パロップのブログ

TVドキュメンタリーの記録は終了しました

フルシチョフ「質問したのは誰?」

TVドキュメンタリーのメモ代わりに。

 

ワシントンのナショナルプレスクラブでの記者会見

記者「こんな話があります。

共産党大会でスターリンの犯した罪をあなたが糾弾したとき、

聴衆の1人が無記名の質問状を提出したそうですね。

あなたは演説を中断し、質問状を読み上げました。

そこには『スターリン時代あなたは何をしていた?』とあった。

『質問者は誰だ』と聞いても名乗り出る者はいません。

そこであなたは言いました。

『これで私が何をしていたかわかったろう』と。

 この話をどう思いますか」

 

フルシチョフ「そんな話をでっちあげた人に狙いは何なのかとお聞きしたい。

私にバツの悪い思いをさせたいのでしょうか。

皆さんが笑っているのもそのためですか。

ロシアには『最後に笑う者が最もよく笑う』という格言があります。

こんな作り話をする人は必ず後悔することになります。

私は挑発に乗りませんしやり返そうとも思いません。

なぜなら最後は真実が勝つからです」

 

―『BS世界のドキュメンタリー』「フルシチョフ アメリカを行く」より

 

ある党集会でフルシチョフが演説した。若い活動家が遠くから野次をとばした。

「そりゃ、けっこうだ、ニキタ・セルゲイェヴィッチ。いま、あんたはスターリンの犯罪を暴露している。だけど、あのころ、あんたがたは、いったいどこにいたんだい」

フルシチョフは立ち上がり、威すように怒鳴りつける。

「いま質問したのはだれだ!」

会場は沈黙。フルシチョフはかさねて大声をはり上げる。

「これが最後だ。質問したのはだれだ!」

しばらく会場をにらみ回したあと、フルシチョフはおだやかに言った。

「同志諸君、きみたちは、われわれが当時どこにいたのか知りたがっている。ここに、答えがある。ここん、いまきみたちがいるところにだ」

 

―平井吉夫編『スターリンジョーク』p.142より

 

第22回党大会で、スターリン批判を行ったフルシチョフは、その後の作家同盟の集会でもスターリンの「個人崇拝」と「血の粛清」について糾弾した。

演説の最後に、なにか質問はないかとフルシチョフが言うと、後ろの方からおずおずと声がした。

「では、お尋ねしますが、その時、あなたは何をしていたのでしょうか?」

フルシチョフは真っ赤になってテーブルを叩いた。

「誰だ、今の発言は?」

会場はシーンとなり、誰も名乗り出なかった。フルシチョフはさらに大声を張り上げて怒鳴った。

「質問したのは誰だ!」

しばらくの沈黙の後、フルシチョフは一同をジロリと眺め回して言った。

「そう、君たちと同様こんなふうに沈黙していたのだよ。」

 

共産圏ジョーク より

http://www.geocities.jp/asamayamanobore/joke/rosia-soren/rosia1-50.html

 

その彼がアメリカで記者会見をしたことがある。予めリストにして提出されていた最初の質問が読み上げられたのだが、これがなかなか辛らつなものだった。「あなたは、激しくスターリンを批判した。しかし、あなたはスターリンの親しい後輩だったではないか。スターリンの存命中、あなたは一体何をしていたのか」というのだ。

フルシチョフは怒った。「だれがその質問をしたんだ!」。普段は口やかましい記者たちが、珍しく沈黙した。シーンとなった会場を見渡し、彼が再び吼える。「その質問を書いたのは、一体だれだと聞いているんだ!」。長い静寂のときが流れた。そこでやおら、フルシチョフはこう言った。「私が当時やったのは、これです。今のような沈黙です」。

 

仲森智博「本当のことを言う」『日経テクノロジーonline』より

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090115/164093/?P=4

 

1つ目はドキュメンタリーで放送されたくらいだからさすがに事実だろう。2つ目3つ目はよく知られたアネクドートのバージョン違い。会場が作家同盟だったり党集会だったり。4つ目は1つ目の事実と2つ目3つ目のアネクドートが混ざった感じ。伝言ゲームの果てといった感じ。

個人的な推測としては、先にアネクドートがあって、それを仕入れた米国新聞社のモスクワ特派員がワシントンでの記者会見で「こんなジョークを知っていますか?」という軽いノリで質問したら、フルシチョフがマジレスしてしまったのかなあと。そもそもアネクドートというのは「あいつなら言いそう」「そういうことありそう」というギリギリの線を創作するのがキモというか腕前というか。その意味では出来が良い。

ただ2つ目3つ目の妙に具体的なバージョン違いがあるのは、実は本当になったことなのかも。本当の事をモスクワ特派員が仕入れてワシントンで質問したら、フルシチョフが顔を真っ赤にして否定したと。本当にあった事件がひそひそと伝わってアネクドートに変形し、特派員の耳にも届いたと考えるのがもっとも自然か。

或いは、ワシントンでの記者の質問こそ仕入れたアネクドートに見せかけたオリジナルのソ連批判だったのかもしれない。現実は批判に対してフルシチョフがマジギレ。それが4つ目のようなフルシチョフジョークでうまくかわした前半部分のみの話に改変され、さらにソ連へ逆輸入されて場所をソ連党集会に変えてアネクドートになったとか。そりゃないか。

以上、ワシントンでの質問とアネクドートとどっちが先だったのかなというどうでもいい疑問でした。

難民とハンガリーと私と時々メルケル

9月の初めくらいから何か書いておかないといけないとは思っていたが、自分の言いたい事をうまく伝わるように書ける気が全然しないというか、そもそも何を言いたいのかも自分のなかで整理されていなくて、放置していたのだけど、あまり放置しておくとタイミングを逃すのが常なので、なんとか今のうちに書いておこうと思う。

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1993年12月19日に放送された『NHKスペシャル』「ヨーロッパ・ピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」を見てピクニック計画にかぶれた当時の私は、計画5周年の翌年8月19日にはピクニックの現場であるハンガリーの町ショプロンにいる事にした。

実際にはピンポイントでショプロンに向かっても面白くないので、ウィーンから鉄道でリュブリャナスロベニア)→ザグレブクロアチア)→ペチ(ハンガリー)→ブダペスト→ショプロン→ウィーンと移動した。

で、1994年8月19日、ショプロンで特に何かのイベントには遭遇しなかった。おそらくは実際に何の記念イベントもやっていなかったわけではなく、今みたいにネットに情報があふれているわけでもない時代に、情弱でコミュ障の外国人が現地に行っても何も見つけられなかったというのが正しい。仮に町はずれの国境で何らかのイベントをやることを察知していても、たぶんバスやタクシーにびびってたどり着けなかっただろう。

(ただ、計画に関与した日本人女性・糸見偲氏のエッセーを読むと、1995年の国境は何もない野ざらしで、それを見た糸見氏が記念公園の設立を思いついたそうだから、1994年だとそれこそハンガリー人からもドイツ人からも忘れ去られた計画だった可能性も高いと言い訳しておく)

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そんな私の薄い旅行体験だけど、そんな私でも、中東からの難民がクロアチアセルビア方面からハンガリーに向かって大平原を歩いている映像や、ハンガリーとオーストリアの国境で止められている映像を見ると、やっぱり何か思うところがある。その思う何かがまあうまく言えないんだけど。とりあえずは「当時世界に響き渡っていた金持ちとして信用ある日本国のパスポートによって軽々と自分が越えた国境を越えられない人がいるんだ」みたいな感じ。

ここで唐突にメルケルの話。

無難で知られるメルケルに、感情的になったメルケル

一般にドイツが難民を受け入れるのはナチスの経験がうんたらかんたらと言われるけど、少なくともメルケルに関しては違うんじゃないかと思う。ご承知の通り、メルケル東ドイツ人。こないだメルケルの伝記らしき本をざっと読んだけど、基本的には「東ドイツにも良いところはあったのに…、西ドイツに吸収合併されたのは残念」とか言わない人。国境が開いて、ドイツが統一されて良かったと思っている人。研究者として西ドイツへ出るくらいの自由はあった身分だったけど、東ドイツの体制は滅んで当然と考えている人。ここからは推測だけど、本人の中身は30代半ばまで過ごした東ドイツのメンタリティで出来ているのではなかろうかと思う。統一ドイツの政治家として成功するために、旧西ドイツ由来の思考作法と振る舞い方を必死で身につけてはきたけれど。そんな隠れ東ドイツ人(東ドイツから難民として西ドイツに来た人)のメルケルハンガリー・オーストリア国境の難民のあの映像を見て、感情的になるのはむしろ当然。ピクニック計画を思い出さずにはいられないもの。あの時ハンガリーが国境を開けて、東ドイツ〈難民〉を西ドイツへ行かせてくれなかったら、ベルリンの壁も崩壊してなかったかもしれないし、ドイツも統一されていなかったかもしれない。「いや、いずれ近いうちに東側の社会主義体制は崩壊していたよ」という意見もあるだろうが、あの日あの時あの場所で国境が開いていなければ、その後どうなったかなんて誰にも分からないし、メルケルの運命だってどうなってたなんて分からない。1990年元日の新聞を開いてごらんなさい。偉い先生が「まずは東西通貨同盟を」「国家連合を形成して10年後をめどに対等合併か」とかしたり顔で書いていた。実際、冷戦が終わって25年経つのに、1991年には世界選手権に南北合同代表とか送っていたのに、今も南北分裂したままの民族国家だってある。そう、物事にはタイミングがある。難民には「いずれ、そのうち、受け入れ準備が整ったら…」なんて言っていけない。いま行動しないと。メルケルにはそんな思いに駆られる動機があった。

(このメルケルパートは後から思いついたので前後の文章とは脈絡がないけれど、私の自分語りよりも実があるだろうと思って残す)

 

強い国家の作り方 欧州に君臨する女帝メルケルの世界戦略

強い国家の作り方 欧州に君臨する女帝メルケルの世界戦略

 

いま働いているグループホームには北朝鮮から引き揚げてきた人が2人いたこともあって、私は引揚者のドキュメンタリーを割とチェックしている方だと思う。そもそもは旧東欧ヲタだったから、オリンピック開いてた国が10年後には大量の難民が発生し、オリンピックスタジアムは墓地、なんて事実も知っている。だけど、まあ自分が難民になる想像は流石に出来ない。想像力の限界。だから「いつ自分が難民になるかもわからない。だからこそ難民を引き受けるべきだ」みたいな論理展開は出来ない。まあ、このまま日本の経済力が下降して、国際信用力もなくなって、日本国のパスポートを見せても帰りのチケットとか滞在ホテルとかしつこく聞かれる未来は想像できなくもないが。

私は報道写真=静止画像というのは撮影者や編集者の強烈な意思を反映しているプロパガンダだと思っている(動画だともう少し隙というか無駄な情報がどうしても入る)。だから、日頃から静止画像を見ても心を動かされないようにしようと心掛けているし、実際例の溺死した赤ん坊の報道写真を見てもそんなに心動かされることはなかった。下衆な言い方をすれば「(類似の出来事は何か月も前からあったのに)この画像がいま突然世界中を駆け巡っているのは誰がどんな意図をもってやっているのかなあ」みたいな冷笑主義者的反応をした。

そんな私が、動画とはいえ中欧を行く難民の姿を見ると何かを感じずにはいられなかったというのは何とも不思議な体験だった。体験と結びついた記憶というのは何かを呼び覚ますものだなと。思い入れというのは判断を誤らせたりするものだなと。メルケルさんの気持ちは分かるよと。たぶんそういう事をこの文章で言いたかったのではなかろうかと思う。

余談だが、今回この文章を書こうと旅行の事を思い出すため、久しぶりに自分史史料の箱を開けてみたらびっくりした。チェコ・スロバキアポーランドハンガリーの大使館にビザの申請をする封書が残っていた。そう、あの頃はビザが必要だった! すっかり忘れていた。「軽々と国境を越えられる日本国のパスポート」じゃねえよ。記憶の捏造だよ。うん、思い出した、大変だった。申請書を送ってもらい、記入した申請書とパスポートを送り、ビザ貼ったパスポートを受け取り、を4カ国分郵送でやった地方人。2か月前くらいから始めて出発までに全部揃うか不安で不安で。旅慣れた人だったら隣国でビザ申請して1日で取れるとかいう話もあったけど、そこまでギャンブルする勇気はなかった。

92年組の現在地/福岡国際女子テニス2015

敬称略でいこう。

2009年3月の高校選抜テニスで、当時高校1年生(新2年生)だった美濃越舞、今西美晴、江口実沙のプレーを見て以来、ぬるく92年組を追いかけている。ランキングに違いがあると出場できる大会のレベルも変わる厳しい世界で、今年の福岡国際テニスには(同期の大前を含めて)92年組のビッグ4が勢揃いするという幸運に恵まれたので、計3日通った。特に5月5日は、今大会中では観やすい部類に入るコート1の第1試合から順に美濃越×大前、今西、江口が登場するという奇跡が起きたので、16時半から夜勤入りだというのに10~14時までガッツリ観てきた。きつかった。動画も撮ってみた。最前列でバズーカみたいな望遠カメラで静止画を撮っている老けたカメラ小僧は沢山いたけど、ビデオカメラ回している人は自分しかいなかったので、現地にいた人なら「ああ、あいつか」と分かってしまうが、まあ仕方ない。テニス中継にしてもサッカー中継にしても、選手のアップを多用すると通に叩かれ、全体が分かるように引きで映すと評価される感があるけど、個人的には引きの画面でばかり見ているとテレビゲームの画面(90年代のスーファミとかね、最近のは知らん)を連想して選手を駒のように見てしまうシステム厨を生む気がする。ボールの行方とか勝ち負けとかどうでもいいじゃん。JJオコチャの足さばきだけ90分間映す映像とかあっていいじゃん。佐藤寿人のマークを剥がす動きを90分間追う映像があっていいじゃん。

 

観戦スケジュール:

5月3日(雨のためすべて室内コート)予選1回戦:美濃越舞vs瀬間友里加 ほか

5月5日(コート1)予選3回戦:大前綾希子vs美濃越舞、本選1回戦:ブローディ・ナオミvs今西美晴、江口実沙vsダン・カティ

5月7日(コート1)本選2回戦:江口実沙vs日比野菜緒、(センターコート)今西美晴vsダリア・ジャクポビック、(コート1)波形純理vs日比万葉 

 

以下、雑感。

江口実沙:世界ランク148位(2010年:697位→2011年:232位→2012年:302位→2013年:289位→2014年:130位)

2009年のセンバツで観た江口は「高校年代では誰も勝てないだろう」と思うくらい実力で抜けている感じがして、今でもこのなかではランキングも最上位だけど、正直物足りない。端的にいうと試合を観ていて面白くない。確実性を身につけたといえば聞こえがいいけど、もっと大胆にどっかんどっかん打つテニスが見たいなあと思う。今大会で、プロフィール上は同じくらいの身長(173cm)である波形純理の試合を初めて観たが、当たったら誰も止められないけど一度リズムが狂ったらサッパリという楽しいタイプだった。世界に出たら170cmくらいでは大きい人扱いではないし、コンパクトで確実なテニスを目指すのも分かるけど、もうちょっと冒険心があってもよかろう。

 

今西美晴:世界ランク214位(2010年:998位→2011年:551位→2012年:459位→2013年:292位→2014年:201位

「高校年代では誰も勝てないだろう」と思った江口を翌2010年の個人戦で倒したのが今西。体のサイズはないけど、フォアでもバックでも丁寧にハードヒットして、アジリティがあって粘りもあって…という典型的な日本人プレーヤーを勝手に「量産型杉山愛」(揶揄しているように聞こえるかもしれないが、シングルス世界トップ10/ダブルスナンバー1になった杉山になれれば大したもの)と呼んでいるが、まさに今西は質の高い量産型杉山愛。試合を観ていると、大事なポイントでびびらないというかハートがタフだなと思う。高卒時はプロにならず実業団に所属し、実力を見極めて3年目にプロ転向する辺りも含めてクレバーなんだろう。今大会の負け試合は割と淡泊に、大した抵抗も出来ずに負けてしまってちょっと残念だった。

 

美濃越舞:世界ランク474位(2010年:820位→2011年:509位→2012年:338位→2013年:596位→2014年:522位)

高い打点からのフォア逆クロスは相変わらず惚れ惚れするような美しいフォームだし、大きな武器だなとも思う。太腿をみれば決して華奢ではないし鍛えているんだろうと思う。それで4年ほどツアーを回って大体この順位。どうしたもんかなとも思う。コーチや事務所含めたチーム美濃越としては、少しずつ身体を作ってツアーに適応してランキングを上げていこうぜという長期計画なのかもしれないが、残された時間はそんなにあるのだろうか。よしもと興業はそんな悠長なことを言ってくれているのか。そこそこ平凡な成績で現役引退した後でタレント業に転向出来るほどトーク力とかあるのか。個人的に見て思うのはもうちょっとクイックネスというかアジリティというかコーディネーション的なものが上がらないものだろうか。運動能力以外に予測も不得手なのか、もう少し機動力がつかないとフォアだけが武器では先の上昇が見込めない。

 

大前綾希子:世界ランク410位(2010年:726位→2011年:246位→2012年:279位→2013年:479位→2014年:674位

他の3人と同学年だけど、高校生の大会には参加していないので比較が難しかったが同年代の旗頭だったみたい。怪我もあったのか、こちらも停滞気味。一見すると「ウェイトオーバーだろ」とつっこみたくなる体型なんだけど、案外狙いがあってのことかもしれないのでなんともいえない。「量産型杉山愛」的な話でいくと、大前も背が高くない標準的な日本人女子選手であり、標準的な選手が標準的な事をやっていても標準的な順位にしかならないわけで、どんなに機敏に動いてもパワーやリーチで欧米の選手に勝てない状況があったとしたら、少しスタミナやクイックネスを犠牲にしても日本人離れしたパワーをつける選択は面白いかもしれない。

 

92年組じゃないけどおまけ

日比万葉

グラフみたいなバックハンドのスライスを打つという評判なので興味があった日比を観た。ラリーが長い。相手のミス待ちで、勝負球がない感じ。他にいないスタイルだから面白いのは面白いのだろうが、あまり伸びしろがあるようにも思えない。オールドスクールが滅びるには滅びるだけの理由があるのだなとも思わされる。ちなみに動画は大会公式Facebookが同じラリーを上げていた。まさにリザーブアングル。向こうの映像に私が映っている。人に見せたくなる良いラリーだったということで。

 

おまけ:

選手とファンとプロ興行の関係についてもやっと思っている事を書いてみる。

一般的にプロスポーツにおける選手と客の関係って、サポーター的客がお金を払って特定の個人を応援するか、物見遊山的客がお金を払って良いゲームを楽しむか、のどちらかだろう。しかし現状、日本女子選手とファンの間にはどちらも成り立っていないように思える。つまり、お金を払ってもいなければ、うまく個人を応援出来てもいないし、レベルの高いゲームを見せてもらってもいない。

まず女子テニスの仕組みを簡単に説明すると、トップカテゴリーであるWTAの大会に出場し、グランドスラムにも本選から出場できるのがおよそ世界ランキング100位辺りまで。一つ下のカテゴリーであるITFの大会に出場しながらグランドスラムの予選に参加できるのがギリ250位辺りまで。ITFでも一番下の賞金総額1万ドルの大会に本選から出場できるのが600位辺りまで。

次に個々の大会でみると、たとえば福岡5万ドル大会なら入場料が1週間通しで1000円、久留米5万ドルは観客席がしょぼいので入場無料。賞金額は本選で1回勝ってベスト16で負けたら760ドル(約10万円)、優勝しても7600ドル(100万円)。要するに大会は入場料収入で成り立っているのではなくスポンサーによって成り立っているし、選手の生活費・遠征費も賞金で成り立っているのではなくスポンサーによって成り立っている。

では選手の側をみると、奈良くるみ土居美咲を除いた150~600位の日本人選手は世界中で開かれるITFの大会に出るために一年中どさ周りの旅をしながら、どこを目標にしているのだろう。やはり選手人生で一度くらいはグランドスラム本選に出場する事? そんな選手をファンはどんな風に応援すればいいの? ドメスティックな競技と違って「世界1位になって」とか「グランドスラムで優勝して」とか軽くは言いにくいわけだから、選手の具体的な目標を知りたいわけだけど、目標が具体的かつこじんまりし過ぎていると正直夢がない感じもある。

とにかく観る側が選手にお金を落としているわけでもなければ、選手の目標を共有しているわけでもない。それってプロスポーツと呼べるの?みたいな気持ちになる。

もちろん裾野が広くないと頂点も高くならないので、選手がランキングポイントを稼ぐためだけに存在する下部大会の存在が悪いはずはない。たとえば大相撲なんか多くの客が入ってくるのは幕内の取り組みからだけど、じゃあ序二段三段目は要らないのかっていえば、力士が競争を勝ち抜いて上がってくるための場として必須。じゃあテニスと大相撲は何が違うのか。大相撲の序二段三段目の取組は興行として同日同会場で行われているから前座として存在する事はおかしくないが、テニスの場合、興行として成り立っていない前座的な存在が単独で開催されているから尚の事私は不自然に感じてしまうのだろうか。

ユース選手の“未来”を応援する感じとも違うし、チームスポーツで2部3部リーグに所属している“おらがクラブ”を応援する感じとも違うし、どれとも似ていないモヤモヤ感。安い入場料払っても仕方ないし、むしろ特定の個人選手を応援する=スポンサードするクラウドファンディング・ソーシャルファンディングがハマりそうな気はする。

 

余談:

高校2年生の美濃越とダブルスを組んでインターハイを優勝した小和瀬麻帆という選手(92年組の1コ年上)がいま何をやっているのかと気になって検索したら、米国の大学に留学してて、そのインタビューが面白かった。

日本と違って同じ相手と試合するのはこちらではすごく少なくて。いつも「この相手はどんな選手なのかな~?」って考えながら試合をできるのも魅力ですね。(相手のテのうちを知り尽くしている日本の試合と違って)

 

日本国内でのプレッシャーがものすごくて。。。例えば、関東はここまでいかないと、とか、誰ちゃんには負けられないとか。

 

多分テニスは嫌いじゃなかったんですけど、テニスを日本でやるというプレッシャーに押しつぶされそうで、逃げ出したかったんだと思います。そんな風に感じている高校生、凄ーく多いと思います。だから大学ではテニスやめようと思う人とか。

 

社会全体プラス自分自身のプライドかな。。。笑。全国大会には何があっても出場したいから、それの予選会はものすごく緊張したし、ここまで行けないのはもうなにがあっても許せない!というプライドですかね?

 

テニス以外にも大学生活だったり、テニスは人生の中で一部にすぎないんだっていう考え方をコーチやチームメイト達に学びました。ジュニアのときはテニス命!って感じだったかもしれないですけど、視野が広まったり、変に自分にプレッシャーをかけない事で肩の力がぬけたのも大きいと思います。

 

「日本でのプレッシャーとアメリカ留学」

http://tennisinusa.blog.fc2.com/blog-entry-189.html

サッカージャーナリストの加部究氏が高校サッカーの問題点として書いている事柄が同じように並んでいる。日本テニス協会公式サイトに載っているジュニア大会結果の過去ログを眺めていると、いまプロでやっているような選手は12歳以下の頃から全国大会で対戦している。まさに手の内を知り尽くしている相手と高校卒業まで戦っている。もっともその後プロになってテニスを続けている選手も多いのだから一応バーンアウトからは逃れているわけで、モチベーション云々を外野が心配するような事ではないのかもしれないが、14歳頃までは今をときめく人達と肩を並べていたのにいつの間にかトーナメント表から名前が消えてしまった子達はどうしているのかな、今でもテニスを好きでいてくれるかな、みたいな事は考える。