政治のなんたるかも知らない若者でした。しかし、それ故でしょうか、「中国の首脳は帝国主義と決めつけていたアメリカの大統領特使を何故、いま北京に招いたのか」というあまりに率直な質問を、人民大会堂で現代史の巨人にぶつけたのでした。周恩来総理の答えは「我々の戦いには、武器をとってするものと、テーブルについてするものがある」というものでした。やや苦しい釈明だと思ったのか、周恩来総理は続けて「橋から川に転げ落ちるのに、右からであろうが、左からであろうが、結局は同じことだ」と、意外な言葉を口にしました。これがその時、中国指導部の奥深くで繰り広げられていた極左グループとの闘争を指していることは、辛うじて理解出来ました。しかしながら、毛沢東の後継者林彪との対立が、すでに抜き差しならない段階に差し掛かっており、翌月に起きた林彪事件を予感させていたことなど、知る由もありませんでした。林彪一派がクーデタを試みて失敗し、敵対していたソビエトに亡命しようとしたことは象徴的です。当時のソビエトが中国への核攻撃を真剣に考えていたことを肌で感じ取っていたのは当の中国の指導部でした。そしてもう一人、その優れた諜報能力から中ソの間に核戦争の影が忍び寄っていたことに気付いていたのは、ニクソン政権だったのです。

ドキュメンタリーの最中に自分語りを始めちゃったよ、テッシー。というのは冗談にしても、この番組の放送後すぐに失脚の報道が流れた手嶋支局長、NHK最後の仕事は自分の原点を振り返った回想録様式。巷で伝えられる海老沢側近=経世会ルート仕切り=親中派の顔と、テレビから伝わるホワイトハウスべったり/共和党べったりのイメージが、うまく結びつかなかったけど、この番組から伝わるニクソンリスペクト/周恩来リスペクトの精神がその根本にあるのかな、と思ったりした。ちなみに手嶋氏は1949年生まれらしいので「20歳」ということはない。「大学出たばかりの若造」くらいの意であろう。

以前も書いたが、ワシントン支局の連中は芝居がかった演出がお好き(http://d.hatena.ne.jp/palop/20031207)。そして俳優を使った再現VTR作りもお好き(http://d.hatena.ne.jp/palop/20041109)。

昔、ブッシュシニアの回想録みたいなのを読んだ時、国連の代表権が中華民国から中華人民共和国に移った口惜しさを随分書いていた記憶があるのだが、米中国交回復の前にそういうキリキリしたつばぜり合いがあったはずなのに、重要視されていない印象がある。