パロップのブログ

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田村修一『山本昌邦 勝って泣く』

アテネ五輪直前に出された便乗本。直前まで最新の情報を加筆しつつ、大会前に出さなければ意味がないから著者も編集者も大変だ。今更だが、読むと結構面白い。例えば、

異変はハーフタイムに起こった。普段はもの静かな那須大亮が、大声でチームメイトを叱責したのだった。
(p.13)

食中毒にかかったUAE戦の話。これで山本氏は那須が修羅場に強い精神力を持っていると思ったのか。

宮崎合宿が始まった当初から、山本はほとんどの場面で田中達也と平山と組ませている。ペアを固定した方が、お互いの理解も進み、良さを引き出しうるからである。
(p.191)

どうやら平山が転けたから、達也も巻き添えを食って試合に出られなかったようだ。

特に前半は、左サイドからの突破が効果的で、田中や那須のドリブルやオーバーラップが、UAEディフェンスをズタズタに引き裂いた。
「森崎が引き気味にボールを受けると、相手の選手が引き出されて背後にスペースができる。そこを田中が突いたり那須が追い越したりして崩せるわけです」
(p.225)

日本ラウンドUAE戦の話。平山の後ろに大久保と田中を置いた形が一番機能した試合ではなかったかと思う。結局その後はほとんど試された記憶がない。浩司を左サイドに置く意味があるとすればこの形だと思ったのに何故やらなかった、と広島サポとしては恨み節の一つも言いたくなる。
その他にはp.165〜167辺りで、最終予選がSARSの影響で2003年8月から2004年3月に延期になった時点で、それまでのチームを一旦壊して作り直す決意をした事が書かれている。私は9月の韓国戦で再構成を決めたのかと思っていた。「もし」の話をしても仕方ないが、去年8月に本大会出場を決めてから1年近く準備期間があったら、山本氏はどんなチーム作りをしていただろうか。そう考えると、不測の事態に備えなければならない監督業は大変だ。
もしかすると大会後に出た『Number』等を読めば、上記のツッコミにきちんと解答しているのかもしれない。この本の田村氏も本大会出場が決まった後だから長いスパンで評価出来ているわけで、リアルタイムで連載していた頃の『Number』を調べ、本書ではどのように加筆したかをチェックすると面白いかもしれない。