パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

アレスター・キャンベル

前回(http://d.hatena.ne.jp/palop/20040415)までの粗筋:イギリス首相トニー・ブレアの側近で、スピンドクター(情報操作屋)と呼ばれた男アレスター・キャンベルは、イラク大量兵器配備に関する政府報告書の捏造疑惑を弁明するためにチャンネル4の番組に出演、その際次のような発言をした。(以下、あやふやな私訳)

Alastair Campbell: Excuse me, that letter is about as robust as Blackburn Rovers were when they played Trelleborgs .
キャンベル「ちょっと待って下さい。(BBCからの)手紙は、トレレボルグと対戦した時のローヴァーズと同じくらいrobustです」
http://www.channel4.com/news/2003/06/week_4/27_campbell.html

robustの意味もよく分からないがそれは脇に置き、それ以上に喩えが分からない。トレレボルグはスウェーデンのクラブで、1994年のUEFA杯ブラックバーンを破っているのだが、その故事からどのようなニュアンスを喩えているのか、さっぱり分からない。
………
その後、調査を続けた結果、とりあえずキャンベルの経歴が判明した。

ケンブリッジ大学出身である。しかし学生時代は、酒とサッカーの応援に興じた。異様なほどのサッカー好きである。フーリガンの一歩手前と言ってもよいくらいだったという。
――山本浩『決断の代償 ブレアのイラク戦争』(講談社、2004年)p.25

どうやらサカヲタらしい。『決断の代償』に記述されているキャンベルの経歴を要約すると、――大学を出た後もブラブラしていたが、やがてタブロイド紙の見習い記者を始め、出来た恋人の父が労働党幹部に人脈を持つジャーナリストだった事から政治の世界に踏み入れ、当時の労働党党首ニール・キノックに気に入られる。そこで若き党幹部ブレアと意気投合するが、キノックが総選挙に負けて党首を勇退、キャンベルは再び酒浸りとなる。1994年にキノック後の党首ジョン・スミスが急死して後継にブレアが党首となると、キャンベルも復活、ブレアが首相になると、とうとうメディア担当補佐官にまで昇り詰める。――サカヲタの波乱に満ちた出世物語だ。
更に検索した結果、“Harry's Place”というイギリス人のブログの2003年6月28日付けに、キャンベル発言の解説といえる文章を発見したので、乏しい語学力を振り絞って訳してみる。

アレスター・キャンベルは金曜日にチャンネル4でこう発言した。“Excuse me, that letter is ...”
キャンベルのコメントが英国の他の地域にどのくらいの衝撃を与えたかは分からないが、東ランカシャーでは非常にウケたと断言出来る。
説明すると、ブラックバーン・ローヴァーズは彼らが成功を収めていたシーズンに、スウェーデンのセミプロ相手に屈辱的な敗戦を喫し、国内リーグで憎きライバルの後塵を拝していたバーンリーの人々はその結果に大喜びしたのだった。
キャンベルは真剣なバーンリーファンであり、クラブのマッチ・プログラムへコラムを書いているほどだ。彼は数年前、自分のボス(首相)にクラブのビデオへ出てくれるよう頼んでさえいる。
何故このスピンドクターは、深刻な政治闘争の最中に、バーンリーファンにのみポイントを稼げるようなローカルネタを使ったのだろうか。
バーンリーの現職労働党議員が次の総選挙で身を引くという事実とは関係がないだろう。私はそう望む。
http://hurryupharry.bloghouse.net/archives/2003/06/28/campbells_new_goal.php

ブログの主はキャンベルが次の選挙でバーンリーから出るのでは疑っていて、それを快く思っていないようだが、それは置いといて、どうやらキャンベルはバーンリーファンでブラックバーン嫌い。キャンベル発言はブラックバーンを嘲笑するニュアンスで訳さなければならないようだ。こんな感じで、

キャンベル「ちょっと待って下さい。そのレターは、アマチュア相手にだっせー負け方をしたクソローヴァーズの間抜け野郎と同じくらいrobustですよ」

結局、意味はよく分からないので、今後も調査を続行する予定。
“Harry's Place”の2004年1月22日付け(http://hurryupharry.bloghouse.net/archives/2004/01/22/youre_going_home_in_a_cosmic_ambience.php)に余談があり、そこのコメント欄には「私の祖父と父は熱心なファンというわけではなかったからだろうけど、バーンリーとブラックバーン両方の試合を観ていた」という報告もあり、応援の仕方も人それぞれなんだろうと思う。ちなみにリンク先でリンクされているPDF文書はサッカーファンへのアンケート「貴方のクラブのライバルクラブはどこですか」というもので、ざっと眺めてもかなり面白い。

(2005/1/3追記)
昨年12月に出版された山本浩著『仁義なき英国タブロイド伝説』(新潮新書、2004年)でキャンベルに1章が割かれている。それによると、キャンベルは補佐官当時、執務室に1994年に行われたバーンリーのプレイオフの記事を額に入れて飾っていたという。検索するに、恐らくStockport countyを破ったDivision2のプレイオフファイナルの事のよう。Division2で6位になり、勝ってDivision1に昇格を決めた試合。何故かウェンブリーで行われ、6万人の観衆が集まったらしい。マジヲタ万歳。