パロップのブログ

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ジェームズ・マン『ウルカヌスの群像』

発行:2004/11、監訳:渡辺昭夫、共同通信社asin:4764105446
はじめに私事になるが、この3連休はこれを読むのにほぼ費やした。仕事や研究に必要な人ならばともかく、下層労働者が知的好奇心を満たすためだけに貴重な連休を丸々つぶすのは正直きつい。人生の時間配分について考えさせられた。愚痴は以上。
筆者ジェームズ・マンは共和党寄りで、外交政策に関しては歴代民主党大統領をぼんくら扱いしている。マンが本書を執筆するにあたって属していた戦略国際研究センター(CSIS)も共和党側のシンクタンクくさい。ただし、2002年1月の「悪の枢軸」演説以降、マンのウルカヌスへの視線は厳しくなる。9.11への報復としてアフガニスタン空爆し、タリバンを追い出す辺りまでが、米国共和党穏健派の了解事項だと思われる。そんなわけで、6人が魅力的に描かれ過ぎ。もちろん、アフガン空爆の時点から戦争に反対である人々にとっては、読めば読む程その傲慢さに改めて怒りが湧いてくるかもしれない。
パウエルとアーミテージベトナム戦争従軍者、ラムズフェルドとチェイニーは生粋の政治家志望、ウルフォウィッツとリチャード・パールは学者。ライスはキッシンジャー/スコウクロフト系列の勢力均衡論者。但しライスは最近4年間のチーム・ブッシュには欠かせないけれど、それ以前、70年代からの積み重ねにはほとんど関与していないので、6人組からライスを外してリチャード・パールでも良かったかもしれない。もちろん、2003年の現時点で重要な人物の出発点を遡って検証するという話だから、たとえそれ以前の20年間にパールが重要な役割を果たしていても、現在に影響力がなければ取り上げる意味がないのも確かだ。
私自身が1974年生まれだからもあるが、自分の知らない1970年代の、若者の出世物語が一番面白い。ウルカヌスの6人は、それぞれがある時は行政執行者になったり、また執行者の頭脳として政策立案者になったり、在野の学者・研究者になったりする。その中で、6人がある時は上司と部下、ある時は同僚、ある時は対立する。性格は正反対だけど組めば相互補完的で、目的達成のために協力する。そうやって実績を残していく様が面白い。組み合わせが豊富なので、巻末に、年表というか、誰と誰が、どの時期に、どんな仕事でコンビを組んだかを分かり易く整理した表が欲しいくらいだ。官職と民職をいったりきたり出来るアメリカ政治らしさも物語を面白くしている。行政の職務に就く場合は議会の承認が必要で身元調査なども厳しいが、大統領府で働く場合はそうでもない等、その辺の区別が分かりにくい外国人には興味深い話も多い。
70年代の話に比べると後半は詰まらない。1989〜91年辺り、湾岸戦争ソ連崩壊の部分は、別の案件のようでもあり、複雑に絡み合った問題のようでもあり、うまくまとめるのが難しいのは理解出来るが。やや構成に難あり。それ以降になると、70年代からの連続性という本書の主題すら強弁なのではと思ってしまう。マン氏はイラク侵攻(及びその結果)に懐疑的というか、ウルカヌスに対して「イラク侵攻前までは素晴らしい国家操縦能力を発揮していたけど、それで少し驕っちゃったね」という評価をしていると思うのだが、その割に「イラク侵攻はウルカヌス思想35年の流れからすれば当然の帰結」という判断もしているようで、その辺に整合性がないというか、その2つは両立しない気がする。そもそも「合衆国は他国を信じない。そのためには圧倒的な軍事力を有しなければならない」というほとんど唯一の共通項すら、その背景がベトナムの屈辱ではなさそうな人(ライス)もいるし、軍隊の使い方、世界におけるアメリカの役割等に関しては、それぞれ異なった考えを持っているようだし、時代によっても考え方を変えている。理想主義者という程には理想を持っていないし、目的のために手段が、手段のために目的がコロコロ変わる人達でもある。それを「一貫した1つの流れがあった」とする構成に無理があると思う。
6人全員が(ちゃんと確認していないけど)おおよそ中産階級の子弟。少数民族ユダヤ系・アフリカ系)も多いが亡命・移民を経験したものはなく、本土生まれの2世。10代の頃はスポーツや芸術の分野で活躍し、学校でも人気者。20代で得たチャンスを活かしてのし上がり、ほぼ全員がコネクションを使って大企業の経営者・重役を経験し、金持ちになっている。結局、崇高な理想があったというよりは、高い現実的目標を設定してチャレンジし、クリアするのが大好きで、対人交渉等その課題クリア能力が異常に高く、高めに設定した課題でもクリア出来るものだから段々と全能感も高まり、自分たちだけで世界の情勢をコントロールしたくなったのではないだろうか。軍事力以外に共通点のない人間同士だったから、戦争の方針に埋めがたい溝が出来れば、チームが分解するのも必然。
日本の新聞・雑誌で読んだ記憶のあるネタ、例えばイラクの戦後復興事業に6人が重役をしている会社が入っているらしいことや、ポーランド等の同盟国に戦後復興事業の分け前を与えなったこと、役立たずの亡命イラク人組織のリーダーがパールの友人であったらしいこと等々、イラクとの戦争目的に理想主義以外の現実があるんでないの? という話には、本書では全然触れていないのだが、それはあくまで思想面での追求が本書では目的だからなのか、先に挙げたネタが些細な欠点を拡大して中傷しているだけなのか。まあ、1つのソースを鵜呑みにしないことが大切。
マンの文筆家としての腕前とは別に、ジャーナリストとしてのスクープは、80年代に行われた秘密の政府機能温存計画辺りか。それからチーム・ブッシュが、実は96年大統領選挙のボブ・ドール候補チームの焼き直しというのも興味深かった。
歴史のIFその1:元々はラムズフェルドがチェイニーの上司だったという話は初耳。もったいぶった偉そうな振る舞いのチェイニーと今でもやんちゃな感じのラムズフェルドというイメージの問題。ニクソンかフォードかレーガンラムズフェルドを副大統領に指名していたら、その後ラムズフェルドは大統領になれただろうか。
歴史のIFその2:国防総省希望のアーミテージ国務省希望のウルフォウィッツが、上司との相性等によりお互い逆省の副長官になった(本書では「交差した人事」と表現)のは、実のところ上司の人事が交差していたからに過ぎない。それはパウエルが国防長官、ラムズフェルド国務長官に相応しかったことを示唆しているのでは。軍歴のある実務家パウエルならば、もっと上手く軍隊を動かせたろうし、制服組の意向を汲み取って政策に反映させることが出来ただろう。ラムズフェルドの方も、国務長官であったならば、同盟国との交渉・説得に得意の弁舌・手腕を発揮出来たかもしれない。結局、2000年大統領選挙がグダグダになった故に、国内向けにスター人事を行ったのがツケの始まり。